2012年10月15日、わが国第3位のモバイル通信企業、SoftBank は、米国第3位のモバイル通信企業、Sprintの株式70%を取得することで合意したと発表した。
SoftBankは、いうまでもなく、モバイル通信を中心とし、出版事業、野球球団等多数の事業を運営しているわが国屈指の成長企業である。
同社は、英国のモバイル通信会社Vodafoneの日本子会社取得を通じモバイル事業に参入し、月額定額制料金の導入等の革新的なマーケティングを実施して、飛躍的に加入者数を伸ばしていった。さらに、2007年には、Apple社からiPhoneの専売権を獲得、この機種の好調な売上げをベースにして業績を飛躍的に伸ばし、短期間にわが国における第3位モバイル事業者の地位を確立した。
Sprintの株式70%買収の合意は、Microsoft、Sprint両社の株主総会、規制機関等の承認を経なければならない。Microsoftは2013年半ば頃には、合意内容を実現に移したいとしている。現在のところ、FCC、DOJからの承認を得るに当たっての支障となる原因は特にないと見られる。ただし、すでにAT&Tが今回の合意に強く反対しており、強硬な反対運動を展開する可能性はある。
本文では、あまり報じられていない投資資金を受ける側のSprintの経営の状況、SprintのCEO、Dan Hesse氏の経営手腕等に力点を置いて解説を行った。
SoftBank とSprintの合意あらまし(注1)
合意にさいしての両社トップの発言
SoftBank 会長兼CEOの孫正義氏:SoftBank には、世界最大の市場の1つ(米国)において、モバイル・インターネット革命を推進することを目的として、スマートフォン並びに次世代高速ネットワーク(LTEを含む)における当社の専門性を活用する素晴らしい機会が生まれる。当社のイノベーション実績、Sprintの強いブランドとリーダシップは、両々あいまって、米国ワイアレス競争市場の一層の形成がもたらされるであろう。
SprintのCEO Dan Hesse氏:Sprintにとって、今回の合意は、当社株主に直接の価値をもたらすとともに、より強力な資本が増強されたSprintが将来の成長にあずかる機会が生れる。当社の経営陣は、日本におけるLTE運用の成功について、SoftBank から学び、顧客の経験を改善し、当社の事業転換を継続することでエクサイトしている。
株式取得
SoftBankは、Sprintの株式投資のため、201億ドルを投資する。
現株主からの株式購入には、121億ドルを予定する。
現株主は、a. 所有株式を一株当たり7.3ドル(基準価格5.25ドルに対し、40%程度のプレミアム付き)で売却する。b. 所有株式を新会社New Sprintが発行する新株と交換する、の二つのオプションのいずれかを選択する。a、bの比率は、それぞれ55%、45%程度を予定しており、SoftBank は、株主の希望がこの基準%を上回った場合、株主の意に沿わない割り振りをする権利を持つ。
残額、80億ドルは、SoftBank の所有する新株購入(一株5.25ドル)に当てられる。この金額は、原則として、新株をSoftBank が購入後、LTEネットワークの構築、サービス向上、バランスシートの改善等に当てられる予定であるが、80億ドルの一部、31億ドル分については、次のような迅速な資金調達が図られる。
すなわち、SoftBankは、Sprintが発行する額面31億ドルの転換社債(年利率1%、期間7年)を引き受けることにより、早急に、Sprintがこの資金を利用できるように取り計らう(筆者注:この金額はすでにSprintに提供されている模様)。
資金調達
投資資金は、Microsoftが保有する手元資金およびみずほコーポレート銀行、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行、ドイツ銀行東京支店が合意したブリッジローンにより充当される予定。
米・日モバイル業界におけるSoftBankの地位向上
今回の合意が実現に移されれば、次図に示すとおり加入者数において、SoftBankは、米・日モバイル業界において、Verizon、AT&Tに接近し、NTTドコモを大きく引き離した第3位の順位に位置づけられる。
図 米国・日本の主要モバイル・インターネットキャリアの加入者数
(2012年6月30日現在)
合意発効までの承認手続き、発効予定期日
合意発効までには、両社取締役会(承認済み)、両社株主総会、FCC等規制、監督機関の承認を要する。なお、SoftBankは、2013年半ばまでにはすべての承認を取り付けて、合意の実行に入りたいとの意向である。
新Sprintの役員構成
会長は、SoftBank会長の孫正義、CEOには、Sprint会長兼CEOのDan Hesseが予定されている。両人を含め、役員数は10名(現Sprint役員4名を含む)。
合意成立の背景(1)−SprintのCEO、Dan Hesse氏の健闘(注2)
筆者は、今回の両社の合意が実施に移されれば、Sprintが強力な米国第3位のモバイルキャリアとして再生する可能性が高いと考えている。その理由は、(1)これまでのところSprintの業績低下に歯止めを掛けることはできなかったにせよ、SprintのCEO、Dan Hesse氏の経営刷新に振るった力量が高く評価されていること(2)Don Hesse氏と彼に救済の手を差し伸べたMicrosoftのトップ、孫正義氏の相性、特に、将来のモバイル・インターネットについての楽観的な見通しについて、全く意見が一致している点にある。以下、これらの点について、より詳しく説明する。
2012年3月15日号のDRIテレコムウォッチャーで、2011年通期のSprintの決算を基にして、同社の業績分析を行い、Network Vision(米国全土へのLTE架設計画)策定までの経緯を説明した(注3)。以来、半年の年月が経過しているが、このストーリーの大筋は変っていない。
改めて、Dan Hesse氏がこれまで、成し遂げてきたSprint経営刷新の骨子を箇条書きにまとめると次のようなことになる。
Sprintの最大の誤りは、1995年、前任CEO、Gay Foresee氏が決断したSprintとNextelの対等合併、それに伴う2つのネットワークの並存にあった。この問題は、Nextelネットワークの廃止の作業が現在、着々と進行中であって、2013年末までには、終了する予定である。
顧客サービスの低下も、Sprintの大きな問題であった。しかしDan Hesse氏は、長期間にわたる施策の結果、2010年までにこの問題を一応解決した。かつてモバイル・キャリア中最下位に位置付けられていたSprintのサービス品質は、現在、幾つもの調査において、上位にランクされている。時には、常時、最高のランクを維持しつづけているVerizonと同等に位置づけられる場合もある。
Dan Hesse氏も過ちを犯した。4Gネットワークの架設が予定通り進まなかったことである。同氏は、モバイルフォンの将来は、4Gネットワークの早期架設にあることをいち早く予見し、Clearwire (モバイル通信事業者兼モバイルネットワークの再販事業者)に出資してWi-Max規格に基づく4Gネットワーク架設の準備を始めた。このスタートは、Verizon、AT&Tより早かった。しかし、内部の意見対立、さらには、Wi-Max技術に対する評価が芳しからぬことがわかり、この企画は中絶した。このためSprintによる4G構築が大きく遅れた。
Sprintは、AppleからのiPhone利用の契約取得でも、AT&T、Verizonに立ち遅れた。
現在、米国において、iPhoneは、他のスマートフォンと異なり、シンボリックな価値が付いている。すなわち、米国のカスタマーからみてiPhoneを取り扱っていないモバイル業者は、それだけでハンディを背負うという状況に置かれるのである。
しかし、2011年11月、Sprintは、ようやくiPhone販売権を獲得、この面でAT&T、Verizonと対等の立場に立った。
最後に、しかし最小でなく、Dan Hesse氏は、2012年冬、AT&TによるT-Mobile取得を断念させるのに成功した。2012年春ごろまでは、この合併案件は、多くの条件が付くにせよ、DOJ、FCCは、必ずやこれを認めるに違いないというのが大方の見方であった。Dan Hesse氏の説得力ある強硬な反対活動がなければ、AT&TはT-Mobileの取得に成功していただろうというのが、大方の見方である。
上記のように、Dan Hesse氏は、1987年にSprint/NextelのCEOに就任して以来、ほとんどの精力を前任者のミスマネージメントの尻拭いに費やさざるを得なかった。しかも、そういう状況下において、Network Vision(LTE架設計画)を資金さえ入手できれば、実施できるという段階にまで、Sprintの将来の道筋を整えたのは、同氏の力量によるものと評価すべきであろう(注4)。
合意成立の背景(2):市場規模1、2位モバイル事業者(AT&T、Verizon)と3位以下モバイル事業者との対決
ところで、業界第4位のT-Mobileも、AT&T、Verizonの圧倒的な優勢(両社で米国モバイル市場の75%を占める)の下で、必死に生き残りを策している。同社は、2012年、AT&Tに身売りする決意をしたのであるが、この計画が失敗すると再び自主路線に転換、2012年10月2日、第5位モバイルキャリア、PCS Metroと合併について合意した。T-Mobile、PCS Metroは、ともに、プリペイド加入者に対し安い料金により、低所得階層のユーザにサービスを提供してきた点で共通する。統合新会社は、LTEをできるだけ早期に架設するとともに、従来からの低所得者ニッチ市場を持続する方向で、生き残りを図るであろう。
MicrosoftによるSprintの70%株式取得が、2週間と経たない2012年10月15日に発表された事実は、両提携案件相互の密接な関係を物語る。
Sprintが資金不足問題に悩み、ここ数ヶ月来、提携相手を求め、幾つもの企業(その中にはわが国のKDDIも含まれる)と接触してきた事実は、Dan Hesse氏自身も認めているところであるが、競争相手のT-Mobileが将来展望を切り開く決断を行ったのを見るや否や、即刻、提携先をMicrosoftに絞り、同社との提携に踏み切ったと考えられる。
上記の経緯から見ると、現在、米国モバイル通信市場で進行しているのは、強い顧客基盤をベースにして、他の競争事業者を自社の市場から排除し、ユーザを囲い込むのに腐心している既存のAT&T、VerizonのMonopoly事業者2社と、この両社の攻勢に対し、自衛上、侵食されることがないよう自社の防御を図るだけでなく、バンドリング契約等により強固に囲われている両社加入者を引き抜く積極的なマーケティング戦略の策定、実施に迫られている3位以下のモバイル事業者との間の激しい競争である。
AT&T、Verizonの場合は、ここ最近、スマートフォンの好調な売れ行きにより、増収増益が続いているので、情勢は有利に展開している。しかし、3位以下のモバイルキャリアの側からすれば、業績は低下しつつあるのにもかかわらず、ネットワークに投資しようにも資金が不足する状況に追いこまれつつある。MicrosoftによるSprintの株式取得は、このようなマーケティング環境の下で考察する必要がある。
今回の合意遂行によって、それぞれ、長年の願望を果たそうと意欲十分な両社トップ(孫正義氏とDan Hesse氏)
冒頭に記した孫正義氏とDan Hesse氏による合意に際しての発言をもう一度お読み頂きたい。この発言は、Sprintのプレスレリースに掲載された英文を訳したものであるが、合意についての両氏の狙いが、それぞれ異なっている点に注目いただきたい。
Dan Hesse氏は、今回の合意により、SoftBankから大幅な資金投入(繰り返しになるが、SoftBankによるSprintの株式30%取得分、80億ドルがまるまる新生Sprintの設備投資、主として、まだほとんど進捗していないLTE架設)および、サービス改善に使用できる。この合意により、これまで資金不足の悩んでいたSprintが事業転換を成し遂げる展望が切り開けるとDan Hesse氏が述べているのは当然であろう。米国のあるニュース誌が、「Sprintに、日本から“白鳥の騎士”ならぬ“白鳥のサムライ”が、助けに馳せ参じた」と評するのも、もっともである。
これに対し、孫氏の方は、今回の合意をSprintの米国市場進出の第一歩であり、さらには、世界市場を狙うのだとの意欲を滲ませている点に特色がある。孫氏は、幾つもの記者会見の席上、モバイル・インターネットの市場の需要は、巷間言われるように、飽和になっているどころが、まだ初期段階にある。世界市場での投資機会は、いくらでもあるのだから、SoftBankは、世界市場への投資は、今回の米国市場進出を皮切りにして、ドンドン進めていくと述べた。つまり、孫氏にとって、今回の投資決定は、世界市場制覇にとっての重要な1つの過程に過ぎないのである。
米国で、2012年10月15日に行われた孫正義、Dan Hesse両氏による合意についての発表会は、幾社もの米国の新聞で、大きな見出しで掲載された。最初に、Dan Hesse氏の説明があったのだが、紙面はもっぱら、孫氏の意見で埋められた(注4)
たとえば、比較的に公正に、孫氏の発言、アナリストたちの意見を紹介していると思われるUSA Todayの記事を読むと、一般的にMicrosoftによるSprintへの投資は、ポジティブに受け取られているようである。紙面の関係で、その発言を記録するのは略するが、IDC等の調査会社のアナリストたちは、それぞれ、キャッシュ投入、SoftBankの持つマーケティング面での知見の輸入、さらには事業規模の拡大に伴う資材購入のロットの拡大によるコスト削減等の面で、多くの改善が期待されるとのオプティミスティックな見方をしている(注5)。
顧客サービスの改善と定額料金制の堅持でAT&T、Verizonに対抗する新Sprint
新Sprintは、今後、どのようなマーケティング戦略をもって、AT&T Verizonに対抗して行くであろうか。孫氏、Hesse氏のこれまでの発言からして、次の2点を中心にするだろうと推測できる。
その1つは、Verizon、AT&Tが、十分にFCCの意向を確認の上、数年の準備の上でようやく実施に移し始めたスマートフォン利用料金に対する従量制料金制度の実施(AT&T、Verizonは、それぞれ、2012年6月、8月から)に対抗し、従来からの定額制を堅持することである(注6)。
Hesse氏は、従来から、カスタマー本位の定額料金制の導入を主張し、しかも、これを実施に移してきた。孫氏も、日本において、当初、モバイル音声通話料金のタリフについてであったが、掛け放題電話料金を導入し、これにより大きく加入者数を伸ばした実績を持つ。従って、新Sprintは、今後も定額料金制料金制度を持続し、AT&T、Verizonとの差異化に努力していくであろう。
その2は、サービス品質の改善である。すでに、Sprintは、Verizonと並ぶサービス品質を達成したと自負しているのであるが、この実績を基盤としてHesse氏は、さらに、Sprintでなければ提供できないといった独自のサービスを打ち出して行くのではなかろうか。米国のモバイルサービスが、意外にスピードが遅く、通信途中の切れが多い点は、日本の比較的良好なサービスと対比して、しばしば論者が指摘しているところである。
これまで、革新的マーケティング戦略者として、実績を積んできた孫氏のことである。孫氏自身が思い切った斬新なマーケティング戦略設定を将来行うのではないかとアナリスト筋は憶測しているし、当の孫氏も、そういうこともあり得るとの意味ありげな発言をしている。
(注1) | この項はすべて、次のSoftBank、Sprint両社のプレスレリース(2012.10.5付け)によった。- SoftBank:当社によるスプリントの戦略的買収(子会社化)について
- Sprint:"SoftBank to Acquire 70% Stake on Sprint."
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(注2) | この項執筆には、http://www.mobilicom.com, "A second chance for Dan Hesse and Sprint."に負う点が多かった。 |
(注3) | DRIテレコムウォッチャー、2012年3月15日号、「Sprint/Nextel、NetWork Visionに社運を賭ける」。 Dan Hesse氏は、1971年、AT&Tに入社して以来、固定、モバイル事業に打ち込み、一時期、AT&T MobileのCEOを勤めた同氏は、識見、専門技術の分野で定評のある経営者であって、現在、米国通信業界において、指折りの経営者として評価されている。しかも、モバイル・インターネットの将来については、孫正義氏と同様のきわめて楽観的なビジョンを有している。両氏は、さるベンチャー企業の経営を機会に知り合った旧知の仲であり、孫氏は、Sprint70%株式取得後も、日常の業務運営はすべてDan Hesse氏に委ねるものと見られる。 |
(注4) | 2012.10.25.付け、http://www.usatoday.com, "SoftBank brings cash, expansion experience to Sprint." |
(注5) | DRIテレコムウォッチャー、2012年9月15日号、「AT&T、Verizon両社の業績良好の理由 - 2012年第2四半期の決算報告から」。 |
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