国会の原子事故調査委員会は、2012年7月6日、福島原発事故についての最終報告書を提出した。
4大紙を始めとするわが国のマスコミは、翌7月7日、この報告書の要旨を大見出しで報道した。朝日、日経に掲載された要旨を一読しただけであるが、わが国において史上最大のこの事故についての歯切れのよい原因追究は、論旨明快、核心に迫っており、右顧左眄、当たり障りのない説明、提言を並び立てる通常の政府報告書に比し、格段の出来栄えであるとの印象を受けた。
また、この報告書では、規制機関と電力事業者の関係について次のような記述が見られ、この通常、見掛けない表現がとりわけ読者の注目を惹いたようである。
「規制する立場とされる立場との逆転現象が起こり、規制当局は電力事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視、監督機能が崩壊していたと見ることができる」。
ところで、「虜(とりこ)」という単語は、英語のcaptiveあるいは、captureの訳語であって、米国企業の規制に多少とも通じている人にとっては、周知のはずである。
提唱者は、ノーベル賞も受けた米国の経済学者、George J Stigler氏(1911-1991)。氏の著書、”Theory of Economic Regulation”では、この概念を“規制機関を虜にしている被規制事業者の命令を受けて、規制を行う被規制事業者は、規制機関を利用して、競争を妨げる”と定義している(注1)。
さらに、Wikipediaの“Regulatory capture”の項目の冒頭に記された定義 ― 必ずしも、正確である保証はない ― は、以下のとおりである(注2)。
「規制の虜(regulatory capture)は、公益に資する目的で設立された州の規制機関が、規制対象である支配的事業あるいは特殊権益を推進する現象を指す。規制の虜は、大企業を利する役割を果たし、負の外部性(negative externality、筆者注:当該企業の効率性を低め、その負担を企業外部に回してしまうこと)を生み出すから、“政府の失敗”の一例である。当該規制機関は、“虜にされた規制機関”と呼ばれる。」
さて、話を米国に移すと、米国のFCCも、規制する電気通信事業者の虜にされているとの批判をしばしば受けているのである。
FCCは、果たして規制するキャリアの虜にされているのであろうか。本文では、この問題を論じてみたい。
FCCが、規制対象である電気通信事業者の虜にされているとの批判の事例
事例1 FCC委員MeredithAttwell Baker氏、Comcastへ天下り(注3)
2011年5月、FCC共和党委員のMeredith Attwell Baker氏は、Comcastに入社を勧誘されたからという理由で、任期半ばに辞任した。Baker氏は同年1月、当時Comcastが申請していたNBCとの合併案件を積極的に弁護、無条件でM&Aを実現すべきだと積極的な発言を行っていた。Comcastへの天下りは、それから僅か数ヶ月後の出来事であった。
ジャーナリズムは、こぞってこの案件を取り上げ、Baker氏は、FCCに在職中に特別の恩を売っていたからこそ、Comcastにスカウトされたのだとか、FCCは、規制過程を通じて委員の就職先斡旋をしているのだとか、様々の噂が飛び交った。当然、これは、FCCがComcastに虜にされている証拠だと憶測する向きもあった。しかも、Baker氏は、ゆくゆくは、Comcastの政府関係担当、副社長のポストを約束された。大企業で政府担当副社長といえば、ロビイストを指す。
当人が在職中に関与していた企業にFCC委員が就職することは、就職後の多少の制約要件(一定期間、在職中の仕事と関係のある職に、携わらないこと等々)を満たせば、FCC規則に抵触しない。しかし、FCCだけでなく、国家公務員、政府機関にある人の天下り(米国では“回転ドア”といわれている)に対する批判は、米国でもきわめて強い。オバマ大統領は、2008年の選挙運動のさい、“回転ドア”を強く批判し、就任後は、厳しい倫理綱領を設定してこの悪しき慣行を打破すると約束した。
しかし、当のAttwell氏は、“私はこれまで、FCCにおいて、軽い規制こそが公益に資するとの信念に基づき、職務を遂行してきた。Comcastと私の間には、たまたま、職務上、Comcastに対する規制案件を取り上げたということ以外、関係はなにもない”と、弁明した。
事実、問題のComcastとNBCの合併案件は、4対1の多数決票決で承認されている(注4)。共和党委員であるBaker氏が、仮に反対票を投じていたところで、FCC裁定の結果に影響はなかった。つまり、Baker氏がFCC在職中、特段、Comcastに便宜を図ったという証拠はなんらない。
というわけで、きわめて、短期間のジャーナリズムによる攻撃の後、Baker氏は、意気揚々とComcast入りを果たした。早晩、成長企業Comcast-NBCを代表する気鋭のロビイストとして、政府機関、議会に颯爽とその姿を現すのだろう。
オープン・ネットワークの規則制定で、AT&T、Verizonの虜になったと批判されるFCC(注5)
市民派の側に立つメディア情報紙、AlterNetは、2011年1月8日、FCCはAT&T、Verizon始めとする大手電気通信キャリアの虜になっているとのセンセーショナルな見出しの記事を掲載した。
この記事は、FCCが相互接続料金(具体的にはSLC料金)の引き上げおよび、オープン・インターネットについての意思決定について、これら大手キャリアの圧力に屈したと主張している。
ただ、この記事では、FCCが、キャリアに虜にされたという証拠が提示されておらず、到底、一般の読者を納得させる説得力はない。
SLC引き上げの件(2000年当時の出来事)では、大手市外電話連合(AT&T、Verizon、Sprint等)による圧力団体、CALLS(Coalition for Affordable Local and Long Distance Coalition)の活動に触れられているだけのことである。また、2011年末に,ようやく一件落着したオープン・ネットワークの規則制定について、Alter Netは、“FCC委員長、Genachowski氏は、AT&Tの利害が満たされない限り、この規則制定は実施できない”と述べたとのペンシルバニア大学、Tim Wu教授の証言を引用している。Genachawski発言こそが、FCCがAT&Tに虜にされている決定的証拠だといわんばかりの論調であった。
筆者は、この案件については、当初から経緯をある程度、フォローした経験があるだけに、Genachowski氏の心中をあるていどは理解できるつもりである(注6)。
Genachowski氏は、多少の規制色を伴ったオープン・インターネットを主張する大口ユーザ(急先鋒はGoogle)、これに反対するIP事業者(AT&T、Verizonを含む)、さらには、インターネットの規制権を強く主張する民主党上院議員の3者の利害調整に、精魂を使い果たした挙句に、FCCの意見になかなか応じないAT&Tの頑強な姿勢に、愚痴をこぼしたということなのであろう。
完成したFCC裁定文は、上院、大口インターネットユーザ、大手IP事業者のそれぞれの利害を調整した妥協の産物(それだけに、決して定まった論理が貫徹しているというほどの出来栄えの良い代物ではないが)であることが、明らかに看取できる。
FCCと規制対象の電気通信事業者との関係はきわめて親密、しかし、虜の関係ではない
上記2件の事例は、FCCと被規制事業者間の親密な関係を示すものであることは、否定できない。しかし、George J Stigler氏が定義した意味でのcaptiveな関係(規制される企業の側が、規制するFCCより強い実力を持ち、規制過程、規制の決定を牛耳ってしまう関係)ではないと考える。
FCCの職員は、法律、経済、エンジニアリング等の分野のエクスパートである。少なくとも、筆者が多少知識を持っている事業者の規制、M&Aの分野では、FCCは、案件の調査を開始し裁定を下すまでの過程で、意見聴取、資料提出等企業との接触の機会が多いことは確かである。こういう過程を通じ、担当者同士の関係は、親密になることは自然の成り行きであろう。しかし、FCCは、最終的には、裁定、FCC規則制定の形で締めくくりを付ける。FCCスタッフの作成する報告書は、法律的に過ぎるとの批判は強いものの、枠組みの設定、用語の定義、論理構成のいずれを取っても精緻であり、流石に専門家集団の仕事だけのことはある。この意味でFCCは、規制する企業の支配を受けているとは言えない(注7)。
ただし、FCC、被規制企業との関係は、すでに述べたとおり、場合によっては、緊密であるといいえよう。人の交流、金銭のやり取りは無いから、癒着関係であるとの批判はあたらないと思うが。
天下りの件は、前述のBaker氏の件だけに留まらず、2011年5月には、元FCC委員長(共和)、Michael K Powell氏がNTCA理事長に就任した。この時にも米国のジャーナリズムは、大きく批判の声を上げたものであった。
NTCA(National Telecommunications Cooperative Association)といえば、米国ケーブルテレビ業界を代弁する業者団体であり、Powell氏の主な仕事も、Baker氏の場合と同様、ロビイストである。ロビイストという語が与える印象は、わが国では相当にダーティーであるが、米国では、むしろプラスのイメージがあるのかもしれない。
規制機関と被規制事業との間の親密な関係(特に天下り)を批判するのは容易ではあるが、FCCは裁判所と異なって準司法機関であり、被規制事業の細部に至って、調査をしなければならない点も考慮しなければなるまい。
ただ、職員2000名弱、年間予算約3.5億ドルという規模を有する巨大組織であるために、経費に見合った成果を挙げているかどうかについての批判は、米国議会では絶えず起こっている。FCCの組織改善、効率アップを求める議員法案も、毎年といっていいほど提出されている。しかもこれまで、法案が上下両院において可決された例は、近年一件もないようである。
FCCとは、まことに特異な規制機関ではある。
(注1) | http://www.ecomlic.org, "The Concise Encyclopedia of Economics,George J.Stigler." |
(注2) | http://en.wikipedia.org,”Regulatory capture”
なお、この定義において、規制の虜が、“州規制機関”にのみに限定しているのは、wikipedia本文において、ICC(州際商業委員会)、FAA(連邦航空局)、FCC(連邦通信委員会)など10を超える連邦独立委員会における実例を紹介している点からして理解し難い。連邦の規制機関にも、当然に適用されるものと読み替えて頂きたい。 |
(注3) | この件については、数多くの新聞、ネット情報の資料がある。 ここでは、本文に主張の骨子を記したBusiness Insiderの記事2件を紹介するに留める。 2011.5.18付け、 http://articles.businessinsider,”Outrage of the Week :FCC Attwell Baker Cashes in." 2011.5.11付け、 http://mediadecoder.blog.nytimes.com,”FCC Commissioner Leaving to Join Comcast." |
(注4) | DRIテレコムウォッチャー、2011年2月1日号、「NBCU(大手放送コンテンツ企業)の取得により、総合メディア企業へと脱皮するComcast」。 |
(注5) | 2011.1.8付け、http://www.alternet.org, "How AT&T, Verizon and the Telecom Giants Have Captured the Regulator Supposed to Control Them." |
(注6) | DRIテレコムウォッチャー、2011年1月15日号、「FCC、オープン・インターネ
ット規則を制定:訴訟を引き起こすことは確実」。 |
(注7) | DRIテレコムウォッチャー、2012年4月1日号、「厳しい批判を受けるFCC委員長Genachousi氏」。 |
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