2001年1月に米国政権が民主党から共和党に交替した事で,FCC(連邦通信委員会)の委員長がクリントン政権の任命したWilliam Kennardから現国務長官Colin Powellの息子,Michael Powellに変わった。クリントン政権下のFCCは通信産業の競合を増やし,独占企業を無くす方針で活動をしてきた。これが共和党任命の委員長に替わった事で,FCCの方針も大きく変わっている。
有線通信事業と異なり,移動体通信事業では初めから競合を作るために1地域に2事業者分のライセンスが割り当てられた。さらに競合を増すために,5年前の新たなPCS周波数帯域の提供の際にFCCは1地域合計170 MHzに増える移動体通信の周波数帯域の内1つの会社が45MHz以上を持つことを禁止した。これにより既存のセルラ事業者がすでにサービスを提供している地域で新たにPCS周波数帯域を得る事を不可能として,1つの地域で最低4つ事業者が競合する事を保証した。また,PCS周波数帯域の競売では,大手事業者の独占を防ぐために,Cブロックと呼ばれる帯域の競売は中小の事業者だけを対象に行われ,多くの小さな事業者を作り出した。
周波数帯域の不足に悩む大手事業者は保有可能な周波数帯域を45 MHzに制限する規制には反対し,ロビー活動を続けてきた。Kennard下のFCCはこれに耳を貸さなかったが,委員長がPowellに交替したFCCはこの訴えを認め,11月に1事業者が持てる帯域をすぐに55 MHzに増やし,1年後にはこの規制を取り外し,無制限とする事を決めた。規制が無くなる1年後には小さな事業者が買収され,大手同士が合併する事で競合の数は大きく減り,大手は3社程度に減ると予想されている。
有線通信市場においても1996年の新通信法の通過で地域電話市場が開放され,数多くの新しい地域電話事業者(CLEC)が誕生した。CLECの成長を助けるために,96年通信法は地域市場を独占しているベル系電話会社はその地域電話市場を開放し,競合が育っている事をFCCが認めない限り長距離電話事業に参入する事が認められないとの条項が含まれた。当然の事ながらベル系地域電話会社はこの条項を嫌い,ロビー活動,さらには訴訟を起こしてきた。
この結果,下院議会で共和党のBilly Tauzinと民主党のJohn Dingellが発起人の法案「The Internet Freedom and Broadband Bill」が提出された。この法案は電話回線を使ったブロードバンドサービスの普及を助けるものとしているが,実際は96年通信法にあるベル電話会社による長距離事業への参入の規制を排除するものである。この法案の議決は3月に行われる予定である。
法案は下院議会を通過する可能性は高いが,上院議会では強い反対にあうと思われる。しかし,この法案が通過しなくてもベル系地域電話会社の長距離電話市場への参入が無制限で可能になる可能性はある。96年通信法の第706条ではFCCの判断でベル系電話会社への長距離市場参入への規制を外すことが可能になっている。Kennard委員長下のFCCはこの条項を検討する必要は無いとの態度を取り,ベル系電話会社の解放にはTauzin-Dingell法案が必要であった。しかし,委員長がPowellに替わったFCCは規制を外すべきかの調査を現在しており,ベル系電話会社に有利な結論を出すと思われている。2002年は96年通信法から6年目に当たり,FCCは3年毎に行われるの通信法の見直しに着手しており,この一部としてベル系地域電話会社に対する規制を緩和する可能性がある。