昭和17年の夏から秋に掛け、約3ヶ月間、病床に伏していた。小学校4年生のときのことである。外出はできなかったが、絶対安静というほど重症でもない。そこで、父の書斎から適当に好みの本を引き出し、大人の書物を読もうと決意した。
最初に手を付けたのがコーナン・ドイルのホームズものの処女作、「緋色の研究」(1886)であった。この本を読んだときの印象は今でも新鮮である。長身、皮肉屋、凡俗の警部たちの推理を小気味よく粉砕し、少数の些細な事実から鋭く事件の本質を見抜きズバリと解決して行く民間探偵家シャーロック・ホームズが颯爽と登場した最初の作品である。なんと魅力のある男だろう。時間の立つのを忘れ一気に読み切ってしまった。
引き続き、「恐怖の谷」、「四つの署名」、「パスカーヴィルの猟犬」とドイルの長編さらには、幾編かの短編を次々と読破した。
緋色の研究は、前編、後編のニ部からなる。前編は、事件開始から犯人逮捕まで。後編は、犯人自身の告白による殺人に至るまでの経緯の説明である。舞台は、米国のアリゾナ地方の砂漠地帯の描写に始まる。背景にあるのは、狂信的なモルモン教徒たちの行動である。犯人は、モルモン教徒2名に自分の恋人を奪われ、復讐のため英国に渡り本懐を遂げたという。犯行の動機を知るに及び、同情すべきは被害者ならず、犯人であると思った。コーナン・ドイルのモルモン教に対する視線は冷ややかである。当時の一般的な見方を反映してのことであろう。
「緋色の研究」以外の三編の長編でも、犯罪の背景が語られている後半部分が前半部分にもまして面白かった。たとえば「四つの署名」では、インドへ出稼ぎに行った4人の英国人労働者が、現地民による大反乱が起きた時期に、ひょんなことから、宝物を手に入れる。この山分けを巡る仲間割れが原因となって殺人事件が起った経緯が語られる。森、沼地に覆われたインドの農山村地域のエギゾチックな風景の描写が心に残った。
短編では、イタリア人、フランス人等々欧州大陸からの依頼人も登場する。ホームズが宿敵モリアッティ教授と決闘し最後を遂げたとされる場所も、スイスの山中である。読者からの強い要望に応え、コーナン・ドイルは、その後、ホームズを生き帰らせる短編も書かざるをえなくなるのだが。
日本の航空隊がマレー沖で英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールス、レパルスを撃沈し、さらに、英国のアジアにおける拠点、シンガポールを占領してから数ヶ月しか経っていない頃だった。なんの違和感も覚えず、ある意味で大英帝国を背景とした推理小説に読みふけっていたのだから、無邪気なものである。
次に、私が読んだのは、アレクサンドル・デュマの「モンテクリスト伯」(1846)であった。
将来、船長を約束されたフランス、マルセーユの有能な青年船乗り、エドモン・ダンテスが相思相愛のいいなづけ、メルセデスとの婚約披露宴式場で突然に逮捕され、マルセーユ港外、断崖絶壁の孤島にある重罪人用監獄、シャトウ・ディフに終身禁固の刑に処されてしまう。投獄されて、5、6年の年月が経ち、独房の中で悶え苦しみ半狂乱に陥りかけたところ、脱獄を試み誤った方向に穴を掘ったため、忽然と姿を現した隣室独房の囚人、ファリア法師との出会いにより、ダンテスの運命はガラリと変わる。ダンテスの脱獄、16世紀のイタリアの大貴族スパダ家の莫大な資産(宝石類)の入手により、モンテクリスト伯としての将来の大活躍の道が開けたのである。
まず、老年に差し掛かっているファリア法師が、レオナルド・ダビンチもかくありなんと思わせる学識、実用の知識を駆使して脱獄に必要な用具を調えるとともに、ペン、インクも作り出し、シャツに細字で著述をするという不撓不屈の生き様に感嘆した。人間とは、素晴らしい能力を発揮できるものだなと発奮した。この部分は、再三再四熟読した。
ファリア法師は、ダンテスから投獄されるに至るまでの経緯の説明を聞いて、即座に彼の受難の原因を解き明かしてくれる。ダンテスは、動機こそそれぞれ異なるにせよ、彼を隔離する必要性について共通の意図を持つ3人の男(ダンテスの同僚だったダングラール、婚約者メルセデスの従兄弟のフェルナン、ダンテスの取調べに当たった検事のヴィルフォール)の策謀により、無実の罪を着せられたのだと断定する。ダンテスは怒りに燃え、固く固く三人への復讐を誓う。
牢獄から奇跡の脱出をし、ファリア法師の遺言の指示通りモンテクリスト島に隠されていた財宝並びに爵位を手に入れたモンテクリスト伯爵はパリにおいて、謎の出自を持つ大富豪として社交界の寵児となる。実業界、軍隊、司法界において、それぞれ最高の地位を得ている宿敵三人を、巧みに没落に導いて行く。
この後半部分で、僕が最も感銘を受けたのは、今は、モンテクリスト伯爵、モルセール伯爵未亡人となったダンテスとメルセデスが、モルセール伯爵の豪邸において、生木を裂かれるようにして両人が引き裂かれた後20数年後を経て、別離以来の苦労、悲しみを語り合うしめやかな場面であった。メルセデスは、ダンテスが脱獄に失敗、生きながらにして袋に包まれたまま海中に投じられ無残な最期を遂げたとの噂を聞いてから、10年以上にもわたって毎晩、この光景を夢に見たとダンテスに告白する。少しおおげさな表現にしても、情愛が深かったもの同士の別離には、確かに起こりうる体験ではなかろうか。
孤島での長期の独房生活、脱獄、密輸入者や山賊たちの逞しい生き方、大富豪たちの豪奢な生活、政界、実業界、検察すべての上流社会に広がる腐敗、それに、周到に準備された下手人が察しされない大復讐。豪華絢爛な大活劇が次々と起こる。モンテクリスト伯は、読者を楽しませるロマンのすべてが含まれている。本書読了以来、様々の伝奇小説を読んだが、モンテクリスト伯に匹敵するものはなかった。
最後に読んだのは、ヴィクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」(1862-1864)だった。
この本は難物であった。最初から、ミリエル司教の経歴、性格の詳細な描写が続く。この箇所は、最初の数ページで放棄、第2章のジャン・バルジャンが長期間の服役を終えて異様な服装で、食事、宿を求めて、街中をさまよい歩くという有名な箇所から読み始めた。主人公、異様な姿でのジャン・バルジャンの登場である。
町の人々の冷たい刺すような視線を全身に浴びて、どこにいっても食事・宿泊を拒否される。怒り狂い町中をさ迷い歩くジャン・バルジャンの記述の箇所は、圧倒的な迫力で僕を打った。次いで、宿泊、夕食のもてなしを受けた挙句に、銀の燭台を盗みという悪行を働いたジャン・バルジャンを庇い抜いて、今後の更生を説くミリエル司教の底知れない人 間愛にも感動した。畏怖すら覚えた。
ユーゴの該博なフランスの歴史、ワーテルローの戦いの詳細な記述などは、適当にスキップして興味のある箇所、理解できる箇所を拾い読みするしか仕方がなかった。しかし、パリの恐ろしい地下道を負傷したマリュースを抱え、歩き続けるジャン・バルジャン。苦難の生涯を過ごしたジャン・バルジャンが、愛する養女のコゼットと彼女の婚約者、マリウスの2人の愛情溢れるまなざしの下で、安らかに、息を引き取る最後の場面もありありと覚えている。子供向けのダイジェスト版を読むよりは、はるかにレ・ミゼラブルを理解していたと思う。
題名レ・ミゼラブル(惨めな人々)が示唆するとおり、この書物のテーマは、なによりも、“貧困”である。さらに、今ひとつのテーマは、その貧困を解決しないまでも、緩和するのに、大きな役割を果たす人間愛である。これでもかこれでもかとリアルに事実を列挙し、読者を説得する作者ヴィクトル・ユーゴの熱意には、脱帽するばかりであった。
今回、レ・ミゼラブルを新しい訳者の訳書(新潮社文庫の佐藤 朔訳)で精読した。少年期に読んだ豊島義雄氏の訳本より読みやすくこなれている。改めてこの本の奥の深さを思い知らされた。少年期にスキップした筋書きとは一見、無関係と思われる箇所が、いかに重要であるかを思い知らされた。長い文筆活動の後期に書かれたこのユーゴの大作には、19世紀最大のフランスの詩人、小説家の思想、信条のすべてが投入されている。また、王党派から、ボナパルティスト(ナポレオン崇拝者)、さらに、共和派へと立場を変えたユーゴの思想遍歴のすべても盛り込まれている。70年ぶりに、この傑作をようやく完読できたのは、本年夏の大きな収穫であった。
ついでながら、ユーゴは、ワーテルローの戦いについて独立した章を設け、ナポレオンは、1815年にその歴史的役割を終え、負けるべき戦を負けたとの結論を出している。ところが、偶然の要素が作用して、勝つべき戦争に勝てなかったとも論じている。援軍のブリュヘル将軍の到着が雨天のため数時間遅れたとか湿度が高かったため、ウェリントン軍より優勢だった大砲の威力を十分に発揮できなかったとか。
ユーゴーは、終生、ナポレオンの魅力から逃れられなかった人のようである。少年期に、皇帝としてのナポレオンの統治を体験し、父親がナポレオンに仕えた陸軍の将軍だったのだから、この感情は自然である。彼は、後年共和党左派として、国会議員にもなるのであるが、その実、心情的には、ボナパルティスト(ナポレオン崇拝者)として留まったのである。
上記3冊の本の読書は、私に非常に大きな影響を与えた。第1に、大人の本を読み理解できたという自信である。第2に、人間は努力すれば凄いことができるのだなという自覚である。この自覚は、自分で考え、自分で行動しなければならないという自律の精神と結びつく。第3に、肉親愛、結婚愛を始めとして人間は愛情なくしては生きられないという事実を教えられたことである。たまたま、母を亡くし、祖母が私の母親代わりをしてくれていた心情不安定の時期であった。3冊の本で表現される様々な愛情の姿には、かなりの程度、感情移入することができた。
この3冊の書物の読書は、私にとっては、知的ルネッサンスの経験を意味した。その後、小学校高学年の2年間と半年足らずの中学生の期間。戦時中の苦難の時期を過ごすのであるが、1945年8月15日の敗戦は、さほどのショックにはならなかった。戦時中の鬼畜英米のスローガンは、密かに筆者の内心に宿された西欧崇拝の信条を覆すことは、できなかったのである。
それにしても、タイムリーにこれらの本を病臥という絶好の環境で、良書にめぐり合えたのは、幸せだった。自分で選択したと思っているのだが、案外、父が筆者の目に付き易い場所に並べて置いてくれたのではないかという気もする。
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