AT&Tは2002年11月中旬、予定通り同社のAT&Tブロードバンド部門のComcast Corporationsへの売却を果たし、新たに消費者、ビジネス部門に対する長距離音声・データサービス提供するだけのスリムになった長距離電気通信事業者として再発足した。
図 スリムになったAT&T
上図が示すとおり、わずか2年前までAT&Tは買収に次ぐ買収を続けた結果、本来の長距離電気通信部門の他、携帯電話部門(AT&TWireless)、ケーブルテレビ部門(AT&TBroadband)を自社に取り込んだ巨大な垂直型長距離通信・携帯・ケーブルテレビ会社であった。これはベルシステムが解体されAT&Tが競争市場の下で新生長距離通信会社として新発足して以来、M&A(他社の合併、統合)を主たるマーケティングの手段として他社の吸収・合併を進めてきたからである。さらに1997年に同社の会長兼CEOに就任したアームストロング氏は、通信回線を使っての市内市場への参入が容易でないとみるや、ケーブル回線による通話サービスの提供(いわゆるケーブルテレフォニー)に、活路を見出し、100億ドルにも及ぶ莫大な投資(M&A分を除く)を行ない、市内電話会社からの市内回線のリースを得ずに、自前で長距離サービスを提供する通信事業者になることに活路を見出した。
しかしケーブルテレビ加入者の取得は予定を下回り、しかも計画進展の過程で背負った莫大な借金を返済する見通しが立たず、同社の株価は低落の一途を辿った。このためアームストロング会長は、2000年10月これまでの方針を大きく転換する方針を発表した。これは同社の4事業部門のうち、AT&TWireless(携帯電話部門)、AT&TBroadband(ケーブルテレビ部門)を売却、音声・データの長距離部門であるAT&TBusiness 部門、AT&TConsumer部門はAT&T本体に残すという大掛かりな同社のスリム化構想であった。
AT&Tによる今回のAT&TBroadband部門の売却は、同会長によるこの大規模な撤退計画の最終過程の実行を意味するものであった。形式的には、氏の構想は予定通り(当初から2年は掛かると見込まれていた)の完了を見たこととなる(注1)。
ただ1984年以来これまでの18年間にわたるAT&Tの歩みを総括してみると、同社はケーブルテレビ、携帯電話の分野等で華やかなM&A作戦を展開してきたものの、その過程において莫大な借金を抱え、その借金を返済するために事業の売却を行った結果振り出しに戻ったに過ぎないといえる。しかも1984年当時、AT&Tは長距離通信市場の90%程度を占めた名実ともに電気通信業界の巨人として畏敬の念を持ってみられていたものであったが、今日のAT&Tは、この同社の大きな転換期に米国においてさほどの報道が行われていないことにも伺われる。
株価は27ドル程度を保持しているが、これは5株を1株に統合した効果によるものであって、AT&TBroadbandを含んでいた株価13ドル前後と比較すると実質的に半値以下に下がっている。そもそも株式統合(リバース・スプリティング)自体、一般的に米国株式市場において上場取消しを恐れる企業が最後の救済手段として行われる措置なのである。こうしてAT&Tは、これまで米国の株式市場においてもっとも人気のあった株式ブランドであったが、株式統合の過程で端株を現金で償還したことも加わり、その人気は地に落ちた(注2)。確かにいまだAT&Tは年商300億以上、従業員約10万人を有する大企業ではある。しかし本文で述べる通り、特にコンシューマー事業の減少が著しく、その将来はきわめて不安定である。決して優良企業とはいえない。
以下、AT&Tがブロードバンド部門を切り離した条件、収入の減少状況、今後の同社の展望等について述べることとする。
粛々と進行したAT&Tの原点(1984年時点)への復帰
すでに長期にわたり準備が進められていただけに、AT&Tのブロードバンド部門切り離しの過程は、11月中旬に次ぎのように粛々と進んだ。きっかけは待ち望まれていたFCCからの承認であったが、この承認が得られると数日後の11月17日、AT&Tによる同社ブロードバンド部門の切り離し、AT&Tブロードバンド部門(加入者数で米国1位のケーブルテレビ業務)とComcast(同じく米国第3位のケーブルテレビ会社)の統合さらに残ったAT&Tの株式の統合(5株が1株へ)が実施に移された。
- FCC、AT&TBroadbandとComcastの合併を承認(注3、注4)
FCCは2002年11月13日、3対1の多数決でAT&TBroadbannd とComcastの合併を承認した。合併後のComcastは、第2位のAOLTimeWarnerを大きく上回る加入者数(2,720万人)を有する米国最大のケーブルテレビ会社になるのであるが、そのシェアは28.9%であって、そもそもFCCが合併に賛成するであろうことは最初から想定されていた。
反対票は民主党委員コップ氏(Michael J.Copps)が投じたものであるが、統合により生じる拡大Comcastは、反競争的行動に出る潜在力を有するから歯止めのための条件を設定すべきではないかといったものであって、いわば反対のための反対程度のものにすぎなかった。
- AT&TのBroadband部門の切り離し(スピンアウト)とAT&TBroadbandとComcastの統合実施
AT&Tは11月17日、ただちにAT&TからAT&TBroadband部門を切り離し、その後Comcastとの合併を完了した。(注5)。
- AT&T、株式統合(1株を5株に)を実施
その後、AT&Tは1株を5株にする株式統合を実施し、11月19日以来、この5倍に水増しされた価格で株式市場に上場されている(現在のところ、株価は27ドル付近で横這い)。
容易ならざるコンシューマー部門の収入減少傾向
AT&Tの2002年次第3四半期の決算報告で明かになったことは、同社が競争相手WorldComからの加入者の取得あるいは1部州公益事業委員会によるアクセス料金引き下げの指導による市内通話分野への参入機会を充分に生かしきれず、前期(2002年第2四半期)より収入減が急ピッチで進んだことである。特にコンシューマ部門の落ち込みは大きく、同部門の不吉な将来を暗示する結果をもたらした。
次表に2002年第3四半期におけるAT&T3部門の収入を前期の数値と対比して示す(注6)。
項目 | 収入 | 増減比(対前期、%) |
AT&TBusiness | 67.0(67.4) | −1.6(−6.2) |
AT&TConsumer | 22.9(29.1) | −25.9(−3.9) |
AT&TBroadBand | 25.5(25.3) | +8.2(+9.8) |
AT&T | 11.6(−8.3) | −8.3(−6.2) |
AT&Tは利益についてはその絶対額を示さず、1株当り0.06ドルの数値を示しただけである。剃刀の歯1枚ほどのギリギリの利益を計上したということであろうか。
さらに2001年初頭以来の同部門の収入は以下の通りであって、AT&TConsumer部門の減収のスピードがどれだけ凄まじいものであるかが実感できる。
2001年第1四半期:51億ドル、同年第2四半期:50億ドル、同年第3四半期:47億ドル、同年第4四半期:43億ドル、2002年第1四半期31億ドル。
2002年第3四半期の収入、22.9億ドルは前年同期、2002年第3四半期の47億ドルに比し48%強に過ぎず、最近一年間で半分以下になってしまった。
こうなると収入減という言葉では表現し切れない。まさにAT&Tのコンシューマー事業自体が解けて消滅しつつあるといっても過言ではない(注7)。
厳しいAT&Tをめぐる競争・規制環境―Worldcomとアクセス料金の問題
AT&Tの将来を悲観的なものと見る観測を強める根拠として、ここ数ヵ月來、同社に有利に作用すると考えられてきた2つの要因が、最近同社に有利に作用しないことが判明した事実が挙げられる(注8)。
第1はWorldCom経営破綻のもたらす影響である。2002年初頭、WorldComが米国破産法第11章の適用を発表して以来、AT%Tは同社から多くの業務、加入者を奪うものと期待され、それがAT&Tの業績を下支えするものと見る見解が強かった。ところが2002年第3四半期の決算から明らかであるように、AT&Tは意外にもこのチャンスを活かすことができず、WorldComからの加入者移行は小数に留まった(注9)。
WorldComはさらにヒューレッド・パッカードから経営手腕に定評があり、同社のCEO候補とも目されていたカペラス氏(MichaelCappellas)を同社のCEO兼会長にスカウトした。かたや粉飾決算によるWorldComの累積赤字は当初より大きく増え、90億ドルに達しており、1部の利害関係者からは同社の経営をストップさせるべきであるとの強い批判がでていることは事実であるが、債権者筋もブッシュ政権もそれぞれの思惑からWorldComの再建を願っている。従ってWorldComが将来のことはさておき、当面カペラス氏の指導の下で、また債務負担が軽減された有利な条件の下で、改めて強敵としてAT&Tに立ち向うことが確実となった(注10)。
第2はAT&Tが地域電話会社との長距離電話事業者との加入者獲得競争で敗退していることである。同社は2002年の第2四半期までは1部州公益事業委員会の同社に有利なアクセス料金の決定を利用して、これまで8つの州において200万の加入者数を獲得した。しかし第3四半期以降そのテンポは停滞している。地域電話会社による長距離電話市場への参入は、FCCが多くの州でのこれら会社に対する長距離電話事業提供の認可を進めている状況の下で大きく進展しており、ある予測によれば2002年末には2800万に達するという(注11)。
2002年11月19日、この難局の下で新たにAT&Tの会長兼CEOに就任したドーマン氏(David WmDorman)は、同社社員に対し「100年以上にわたりAT&Tは品質についての業界標準を設定してきた。AT&Tは、電気通信、ネットワーキングの分野におけるリーダであって、5000万の住宅用顧客、400万のビジネス顧客との関係をマネージしており、電気通信市場において顧客の経験を生かした最善のサービスを提供することを誓っている」と述べている(注12)。
AT&Tの伝統に添った立派な訓示である。しかし5000万の住宅用加入者数今回AT&Tが初めて使った修正値であって、これまでは6000万の数値が使われていたのである。美辞麗句は抜きにして、華々しい歴史を持つAT&Tがどうして1000万もの加入者を減らす羽目に陥ったか、またこの退勢をバネにしてAT&Tはどのように長距離市場を奪還すべきかのドーマン氏の戦略を聞きたいところであった。
(注1) |
形式的にはアームストロング氏の意図は実現されたように見える。ただ、同氏は当初、資本系列が別になってもAT&Twireless、AT&Tbroadband、AT&TConsumer 、AT&T Business の4部門が100年以上の暖簾を誇る"AT&T"ブランドの下で相互の契約により提携することにより、発展を図っていくとの新たなAT&Tファミリーによる協力関係を構想していた。この構想はすでにAT&TWirelessが分離した時点で破綻していたものであるが、それでもComcastが本年春、AT&Tと合意を結んだ時点で両社統合後の社名をAT&TComcastにすると定められていたことで、少なくともAT&Tのブランド名だけ市場価値があることを周知する効果はあったし、多分この案を強くセールスしたに違いないアームストロング氏の存在感を高めるものであった。
しかし今回のAT&TBroadbandとComcast統合実施の直前になって、社名はAT&TComcastではなくComcast Corporationsにすることに定められた。それなりの理由(例えばAT&TとComcastCorporationsは長距離電話事業においてサービスが競合する等)こそあるものの、この事実は(1)AT&Tのブランド名(米国において有数の知名度を有する)の権威がすでに失墜していること、(2)同時にアームストロング氏の影響力も鈍っていることを示唆するものであろう。
アームストロング氏はComcast Corporationsの会長に就任したのであるが、すでにCpomcastCorporationsのCEOのロバーツ氏はアームストロング氏に重要な権限を与えないだろうとの観測が為されている。
|
(注2) | AT&Tが米国の電気通信を独占していた当時、さらに1984年の同社分割以降でも、AT&Tを1株贈り物として誕生日、入学時などの進呈する慣行があったという。同社の1株が長年月の後に無償増資により、ささやかな資産となる実績に裏付けられてのことであった。しかしこの慣行は全く過去のものとなり、今回、小数株式の所有者はAT&Tから有無を言わせず株式を手放さざるを得なくなった。2002.11.1付けYahoo!Finance,"AT&T to Cash Out Small Investors" |
(注3) | 2002年11月13日付けFCC News, "FCC grants conditioned approval of AT&T-Comcast merger" |
(注4) | 同上、"Dissenting statement of commissioner Micael J. Copps" |
(注5) | AT&T株主へのComcast Corporations株式交付の手続きはの詳細についての資料を入手しなかったが、AT&Tの11月14日付けプレスレリースによるとその概要は次ぎの通りである。(1)一定の基準に基づき、株主に対しAT&TBroadband株を交付(一定株以下の株主には現金を支払う)。つまりAT&T株式のうち、AT&Tブロードバンド部分の価値と本体の価値の部分を選り分け、前者を株式化あるいは現金化する。(2)AT&Tブロードバンド株式とComcast株式を1対0.3235の比率で交換する。 |
(注6) | いずれもそれぞれの期のAT&T決算発表のプレスレリースによる。 |
(注7) | レーマン・ブラザーのアナリストのバース氏(Bath)の意見。2002.11.18日付けThe Street.Times, "Long Distance Run around Leaves AT&T Winded"に引用されている。 |
(注8) | この点については2002年9月15日付けのDRIテレコムウォッチャー「AT&T、総体的に評価が上がる」を参照して欲しい。この記事は、AT&Tの将来について楽観的な見通しがあることを紹介したものである。筆者自身、ややAT&Tに好意的な傾向があるため、その点が影響したことは否定できないが、2002年8月当時には事実、主として環境の変化によりAT&Tに好機が到来したとの記事が幾つも現れた。今にして思えばAT&TがComcastへのブロードバンド部門の売却を行おうとしていた時期であって、AT&Tに批判的なアナリスト達も同社に対する本格的な評価を控えていたのかもしれない。 |
(注9) | 2002年10月22日付けThe Street.com,"No Flight to quality" |
(注10) | AT&Tは、2002年11月20日、ペンシルバニア州で1部実施に移していた長距離サービス提供を突如中止した。この動きは2002年末から2003年始めに掛けて出されるものと考えられるアクセス料金に関する裁定が、料金を支払う側(AT&Tを含む)に不利なものとなることを予想しての決定(これは私個人の意見であるが)とも考えられる。 |
(注11) | 2002年10月22日付けBusiness Week Online,"AT&T Has Trouble on the line" |
(注12) | 2002年11月19日付けAT&Tのプレスレリース、"New Chairman and CEO Marks AT&T's First Day of Trading By Meeting With Employees and Emphasizing Customers" |
テレコムウォッチャーのバックナンバーはこちらから