2001年 COMDEX 秋 の報告
2001年11月20日号
A. 高いセキュリティー
9月11日のテロ攻撃の後,米国はセキュリティーに対して過敏になっている。セキュリティーが厳しいことはCOMDEX会場に到着する以前から明らかであった。参加登録者に対してCOMDEX開催者のKey3Mediaは電子メールで参加者のバッジを得るのには免許証,パスポートなどの写真がある身分証明が必要であり,さらに会場では常に身分証明を携帯する事が義務であるあると通知した。さらに,会場には鞄,ノートブックPCの持ち込みは禁止にされた。コンピュータの展示会のCOMDEXにノートブックPCの持ち込みが禁止になるのはよっぽどの事である。ノートブックPCの持ち込みは開会直前に許可される事になったが,持っている人は殆どいなかった。
米国におけるセキュリティー対策の増加は飛行場ではっきりする。これまでポピュラーであった飛行場前の歩道でのチェックインは無くなり,すべてカウンターでのチェックインとなり,カウンターの列が長くなっている。ゲートへ行く前の持ち込み鞄と身体検査は時間をかけて行われるためにここでもまた長い列が出来,航空会社は国内線でも2時間前に飛行場に到着するように勧めている。飛行場には銃を持った兵隊が配備されており,どこか軍事国家に来たような気分になる。ホテルのチェックインにも身分証明の表示が必要になっている。私と飛行場から一緒のシャトルバスで来た人はトルコ人で,ホテルでのチェックインの際にかなりの時間がかかっていた。COMDEX会場へ入る時も金属探知器を通過する必要があり,さらに会場内には爆発物の臭いを嗅ぎ分ける事の出来る犬を連れた警察官が巡回していた。
セキュリティーへの関心の高さは展示としても現れている。バイオメトリックス等セキュリティー関連の製品を集めた「Biometropolis/Information Security」のパビリオンは,パビリオンとしてはもっともスペースが大きく,また注目を浴びていた。製品としてはマウスに指紋センサーを埋め込み,手軽に認証を行えることを可能にするSecuGen社の製品,指紋センサーと指紋情報を持ったスマートカードによるユーザ認証を1つのデバイスで行うPrecise Biometrics社のPrecise 100 MC,眼球の虹彩を認証に使うIridian Technologies社の製品等が話題になっていた。また,コンピュータルーム,コンピュータシステムへのアクセスを管理する製品だけでなく,犯罪捜査用の指紋鑑別システムのSagem Morpho社等の会社の展示もあった。セキュリティー技術だけでなく,ITは国家のセキュリティーに取って重要である。EDSの会長,Dick Brownはそのキーノートスピーチで9月11日にワールドトレードセンターが崩壊したにもかかわらず金融企業が事業を続けて行くことが出来たのはコンピュータネットワーク技術のおかげであり,すぐにバックアップの設備に切り替えがする事が出来たためだと語った。同氏は,国はセキュリティー対策として空港など目に見える部分のセキュリティーに投資をしているが,ITへのセキュリティー,あるいはセキュリティー対策としてのITへの投資は全くなく,この政策の見直しを求めていた。
B.参加者数は大幅ダウン
ドットコムブームの崩壊でCOMDEXの展示社数,参加者数は昨年より減少する事が予想されていた。9月11日のテロ事件で状況はさらに悪化し,Comdexの開催者であるKey3Mediaは今年のComdex Fallの開催を中止する事を考え,主催地ラスベガスのコンベンション局と話し合った。ラスベガスのコンベンション局はテロ事件以後,大きく縮小しているラスベガスの観光収入にさらに大きな打撃を与えることとなるComdexの中止には当然反対し,Key3Mediaに対して何としてでもComdexを開催するように求めた。
Key3Mediaは2001年秋のCOMDEXの出展者数は昨年の2,300社を下回り,2,000社程度になり,参加者数は昨年の200,000人より25%減になるとの予想をした。嘘か真か定かではないが,あまりの悲観的な状況にKey3Mediaは抗うつ剤プロザック(Prozac)のメーカー,Eli Lillyに対してComdexのスポンサーになる事の交渉をしたと言われている。
実際の出展社数は予想を割り,出展ガイドで見た限りでは1,700社程度でしかなかった。参加者数は35%減,あるいはもっと低かったかもしれない。展示会場は人にぶつからずに歩けるほどに空いており,いつもは交通渋滞でパニック化する会場近辺の道路もスムーズであった。
ラスベガス自体はComdex参加者の減少以上に空いていた。これまでであれば,観光を兼ねてカップルで来る参加者も多かったのが,今年は殆ど無くなっていた。コンピュータエンジニアはあまりギャンブルはせず,COMDEX期間中はホテルに宿泊している人数の割にはカジノは空いているが,今年はこの傾向がさらに目立ち,カジノはがら空き状態であった。また,参加者の滞在期間も例年より短期で,週の後半はさらに空いていた。
9月11日のテロ事件で,ドットコムバブルがはじけた事で不況になり始めていたIT産業の低迷はさらに悪化した。しかし,観光業界の不振に比べればまだましである。旅行自体が減っており,航空会社,ホテルの利用は大きくと減っている。これに加えて,ラスベガスなど遊びの場所への旅行はさらに減っている。これから年末にかけて冬のバケーションシーズンであるが,今年の旅行は親,親戚,友人への訪問が多く,観光地への予約は大きく減少している。閑散としたラスベガスは今後の景気の行く末を考えさせるものである。
C. COMDEXは何の展示会?
Windows XP発売の直後であり,今年のCOMDEXの主役はXPになるだろうと行く前に推測した。実際に同社は中央ホールの入り口に大きな展示スペースを取り,XPをメインに紹介する以外,パートナー会社へ展示スペースを提供していた。しかし,これまでのWindowsの発表と比べ,参加者の関心は低いようであった。XP ProfessionalはWindows 2000と大きな違いは無いが,ホーム向けのXP HomeはWindows 98からMeへの移行より遙かに大きな移行であるのにかかわらず,参加者の反応は低い。Windows Meはインターネットブームのまっただ中であり,XPはバブルのはじけた後の差であるのか。あるいは,Windowsが当たり前になりすぎ,ユーザは無関心になっているのかも知れない。
Windowsの新しいバージョンの発表直後のCOMDEXでは,一部のアンチマイクロソフトベンダーを除き,殆どの出展会社がWindowsの宣伝に参加して,まるでWindowsの展示会であるような時代もあった。しかし,今回のCOMDEXではマイクロソフト以外のブースでは殆どXPのロゴは目立たなかった。その理由の一つはPCハードウェアベンダーの出展が減っている事である。今年のCOMDEXにはDellは非参加,IBMはPCの展示無し,Compaqは会場では無くスイートルームでの参加であった。COMDEXはComputer Dealer Expoの省略で,最初はPCをディーラに売り込むことが目的の展示会であったのが最近ではPCの展示は逆に珍しくなっている。
Windowsのロゴが目立たなくなっているもう一つの理由は,大きなサードパーティーソフトウェア会社が無くなったためである。Windows上で走るアプリケーションの殆どはマイクロソフトの製品である。マイクロソフトはWindowsのアプリケーションを書いてきたサードパーティソフトウエア会社を次々とつぶして来た。その結果,Windowsパートナーの会社はマイクロソフトのパビリオンに間借りしているしかない程度規模の会社だけとなり,大きなWindowsパートナーのソフトウェア会社は存在しなくなってしまった。
競合ソフトウェア会社としてはComputer Associatesが比較的大きなブースを取っていたが,特に注目される製品はなかった。一時は最大の競合であったNovellはNetware 6.0の発売直後であるが,フロアでの展示は無く,スイートルームのみでの参加で目立っていなかった。Windowsの最大の競合と言われていたLinuxはドットコムブームの崩壊と共に勢力を失い,「Linux Hatchery」(Linuxの飼養所)と名付けられたパビリオンには全く熱気が無かった。組み込みOSとしてLinuxを採用している会社がいくつか出展していたが,Windowsを倒すOSとしての可能性は大きく減退しており,ソフトウェア業界はマイクロソフトの独占である。
COMDEXからその初めの目的であったPCのハードウェアとソフトウェアの展示が無くなっている。代わりにシスコ,ノキア等のネットワーク関連の会社が大きくと増えている。しかし,シスコなどの大型のルーター製品に関する関心は高くなく,SOHO,家庭向けの無線LANへの関心が高かったようである。COMDEXはパーソナルコンピュータの展示会ではなくなり,IT全体の展示会になっているとKey3Mediaは言っているが,その主体はやはり「パーソナル」であり,参加者の関心はルーター等よりHandSpring社の新しいパームコンピュータのTreo等にであった。
しかし,何よりもCOMDEXは何の展示会なのかと思わせるのは,中央ホールの中心に大きなブースを取っていたメルセデスベンツの存在であった。ベンツは車の展示をするだけでなく,Comdex全体のスポンサーの1社(他のスポンサーはNYSEとアメリカンエクスプレス)であり,さらに会場隣の駐車場を借りて試乗会も行っていた。ベンツはこれで2年目の参加である。目的はその自動車の売り込みである。しかし,テレマティックスの普及で車がどんどんと情報端末化する傾向もあり,近い将来GM,フォード,トヨタなどの自動車メーカーが競ってCOMDEXに展示する日が来るかも知れない。
D. ビル・ゲイツのおすすめはタブレットPC
展示会開催前日の日曜日夕方のビル・ゲイツのキーノートスピーチは満員の15,000人を前に行われた。ビル・ゲイツのスピーチの主なポイントは下記の通りである。* これからのDigital Decade(デジタルの10年間)は企業によるビジネスのやり方,個人のコミュニケーションの方法を革命的に変える。
* Eコマースへの投資は今後10年で30倍に増える。
* タブレット型のPCが最先端時術であり,コンピュータの新世代を創る。
* マイクロソフトの.NET技術はXMLとウェブサービスの採用を促す。
* 新しいゲームコンソールのXBoxは開発者とユーザにゲームの新しいジャンルを提供する。
* Widnows XPはDigital Decadeへの道を作るのに貢献するキーノートとは言ってもマイクロソフトの宣伝である。もっとも,マイクロソフトが独占で産業を意のままに動かす力があるのなら,宣伝イコール予言であり,注目をしなければならない。スピーチの中でももっとも関心を集めたのがタブレットPCである。ビル・ゲイツは,今後のパーソナルコンピュータの形態としてタブレットPCが重要になると予想をした。ビル・ゲイツはAcer社の画面部分が回転しタブレットPCに変身するノートブックPCなどを見せて,タブレットPCの今後をアピールした。
タブレットPCは1990年代の始めにGO,General Magicなどの会社の登場で注目を浴びたが成功はしなかった。その後,アップルはニュートンを発売して,成功するかに見えたが売れ行きはすぐに落ちた。現在,パームなどのPDAがタブレット型を引き継いでいる。タブレットPCとしては富士通などいくつかのベンダーが出荷しているが,利用はバーティカルであり,一般的には知られていない。
なぜ,今またタブレットPCなのか。今後さらにモバイルが重要になる事は確かであり,携帯電話とつながったデータアクセス,PDAからの無線通信が注目されている。COMDEXの出展でも無線LANを含めたワイアレス関係が多かった。モバイルの利用を考えればノート型よりタブレット型が適している。しかし本当にタブレットPCのカムバックはあるのか。マイクロソフトは真剣にタブレットPCの普及を狙っているのか。あるいは新鮮味の薄れてきたデスクトップPCやノートPCにかわって、タブレットPCという新しいハードウエアを持ち出すことで今ひとつ燃えていないWindows XPへの活気を高める為であり,同時にハードウェア会社への広告サービスなのか。
結局はモバイルの形態に行き着く事である。モバイルの1つの考えはデスクトップ同等の機能のハードウェア(タブレット型でもノート型でも)を持ち運ぶ発想である。これらの製品は歩きながら,あるいは運転中に使うことは出来ない。しかし,これらポータブルPCは鞄の中,あるいは運転中に後ろの席に置かれていても常に電源は入っている状態であり,PDA,あるいは音声認識機能を持つデバイスをI/Oとして使い,BluetoothのネットワークでノートPCにアクセスすることで,歩きながら,あるいは運転中に鞄の中にあるノートPCのデータ,機能を使う事が出来る。徒歩中にPDAでノートPCのデータを見る,あるいは音声認識機能を持つデバイスで運転中にノートPCにあるGSPとナビゲーション機能を使う等が出来る。利用者はパーソナルネットワークを持ち,ポータブルPCはそのネットワークのサーバー機能を持つという考えである。Bluetoothを使った製品としてこのような発想の製品がいくつか展示されていた。
もう1つの考えはデータ,プロセッシングパワーは持ち運ばなく,アプリケーション,使う場所に応じて携帯電話,PDA,テレマティックスなどを使いわけ,無線ネットワークで必要なデータにアクセスし,処理は遠くにあるサーバーを使うシンクライエントの考えである。
マイクロソフトに取っては後者のシンクライアントの発想はWindowsの普及を妨げる敵である。シンクライアントの考えはオフィスでも家庭でも受けいられなかった。しかし,モバイル環境では無駄な機能を持つことがないこの考えが受け入られる可能性も大である。もしこれが普及すれば,オフィス,家庭環境でのシンクライアントに対する抵抗も減り,Windowsは危機に陥る可能性がある。タブレットPC等の新しいハードウェアの魅力により,モバイル利用者の持つプロセッシングパワーを向上させ続ける事が出来れば,シンクライアントの普及を止める事が出来,Windowsの独占を保持できる。必ずしもタブレット型の必要は無いが,マイクロソフトに取り,魅力のあるモバイルハードウェアの登場はその勢力を伸ばしていくのに欠かせない物である。
E. 韓国パワー
日本企業の海外出張の規制で2001年COMDEX秋では目立って日本人参加者が少なかった。アジア人は多かったが聞こえる言葉は韓国語,中国語であった。アジア人の中で特に多かったのは韓国人である。韓国人は展示会場だけでなく,ラスベガス全体でも多い。旅行客ではなく,ラスベガスでの韓国人口は増えている。ロサンジェルスではかなり前から小さなマーケットの経営に韓国人が乗り出していたが,その波はラスベガスにも来ており,大きなカジノの間にある小さな店の看板にハングル文字が目立ち,焼き肉の臭いがするようになっている。
出展でも韓国の会社の積極性が目立った。大手韓国メーカーのSamsung,LG Electronics以外に数多くの小さな韓国メーカーが参加していた。Electronic Industries Association of Korea(EIAK)の主催する韓国パビリオンに60社以上の会社が参加し,その隣にはKorea Software Industry Association(KSIA)が別のパビリオンを持ち,そこにはさらに50社以上の会社の出展があり,この2つのパビリオンをあわせた面積はもっとも大きなスペースを借りていたマイクロソフトに匹敵する。
EIAKとKSIAの2つのパビリオンにはPC自体,筐体,半導体,ソフトウェア,周辺機器など様々な製品が展示され,米国で製品を取り扱ってくれるディストリビュータを求めていた。私が韓国パビリオンで話した参加者はTVのショッピングチャンネルで売れるような安く,面白いコンピュータ関連の製品を探しているバイヤーであった。ここにはまだCOMDEXが始まったときと同じように,売り手を求める無名のメーカーと売れそうな製品に目を光らせているディーラが集まっていた。
COMDEXは最初の目的から離れ,IT業界のお祭りとなってきていた。しかし,不況が進み,さらにテロ攻撃の不安な状況で今年のCOMDEXを訪れた人たちはこれまでのように遊び半分で来ているマーケティング,あるいは接待で来ているユーザの連中ではなく,熱心に飯の種を探しているディーラ/バイヤーが多かったようである。不況,そして9月11日のテロ攻撃で小さくなったCOMDEXであるが,何とか米国市場に入り込もうと出展している韓国,その他の外国の小さな企業にはバイタリティーがあり,またバイヤー達は不況でこそに真剣に新しい製品を探しており,今年のCOMDEXはその初めの姿に近づいたものであったとも言える。
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