米(ベイ)エリアIT通信


タブレットPCの沿革とこれから

2002年8月号

 Market Snapshot今月のMarket SnapshotのテーマはタブレットPC。この製品名は巷でもよく聞かれるが、幅広い普及はこれからとされている。昨年の11月、Microsoft社ではWindows XP Tablet PC Editionを発表し、事業と一般消費者向けに書き込み可能なコンピュータの価値を提案した。ところが、発表当初、同社製品に対する評価はそれほど芳しくなく、例えばPC MagazineはAcer社製ハードウエアを使った製品試験では「素晴らしいデジタルインクを備えているが、手書きの認識能力はそこそこ」といった評価が出されている。

 Microsoft社は日本市場への拡大を念頭に置いて、ほぼ同じ時期に日本語版の発表も行った。同社ではタブレットとポケットPCに対して共通の戦略を採用している。つまり、Acer社や富士通など独自の設計を行うハードウエアのベンダ各社と提携し、ソフトウエアの供給に努めるといったアプローチである。

 では、これがPC業界に決定的な勝利をもたらすのか−といった疑問が湧いてくる。実際、タブレットを使ったコンピュータに対する憧れは、PC以前から抱かれてきたものだ。それは1971年、Xerox PARC研究所のAlan Kay氏がDynabookのガイドラインを描いたことに遡る。このキーボードを持たない軽量のデバイスは、同氏の発明によるSmalltalk Language(オブジェクト指向型言語の先駆け的な存在となった言語処理系)を基盤としたソフトウエアを稼動させるものであった。1972年、当時の技術事情にあって、紙のような画面を持ったデスクトップPC「Alto」が誕生したのは実に驚異的なことだった。ここでの基本概念は、飽くまでもリーガルパッドより小さいデバイスを創ることにあった。そこでPARC研究所では臨時のDynabookとして「Alto」と名づけた。

 以来、タブレットコンピュータは、期待はずれの落胆を繰り返してきた。その初期にはGo社が先陣を斬ったが、あっという間に姿を消した。一方、Apple社のNewtonも目を見張るような業績を上げれないままに終わっている。その他3ComではPalmOSを基盤としたタブレット「The Audrey」を発表したが、その後市場から撤退することになった。Microsoft社が昨年11月に発表した製品は、タブレットPCの普及を願った事実上2度目の挑戦である。前回は「ペンコンピューティング向けWindows」の実験から実現へと移行させるよう努めたが、結果は思わしくなかった。この結果についてBill Gates氏は「基本的に、前回の製品はうまく稼動しなかった。ハード・ソフトウエアだけでなくバッテリーも不十分で、これに無線網の不在が加わったことが原因だ」と振り返っている。

 しかし、Microsoft社がタブレットPCへの思いを断ち切ることはなかった。そして1999年夏、「Alto」の元々の設計を手掛けたChuck Thacker氏とButler Lampson氏を迎え、タブレットPCに対する思いの具現化に乗り出した。手始めに、Thacker氏とLampson氏はDigital Equipment Corp.の協力を得て「Lectrice」と呼ばれるペンコンピュータを試作したが、重すぎるという難点にぶつかった。そこで、両氏を中心とした開発チームは、様々な実験を経て、Transmeta社製「Caruso」のような新しい省電力プロセッサと高度な手書き認識機能を装備することで「Dynabook」の夢を遂に果たせると確信した。

 タブレットPCが特長とする利便性は今後、米国市場で大きな反響を呼ぶものである。その一方で、実際のキーボードにすっかり慣れてしまったユーザには、その形状に抵抗を感じる人もいるはずだ。それでも、携帯機器への人気が高まる昨今にあっては、あらゆる機能性を凝縮した「ミニデバイス」は、出張などのビジネス目的で徐々にその頭角を現していく可能性がある。

(c) 2002 KANABO Consulting


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