情報機関による米国人、外国人に対するWiretappingの実施の規則を定めたFAA法(FISAの改正法)が制定されたのは、Bush政権末期の2008年7月のことであった(注1)。
就任100日目を68%という高支持率の下で迎えたObama大統領は、経済不況の克服、2つの戦争(イラクおよびアフガニスタン)の終結、国民皆保険実施等々難問を数多く抱えており、多分、同氏の脳裏では、Wiretapping問題の解決は、優先順位が低いかもしれない。
しかし、最近、Russell Ticeという強力な告発者が商業テレビの場で、ブッシュ政権下での大掛かりな市民に対するWiretappingの実施状況を暴露したし、この現象に危機感を募らせたかのように、司法省は、カリフォルニア連邦裁判所に対する指示書のなかで、情報機関は、テロとの戦争のためなら、現行法を無視して所要の令状抜きWiretappingを実施できるとのまことに強権的な法律解釈を行っている。
実のところ、ジャーナリズムの主流は、現在、この案件をほとんど取り上げてはいない。2005年12月に、スクープ記事により、令状によらない米国市民に対するWiretappingについて警鐘を鳴らし、以来この問題を追跡しているニューヨークタイムズにしても、最近の報道はかなり控えめであって、ただ、FAA制定以降も一般市民に対するWiretappingの件数は増えており、司法省内部で対策を講じているとの記事を掲載したに留まっている。
ただ、市民団体、一般市民、一部の国会議員たちの令状なしWiretappingに対する懸念、この現状を是正するための対策(主要な議論は、FAA法のさらなる改革)の必要性に対する熱意は、沈静してはいない。Obama政権は、Bush政権のWiretapping政策を継承しているのかとの非難が、中小ジャーナリズムから、大きく浴びせられている。
人権派の市民活動家としてスタートし、大学で米国憲法を講義した経歴を持つだけに、また、選挙運動中は、前Bush政権の人権無視を強く批判してきたゆえに、Obama大統領としては、この案件を放置するわけには行かない。最近の記者会見でも、同氏はある程度の見解発表を行ってはいる。しかし、その発言は、きわめて微温的、現状維持的であって、Obama大統領は、果たして、多くの米国市民に対し実施されているWiretapping疑惑の解消と、その対策を真剣に考えているのかどうか、疑わしいとすら感じられるほどである。
以下、本論では、上記の詳細を説明する。
新たな告発者、一般市民に対するWiretappingは広汎に行われていると証言
2009年1月22日、Russell Tice氏(長年、NSAに勤務したが、2006年にNSAを辞任し告発者になった人物)は、MSNBCのテレビ番組に登場し、米国で行われている政府情報機関による一般市民に対するWiretappingの状況について説明した(注2)。
Russell氏の説明の主要点は次の通り。
- NSAは、すべての米国市民の情報にアクセスできる。ファクスも電話も、インターネットも。カンサス市にいようが、中西部にいようが、外国通話をしたことがあろうがなかろうが、関係はない。情報機関は、米国市民のすべての通信を監視できる。
- 情報機関が情報を集めているターゲットとしては、特に、ジャーナリスト、報道機関がある。
- 情報機関は、上記の情報をクレディットカード情報(米国では、情報機関はクレディットカード情報に容易にアクセスできるらしい)やその他の金融情報とを結合している。
- 幾万もの米国市民の情報が、NSAに蓄積され保管されている。これら市民のほとんどは、テロ組織と接点をもっている人物ではない。
- たとえば、特定の市民が会話の中で、"Middle East" という単語を使ったとする。すると、彼は、"テロリストになる可能性あり"(potential terrorist)に区分けされてしまう。
Bush前大統領は、情報機関がテロ活動のための情報収集活動と関連して、米国市民の令状無しWiretappingを行った事実を認めた。しかし、Russell Tice氏が暴露したような広範囲なワイアタッピング行為は、大統領はもちろん、情報機関の誰しもが否定するところである。
そもそも、令状によらないWiretappingが米国の政府、議会、マスコミを巻き込んだ大きな問題に発展したことについては、内部告発者Mark Klein氏(元AT&Tの従業員であって、AT&Tが情報機関からの要請を受けて、大幅なインターネット等の通信情報のアクセスを可能にする施設を提供することを暴露した)の登場による点が大きい。今回のTice氏の告白は、これまでのMark Klein氏の情報に加えて、情報機関の内部側から、(1)Klein氏の証言の正しいことを確認(2)情報機関の情報収集のターゲットがどこにあるかの一部を暴露した点で、大きな意味を持つ。
同氏が、Obama大統領が就任して2日後に、商業TVの場を借りて、上記の告発を行ったことは、注目に値する。同氏は、FBIから付け狙われている、いわば半ばお尋ね者の身である。新政権のWiretapping政策の変更に期待して、これまで小出しにして来た情報を大きく公言するに当たって、この時期を選んだに違いない。Tice氏は、これまでにWiretappingに関する情報提供について、議会の公聴会で発言したいと幾度も申し出ているそうである。
米国司法省、政府の令状なしWiretappingに対する訴訟の取り下げを指示
− 政府の国家機密保持特権を最大限に強調
2009年4月3日、米国司法省は、EFF(Electronic Frontier Foundation、人権擁護を目的とする非営利団体)がNSA、大統領、司法長官、情報局長官に対して提起した訴訟に関し、所管のカリフォルニア連邦地裁の裁判長、Vaughm R. Walker氏に対する指示書(motion)を提出した。この指示書は、原告(EFF)の訴えは、米国政府の国家機密保持の特権(state secret privilege)の行使により、カリフォルニア連邦地裁は、管轄権を喪失しているとして、同地裁に対し、訴訟の棄却をするよう指示したものである(注2)。
EFFの訴訟は、2008年9月に提起された。EFFは、2005年12月にニューヨークタイムスが、令状なしwiretappingの疑惑をスクープ(その後、スクープの主な情報提供源は、前項で触れたRussell Tice氏であったことが、明らかとなった)して以来、この案件を粘り強く追求してきたし、すでに、この件についての訴訟も提起していた。2008年9月の最新の訴訟提起は(1)Tice氏による情報提供(Tice氏は、今回のテレビ出演前にすでに、幾点かの内部告発を行っていた)等により、NSA等の米国情報機関が、単にテロ実行者、容疑者に対する捜査だけの目的でなく、その他の目的でも多数(訴状では幾万もの市民)のwiretappingを実施している事実が確実になったと信じたこと(2)情報機関による情報収集を定めた法律FISAが改正され、一定のルールの下で、令状によらざる国内米国人に対するWiretappingが法定化されたので、この新法の下における司法省、裁判所のWiretappingに関する見解を探りたいと考えたことの2点の理由があったものと推測される。
ところで、36ページに及ぶこの指示書は、情報機関は国家機密保持の特権を有し、民事裁判に伴っての原告人からの情報開示要求拒否の根拠を縷々、列挙している。その論調は、きわめて高圧的であり、現行法律の拘束をなんら受けないとの結論を出している点が特徴的である。
2008年7月、民主党、共和党双方の議員連の長い討論の末、ブッシュ大統領からの強い要請があるからの理由により、成立したFAA法(改正FISA)は(1)国内在住の米国人に対しても、テロ防止の目的のため、必要があれば、情報機関は令状なしのWiretappingを行う(2)政府の行うWiretapping行為について協力する企業に対する免責は、それが、法律施行前のものであっても、後のものであっても、行うという内容のものであった。
この法案の内容では、米国人の人権の保護ができないからとの理由で反対する(当時上院議員であったObama現大統領は賛成、Clinton国務長官は反対)議員が多くでた。
これら反対議員は、Bush大統領の行使した国家機密特権行使があまりにも、目に余る行為であったし、法案審議過程において強く批判されたので、今後、FAAの下では、この特権行使はなくなるだろうとの期待を抱いたのであった(注3)。
ところが、上記司法省の指示文書では、最初に、国家機密保持の特権は、FAAを含むすべての現行法規の拘束を受けないと言明している点、きわめて特異な解釈をおこなっている。幾人もの論者から、この指示文書が示した法解釈は、不遜極まりないものであって、ワイアタッピングによる人権侵害は、Bush政権当時より、悪化するだろうと批判されているゆえんである(注4)。
ただ、指示書を受け取ったカリフォルニア連邦裁判所裁判官のWalkker氏は、リベラル派の裁判官として著名な人である。したがって、2009年6月末にも予定される審理の日に、果たして、同氏がそのまま司法省の指示に応じるか、否かは、定かでない。
国家機密保護の必要性を示唆したObama大統領、ニューヨークタイムスの報道
Obama大統領は、2009年4月29日、大統領就任後100日の記者会見で、他の多くの問題とともに、Wiretapping問題についても記者団の質問に答え、次の趣旨の回答を行った(注4)。
- 現在、国家機密の範囲は、広範囲に過ぎると考える。
- しかし、開示により、国家の安全を真に妨げることとなる機密情報が存在し、そのため、訴訟継続が継続できないというケースが将来、生じることもあり得るといっておくことが適当だろう。
- 現在、Eric Holden(司法長官)、大統領府の顧問連が、この問題と取り組んでいるところである。
ところで、ニューヨークタイムスは、2009年4月19日に、Eric Lichtblau、James Risen両氏の署名入りの記事を出している。両氏は、2005年に政府の令状なしWiretappingのスクープを行った記者たちであるが、今回、Russell Tice氏の大規模なWiretappingの事実の暴露、司法省の強引な国家機密免責の主張の後を受けたにしては、きわめて穏当な内容であるのが、注目される。まさかとは思うが、新聞記者は、徹底的にワイアタッピングの標的として、リストに載っているからとのTice氏に供述に影響されたのではないかと懸念されるほどである。
司法省内部の管理者から集めた情報としてこの記事が述べている内容のポイントは、(1)2008年7月、FAA法成立以降、情報機関からの令状なしWiretappingの件数は、増えている。(2)数年前のことであるが、中近東に出張したさる下院議員に対して、Wiretappingを行うべきだとの議論がなされたことがある。結局、実施されないで終わった。(3)FAA法の下で、法に従った範囲にWiretappingを留めるように、現在、検討が為されている。
まるで、事前に打ち合わせがあったかのように、Obama大統領の見解とニューヨークタイムスが報道する司法省の改定方針は適合している。
しかし、問題は、Obama大統領の発言が、FAA法の継続を前提にしたものであって、あたかも、Wiretappingの解決は、Bush政権の遺産を継承しただけなのかと受け止められる点にある。
今後、Wiretapping問題の解決は、Obama大統領にとって、難問の一つとなることは、間違いない。
(注1) | この案件は、米国の大手ジャーナリズムは、ほとんど報道していない。筆者は、次の2つのネット記事を参照にした。
2009.1.23付け、http://www/wired.com、"NSA Whistleblower:Wiretaps Were Combined with Credit Card Records of U.S.Citizens."
2009.1.22付け、http://www.bradblog.com、"NSA Whistleblower: Bush Illegal Wiretapping Program Spied on Jornalists, News Organizations." |
(注2) | 2009年4月3日付け、米国司法省の指示書、"Government Defendants' Notice of Dismiss and For Summary Judgement and Memorandum Jewel et al, National Security Agency et al, Case No.08-ev-4373-VRW." |
(注3) | 2008年7月に制定されたFAA法については、2008年7月15日付け、DRIテレコムウォッチャー、「ブッシュ大統領の完勝に終わったWiretapping法制化ーFAA(FISA改正法)成立」を参照されたい。 |
(注4) | 2009.4.29付け、CNN politics.Com、 "Obama transcript: First 100 days." |
(注5) | 2009.4.16付け、The New York Times、 "Officials Say U.S. Wiretaps Exceeded Law." |
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