DRI テレコムウォッチャー


米国債務法制定の過程とそのインパクト
2011年8月15日号

 今回は、米国において2011年8月2日に制定された米国債務法の意味するところを紹介する(注1)。7月の下旬から8月の上旬に掛けて米国政府の債務を上積みする問題の解決が難航し、大きな政治問題になった。8月2日、上下両院が、財務省通告のデフォルト期限ぎりぎりの時点で、オバマ大統領の署名が得られ、ようやく解決するとの経緯を辿った。
 ところが、その3日後の8月5日、米国大手格付け会社、S&Pが、突如、米国国債の格付けを1ランク引き下げるという異例の事態が生じた。このため、米国経済の先行きに不安を感じ、米国のみか欧州、わが国に至るまで、株価を大きく引き下げるという波及効果が生み出され、市場は大混乱している。
 執拗といえるほどに、連日、この問題を追及した米国のメディアは、ニューヨークタイムス紙であった。そこで、同紙の報道を資料として、筆者なりに共和党と民主党の妥協の内容、この妥協に至った経緯等を以下に紹介する(注1)。
 ニューヨークタイムス紙を主とし、参照した資料は数多いので、原則としていちいちの引用は省略させて頂いた。


米国債務法の骨子

 米国下院、上院における法案可決を経た後、オバマ大統領の署名により2011年8月2日に発効した米国債務法案の骨子は、次のとおりである。

  • 10年間にわたり、予算を2.4兆ドル削減する。なお、削減額のうち、約0.9兆ドルは、内容がほぼ固まっている(すでに、副大統領バイデン氏が主導した両党議員による協議により、削減内容が決定)。
  • 残り1.5兆ドルは、別途設定される両院議員からなる特別委員会(Joint Select Committee On Deficit Deduction)が、本年11月23日までに議会に勧告し、決定は議会が行う。
  • 上記委員会で、合意が整わなかった場合は、(1)その金額の部分についての負債増額ができなくなるか、(2)あるいは、政府が、防衛費、メディケア(Medicare)の両費目を中心として、1.2兆ドルの予算を削減する決定権を持つ。(防衛費は共和党が、また、メディケアは民主党が、削減にもっとも難色を示している項目である。つまり、この項目についての政府決定に委ねられるのが厭なら、委員会の両メンバーともに、妥結に努力すべしとのインセンティブが働く効果を予期して、設けられたものである。)委員会のメンバーは、上院、下院からそれぞれ6名ずつ選出され、計12名の委員から構成される。
  • 政府負債の増額は、第1回分(0.4兆ドル)は即座に、また、第2回分(0.5兆ドル)は、2012年2月に行われる。残りの負債増額は、予算削減が実施されるに応じて、積み上げられる。

法律制定までの過程

米国議会による債務上限額設定の慣行と2011年における限度額の枯渇
 米国では、政府が負う債務限度額は、議会が承認する慣行が定着しており、この限度額設定は、これまで、幾度となくルーティーンとして行われてきており、特に問題が生じることがなかった。
 米国財務省は、2011年5月、政府に、現在の債務限度額、14.29兆ドルは、8月2日に枯渇するので、その日までに、議会から限度額の追加について承認を得るよう政府に要請した。

両院協議会、最小限の予算縮減について合意
 予算の縮減について、徹底的な“小さな政府”を提唱する茶会派を抱えている共和党が、より積極的であった。また、オバマ政権としても、イラク・アフガンへの出兵のための戦費、リーマン・ショック後の景気浮揚のための政府の再生資金支出等により、国債発行高が大きく膨張している折から財務限度額引き上げを議会に要請する機会を捉え、適正な予算編成を検討すべき時期に来ていた。
 そこで、Beiden副大統領を長とする政府と下院・上院のリーダによる協議会が開かれた。しかし、この協議会では、0.9兆ドルの歳出減額について協議が整っただけで、協議は中断された。協議不調は、主として、富裕層に対する課税比率引き上げについての共和党の非妥協的な態度にあった。オバマ大統領は、ブッシュ政権時に暫定的な措置として設定された富裕者所得者に対する低い税率の引き上げを強く望んだが、共和党は、これに強く反対した。
 共和党の強硬姿勢については、共和党右派茶会党の強硬姿勢が大きな原因となっている。茶会派は、政府予算について、負債の増額、増税、増収を一切、認めないことし、予算削減額、4兆ドルを固く主張して、民主党との交渉に当たったBoehner氏を突き上げた。これが、交渉を長引かせ、妥結内容に、幾つかの茶会等の要求を入れ込む結果となった。

難航、不成立になった下院委員長、Boehner氏提案の後を受け、トップ会議の後、ようやく米国債務法律は制定へ
 2011年7月20日あたりから、米国議会の下院、上院で、政府財務をどのように増額するかについての法案の準備が本格的に行われ始めた。民主党、共和党がそれぞれマジョリティーを持つ下院、上院の考え方の隔たりは大きく、7月28日に至っても、上院、下院ともに、なんらの法案を提出していない状況であった。果たして、8月2日のデッドラインを守れるか否か、懸念されたほどであった。しかし、米国国庫がデフォルト(支払い不能)になるという危機を何とか防がなければならないというドライブは、議員たちに大きな圧力となり、8月2日、債務法案は、下院、上院で採決、可決の上、大統領に提出され、大統領の署名を得て、法律となった。
 法律制定の立役者となったのは、下院委員長Boehner氏(共和党)と上院院内総務Harry Reid氏(共和党)であった。また、7月29日、下院で可決された法案が、数時間後に上院で否決された後、下院、上院で協議が決裂状態にあった後、上院と下院のコミュニケーションを復活し、両院代表とオバマ大統領のトップ会談に持ち込んだ功は、上院の共和党リーダ、Milch McCornell氏に帰すべきである。同議員の努力がなければ、オバマ大統領が大統領特権を行使し、国庫よりの特別支出を命令するとの異常事態が生じていたであろう(もっとも、共和党との屈辱的な妥協を選ぶより、オバマは特権行使をするべきであったという民主党議員、民主党支持の評論家は、数多い)。
 総じて、今回の債務法制定に当たっては、共和党リーダの活動が目立つ。冒頭に、法律の骨子を紹介したのであるが、この内容も構想(2段構えで、負債増、経費削減の処理を行うこと、経費削減の一番難しい問題は、別途設置される特別委員会で処理すること等)も、すべて共和党のアイディアによるものらしい。極論すれば、今回の法律は、共和党の意のままの法案に、オバマ大統領がサインしたに近い内容のものだとも言える。また、歳入縮小の内容は解決が見送られ、特別委員会に先送りされた点にも注目すべきである。


民主党の完敗、後味の悪い共和党完勝、力を見せ付けた茶会派

 8月2日の債務法制定を米国上院、下院の議員連中は、どのように受け取ったか、また、債務法制定の意義をどのように理解すべきかを以下に記す。

  • 債務法案は、下院で賛成269票対反対161票、上院で74票対26票で可決された。民主党の政策運営を根本的に変えてしまったこの法案に対し、一見、民主党員の賛成(特に、民主党がマジョリティーを占める上院で)が多いように思われる。しかし、これは、Beiden副大統領が、個別に民主党議員を説得したことによる。“デフォルト”を避けるためには止むを得ないとの論理が説得力をもったのである。しかし、共和党の反対も多かった。その大半は、まだ削減額が少な過ぎるとする共和党右派(茶会党員およびその同調者)から入れられたものであろうが。しかし、一部は、政府財政をあまりに一挙に切り詰めるべきではないとの、穏健派議員たちの投票であったと見られる。
  • 債務法案の成立は、共和党にとって一大勝利であった。米国財政を今後、縮小傾向に導く方向を決定してしまった。そればかりか、今後の財政縮小の財源についても、民主党が強く望む「減税」、「防衛費の大幅削減」については、反対を表明し、それどころか、法律で実施が定められている年金、社会保証費、健康保険費(Medicare、Medicaid)についても、“聖域化”から除外した(これらはすべて、今秋以降、特別委員会で議論されることになる)。
  • 下院委員長のJohn Boehner氏は、法律制定後、“この法律制定は、これまで20年間のうち、最大のショットだった”と喜びを語ったが、同時に、“次にわれわれが、目指すのは、憲法改正におるバランスド・バジェット(歳入、歳出の均衡化)の制定である”と将来の目標を語った。しかし、折衝に当たったBoehner委員長、Milch Mccornell氏からすれば、茶会党の関与がなければ、これほどまでに、民主党を追い込むべきではなかったとの後悔を感じたはずである。また、想像以上に暴走する茶会に、脅威も感じたはずである。共和党にとって、いわばほろ苦い勝利であった。
  • 民主党の大敗は、いうまでもない。そもそも、民主党の存在理由は、米国民の福利厚生の維持にある。経済が悪化しつつある状況にあって、今後、まずまず、福祉政策の充実を計らなければならないと考えていた矢先に、その手段である支出枠の大幅な縮減を強制されてしまったのであるから、大方の民主党議員たちが、失望落胆を通り越して、茫然自失している状況に見受けられるのも無理はない。
  • 当然のことながら、オバマ大統領の評価は下がっている。民主党若手議員の中では、オバマ大統領が、今のままで次期民主党大統領として適任かどうかの論議まで生じているほどだという。オバマ氏は、いつもクールで穏やか、これまでも、幾多の危機をそれなりに乗り越え、それほど人気を低めないで1年半を超える任期をこなしてきた。それだけのカリスマ性を備えている優れた政治家なのである。それにしても、今回、オバマ大統領が債務交渉で見せた折衝力の欠如には、驚かされた。

 さなきだに窮地に陥ったオバマ大統領を襲ったのは、S&Pによる米国国債格付け引き下げというハプニングであった。最後にこの問題に触れる。


格付け会社S&P、米国国債を一段引き下げ

 債務問題がようやく解決された数日後の8月5日、S&P(米国大手格付け会社の1つ)が、米国国債の格付けをAAAからAA+に引き下げるという、次のようなショッキングな声明を行った。
 “去る8月2日に行われた政府負債削減計画は、米国の負債問題を解決するには不十分であること、また、オバマ政権の政策決定が、現下の米国経済問題と取り組むに当たり、必要とされる程度まで安定していないし、効率が良くもない”というのが、格下げ理由であった。
 さらに、S&Pは、“今後2年間で、歳出の削減、利子率の高騰、財務上の強いプレッシャーに歯止めを掛けることができず、政府債務が上昇の軌道方向を示す場合には、国債格付けをさらに一ランク落として、“AA”にすることも起こりうる”と警告している。
 オバマ大統領はS&Pの発表に対し、8月8日、早速、声明を発表し(1)S&Pの米国国債格下げ理由は、米国政府の財務自体が悪いというのではなく、負債額の増を決定するに当たり政党間の意見の差異を埋めるのに期間が掛ったという態勢の問題であること(2)米国国債はこれまで、終始AAAを保持してきたし、今後も保持し続けるであろうと回答した(注2)。
 しかし、大統領の声明にもかかわらず、S&Pの国債格付け引き下げは、金融関係者から、米国経済の先行き不安を示したものと受け取られている模様であり、以来、株価は、乱高下を続けながら、低下の傾向を続け、今日に至っている。


将来予想

 最後に、ほんの数点、今回の米国債務法がもたらすインパクトについての筆者の予想を記しておく。

  • 既に、特別委員会のメンバーが決まり、秋には1.5兆ドルの削減について議論が始まる。しかし、同数の民主・共和両党の委員が出し合う意見が多数決を形成することは、まず見込めない。結局、合意が成立しなかったときの条項が適用され、かたや軍事費、かたや社会政策的経費(Medicare、Medicade、国民年金なと)が削減されるという結論になると思われる。そもそも、すでに、オバマ政権は、選挙前までに、失業者をこれ以上増やさないため、相当の財政資金を投入する必要に迫られているが、この政策は、債務法の趣旨に反するはずである。筆者は、後世、財務法は、デフォルトを阻止するため、茶会派の突き上げを受けた共和、民主両党が組み立てた、実現不可能な“平和協定”であったと批判されはしないかと危惧している。
  • 次回選挙で米国国民が共和党を選ぶか、民主党を選ぶかという選択が、益々、難しくなりつつある。しかし、さればといって、茶会派を抱えた共和党の推進する“小さな政府”実現がもたらす効果の怖さも、相当に認識されつつある。献身的な共和、民主支持派は別として、独立層は、他党よりはましだという消極的な投票行動を取ると考えられる。
    茶会派を中心とする共和党の右派の行動は強烈であり、共和党主流派は、今後、同派と距離を置かざるを得なくなろう。なにしろ、Beiden副大統領が、彼らのことをテロリストと呼んだとの話題が、一部、ジャーナリズムで報じられたほどであるから(注3)。
  • 結局、米国だけではなく、経済不況下において、財政収入が落ちてくると、その配分を巡って政党間で争奪戦が深刻化してくる。一挙に、政府予算の規模を縮小すべきだという茶会党の勢いが増し、猛烈果敢な政治行動により、思いも掛けない効果を及ぼしたというのが、今回の事件の根本原因であるようである。


(注1)8月15日は、戦中の記憶が未だ鮮烈に残っている筆者には、特別の日である。このため、これまでも、8月15日号には、本論であるIT・電気通信から離れたテーマを紹介したことが、数回あった(たとえば、DRIテレコムウオッチャー、2010年8月15日号、「アフガニスタンと既視感」)。
今回の論説もそのひとつである。米国債務法制定の余波は今後も続くであろうが、この問題についての言及は今回限りである。
(注2)S&Pは、2011年以来、米国債を格下げする可能性があるとの警告を幾度も発している。
米国財務省ももちろん、S&Pとの接触を直前まで続けていたはずである。それにしても、同社だけが、前代未聞の米国債格下げに踏み切ったのはなぜであるか、疑問も残る。
(注3)2011.8.1付け、http://www.politico.com、"Sources: Joe Biden likend tea partiers to terrorists."
7月31日、上院民主党の秘密会合で、まず、Mike Doyle議員が、“われわれは、テロリストたちと交渉していたのだ。小グループのこれらテロリストたちが、今後、いかなる金の支出もできなくしてしまった”と述べ、これに対し、Beiden副大統領が、“彼らは、テロリストのような行動をした”と相槌を打ったという。


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