DRI テレコムウォッチャー


Black Swanを読む
2009年5月1日号

ホレイショー、この天地の間には、人知の思いも及ばぬことが、幾つもあるのだ(ハムレット)。


 レバノン出身の作家兼大学教授、Taleb氏の人気が上昇中だ。同氏が2007年5月に出版した書物、Black Swanがベストセラーを続けている(注1)。Black Swanというのは、18世紀にオーストラリアで発見された黒い白鳥である。これにより、当時、白鳥は白いものだとの固定観念に浸っていた人々の誤りが証明されたとして、センセイショナルな話題を呼んだ。Taleb氏の書物の題名の由来は、この挿話による。(注2)。
 本書には、著者が専門とする確率論とこれに基く予測手法の詳しい啓蒙的な説明がある。参考文献、詳しい注も添付されており、一見、学術図書風である。しかし、読み進んでいくと、叙述の仕方は奔放だと考えられるほどに自由であり、文体もかなり異例である。Taleb氏の強い個性がムンムンと紙面から伝わってくる。著者が尊敬する人の一人としてあげている16世紀のフランス人、モンテーニュが物したかの有名なエッセイのスタイルに似ている(モンテーニュのエッセイは岩波文庫で5冊にもなる。この古典を通読したという人に私は、お目にかかったことはないのだが)。私は、本書を新しいスタイルの高尚なエッセイであると受け止めた。
 Black Swanには、2つの大きな主題が含まれている。(1)第一は、変化の激しい現代に将来を予想することは、果たして可能かという問題提起とそれに対する著者の考え方の提示である。(2)ランダム性の研究者、オプショントレイダーとしての長い経験を土台にした米国の最近の株式予測批判である。
 本論では、上記、2点について、筆者が理解したほんの骨子を紹介した。
 なお、さらに、Taleb氏がファイナンシャルタイムスに掲載した「Black Swanを防ぐ10条の綱領」の翻訳も付記した。
 読んで感銘を受けた書物を他人に紹介するというのは、私の"癖"である。連休期間のこととて、本業から少し、外れたことを御容赦頂きたい。
 本書の翻訳は、ダイアモンド社から、遅くとも2009年内に刊行される予定と聞いている。原文にせよ、翻訳によるにせよ、読み応えがある(原文は、細字で360ページ)。何らかの有益な知見を読者にもたらすだけの価値ある本だと考えるので一読をお勧めしたい。

真の事実を確認・取得することの難しさ

 Black Swanは、予期し得ない、まれに生じて、甚大なインパクトをもたらす現象を意味するシンボルとして使われている。たとえば、近年の事例としては、2001年9月11日のニューヨークにおける同時多発事件、2008年9月、リーマン・ブラザースの破綻を契機にして生じた世界不況がその好例である。この記事を書いた本日にも、メキシコで豚インフルエンザによる死者が出た事実をテレビアが報じている。これも、Black Swanだ。正に、21世紀の特徴は、不確実にして意外な事件が頻発し、われわれが、不安の生活を余儀なくされている点にある。
 Taleb氏は、この予想外の大事件の衝撃を緩和するのには、私たちの情報に対する対処の仕方に問題がある点を力説しており、4点の情報取得上の欠点を詳しく論じている。
 これは、多分に、コミュニケーション論、または、認識論の領域に属する。Taleb氏が列挙している4つの用語は、氏の造語である。多分にペダンティックな匂いがするが、さほど、難しい内容のものではない。これをまとめたのが、次の表である。

表 Taleb氏が提示した正確な情報取得を妨げる4つの欠陥
4つの要因/内容内容
narrative fallacy情報を誇張、過小評価、脚色等を行い、自分の都合の良いストーリーを作り上げるという誤り
confirmation fallacy確認の仕方が、不徹底であり、また、最初から先入観があるため等の理由から、確認を誤ってしまうこと。本書の題名になっているBlack Swan発見により、Swanが黒いという定義が崩れたのは、典型的な事例。
silent evidence証拠の掘り出しが不十分で、まだ、見当たらない証拠があるのにもかかわらず、これを無視するという欠陥。
ludic fallacyゲームに現れる確率現象が、そのまま、現実社会にも適用されるものと信じる誤り。


 Taleb氏は、われわれの事実の認識には、この4つの欠陥があるのだから、このような欠陥により、得られた不十分な事実を基礎にして、体系を築いている一部の学問は、成立根拠を失うとの議論を展開する。
 たとえば、過去から、現在に至るまで、因果の連鎖を説明する歴史学はそもそも成立しない。因果関係の説明は、歴史家の推論により行われるのであるから、上表のnarrative fallacyを伴った大量の事実の蓄積を累積したものに過ぎないつまり、学問に値しないという。
 Taleb氏は、また、経済学、特に数式を使いる数量経済学、経済予測にも否定的である。それは、ludic fallacyが入るからだという。もっとも、この議論は、Taleb氏の独創ではない。ノーベル賞受賞の経済学者、ハイエクがすでに、計画経済は、理論上成立し得ないとの論を展開し、ソ連の計画経済の崩壊を予言した。氏の根底には、現実は、あまりにも多様であって、これこれのものだと簡単に定義付けることはできない、ましてをや、数式化することなど、到底不可能だという強い信念がある。

モデル式は、Black Swanの出現を予測できるか。最大の失敗例は株式市場でのリスク管理

Black Swanは、モデル式では予測できない。
 Taleb氏は、正規分布から始めて、ここ数年来、研究されている1、2の非正規分布の開発方法に至るまでの経緯、理論について詳細な解説を行っている。Taleb氏自身、この問題については、相当に年季を入れて研究しており、特に著者がフラクタル現象の研究の創始者、Mandelsbrot氏と親交もあっただけに、この部分は、きわめて有益である(注3)。
 ただ、Black Swan的現象の到来を数量化されたモデル式で予測できるかについて、氏は次のように、断固として否定している。

  1. 正規分布は、人間の体重、身長、知能指数など、限定された分野に適合する。それにも、かかわらず、本来、適用してはならない分野に正規分布を適用されており、このため、大きな被害が生じている。
  2. たとえば、所得分布とか、書物の売り上げであるとか、頻度として少数の件数が、きわめて大きなウェイトを持つ場合がある。このような分布を説明する非正規分布(フラクタル、パワー理論等)の研究は、目下、進行中である。
  3. しかし、2で研究されているモデル式は、たかだか、Gray Swanを説明できるという程度のことであって、思いもかけない時期に生じ、しかも、そのインパクトが極めて大きいBlack Swan現象は、モデル式の射程外のものである

Scoles、Merton両氏のノーベル賞受賞に憤慨するTaleb氏
 1998年、ロシアの株式市場の崩壊に関連して、投資会社、LIMCが倒産した。LIMCは、金融デリバティブのリスク管理の手法を公式のまとめた功績で、1997年のノーベル経済賞を受賞した米国の2人の経済学者、Myon Scholer氏とRobert Merton氏が中心となり、設立された投資会社であった。この事実は、学者がいかに実務に疎いかを示す好例として、わが国でも、当時、大きく報道された。
 Taleb氏は、この事件について、まず、ノーベル経済賞が実務家の意見を事前聴取することなく、安易に賞を授与したことを強く批判する。ノーベル賞受賞前から、実務レベルでは、両氏の証券投資分野における危機管理モデルの妥当性について、異論があったが、ノーベル賞委員会は、事前調査をおこなわなかったという。
 異論をもっとも、強硬に、声高く主張したのは、他ならぬ、Taleb氏自身であった。Scoler、Morton氏のリスク管理モデルは、株式の高騰、下落を、正規分布に従うと仮定して組み立てられたものである。しかし、前項で述べたとおり、異常な株価変動は、多分、Grey Swanのエリアの2に相当するものであって、異常値頻度の確率が極めて低い正規分布の利用では、リスクが実態より、はるかに低く出てしまい、現実に合わないというのが、Taleb氏の強い主張である。
 ついでながら、Taleb氏の書物(Black Swan)は、2008年9月のリーマンブラザーズの破綻(すなわち、今回の経済不況の始まり)前に書かれている。よく、Taleb氏は、今回の不況を事前に予測していたと評されるが、これに対する回答はNoであり、また、Yesであろう。Taleb氏は、Black Swanのなかで、経済不況突入の可能性が高いと警告を発してはいるが、片や、政府当局の簡明な政策発動により、多分、危機は回避されるだろうと記してもいる。

Black Swanから免疫になるための原則十か条

 Taleb氏は、2009年4月9日、BlackSwanから免疫になるための原則10か条を発表した(注3)。比喩の多い格言風の原則と、それに短いコメントを付けた簡潔なものである。以下、原則10か条と、コメントの一部を翻訳した。

  1. 脆いものは、小さいうちに潰すべきだ。
    (大きすぎて失敗させられないというものなど、この世には存在しない)。
  2. 損失は政府が負担し、利益は、民間企業にまわすというやり方をさせてはいけない。
    (政府が資金を出すのなら、同時に国有化すべきである。また、資金供給の必要がないものは、資金調達は民間企業に任せればよい)
  3. 目隠し運転をしてスクールバスを運転し、バスを壊した連中に新車を与えるな。
    (大学、既成機関、中央の大銀行、政府役人、エコノミストを擁する機関は、システムの失敗により、正統性を失った)。
  4. "インセンティブ・ボーナス"を受け取った者に、核施設すなわち、顧客の金融リスク管理を任せるな。
    (資本主義は、インセンティブと非インセンティブから、成り立つ。信賞必罰を明らかにせよ)。
  5. 単純化することにより、複雑化を中和せよ。
    (グローバル化、高度にネットワーク化された経済から生じる複雑さを中和するため、金融商品は、簡明なものにしなければならない)。
  6. ダイナマイトの束を子供たちに与えるな。警告をした上でも与えてはいけない。
    (デリバティブの原理を知っているものは、きわめて少数である。複雑なデリバティブは禁止すべきである)。
  7. 信用を基にして事業をするのは、詐欺商法の連中だけに留めておけ。
    (政府は、信用回復に努力する必要はない。これには、肩をすくめておくに留めよ)。
  8. たとえ禁断症状を起こしたとしても、麻薬患者には、絶対に麻薬を与えるな。
    (負債の危機は暫定期間だけのものでなく、構造的なものであり、システムの再構築が必要)
  9. 市民は、退職後の生活について、金融資産にも、"投資専門家のアドバイス"にも頼ってはいけない
    (われわれは、市場は資産の蓄積場所として不十分であることを学ぶべきである)。
  10. 卵を壊してオムレツを作れ
    (崩れ落ちる前に船体の組み換えを行うことが必要である。破壊すべきものは破壊して、Capitalism2.0を構築しよう。このため、負債を資本に組み入れ、ビジネススクールを最小限のものにし、ノーベル経済賞を廃止し、レバレッジによる企業買収を禁じて、銀行家をあるべき姿に戻し、われわれを今日の状況に追いやった連中のボーナスを剥奪し、市民には、今後、安定性の少ない世の中で暮らしていく)。

おわりにーTaleb氏の経歴、氏の世界観

Taleb氏の経歴
 Taleb氏は、1960年、レバノンのAmiouで、ギリシャ正教の由緒ある家系に生まれた。母系、父系ともにレバノン社会で、裁判官、大学教授、政府高官等の要人を輩出した名門である。しかし、1975年の内戦で、家を失い、一家は没落した。
 Taleb氏は、パリ大学で科学の学士号、ペンシルバニア大学、ウォートン・スクールでMBAを、また、再び、パリ大学で経営科学のPhDを取得した。大学卒業後、幾つもの米国の証券会社で、最近まで、オプショントレイドの実務に従事した。氏は、最初から文筆業を志しており、トレイダーは、そのための資金稼ぎであったといっている。2007、2008年の両年、トレイダーにとり、もっとも厳しかった年に相当の利益を上げることに成功したと言われている。このようにTaleb氏は、すでに第3作目の著作(題名、Tinkering)を準備中という。
 現在、ニューヨーク大学のPolitechinic Instituteでリスク・エンジニアリングの教授。また、ロンドン・ビジネス・スクールの客員教授。
 氏の処女作は、2001年に刊行されたFooled by Randomness(邦訳、“まぐれ”)であり、この本は、好評を博した。しかし、2007年5月に発表した"Black Swan"は、ベストセラーとなり、持続的な売れ行きを示している。現在、24カ国で翻訳が出ており、2009年3月現在、売り上げは150万を越えているそうである。
 Taleb氏は、ポリグロットである。(1)英語、フランス語、古典アラビア語は、読み書き、会話自由(2)イタリア語、スペイン語会話に堪能(3)ギリシャ語、ラテン語、アラム語、古代ヘブライ語の文献の解読可能。(注4)。

Taleb氏の世界観
 Taleb氏の世界観は、著書、"Black Swan"にしばしば使われている、MediocristanとExtremistanの2つの仮想世界の設定にもよく伺われる。
 Mediocristanは、従来の文字通り、凡庸の人々が中心にあり、左右に、能力の劣弱がある人々が分布する旧来の世界である。ここでは、釣鐘型の正規分布のばらつきが想定され、特異現象の発生を意識せず、Business as usualで事物の進行が想定される。
 今ひとつは、異常現象(black swan)が、いつでも起こりうること、また、起こった場合には、これが、社会に深刻なインパクトを及ぼすことが想定される。非正規分布の世界である。
 Taleb氏は、現在、Black Swanは、現実にある程度の頻度で到来しており(2001年のニューヨク市のテロ、その後のイラク戦争、最近の経済不況等)、社会の現実は、Mediocristanから、Extremistan の方向に向かって、急速に進んでいる。それにもかかわらず、大部分の人々が、まだ、正規分布の通用するMediocristanの世界に安住しているから、事態の進行と施策の実施のあいだにギャップが生じているというのである。
 最後に、確率、ランダム性の研究に長年、携わってきたTaleb氏は、人間の幸、不幸は、本人の能力、努力により、左右されることは、確かであるが、なによりも、運であると断言する。ギリシャ、ローマ以来、ルネッサンスに至るまで、西欧の人々は、運命の女神(Fortuna)が人間を支配するという堅い信念を持っているが、Taleb氏は、この伝統に忠実であるようである。
 筆者は、Taleb氏は、"現在は乱世である。現に生きているだけでも、諸君は幸いなのだから、他人も、政府も頼らず、自分の頭で考え、勇敢に運命の女神と対峙せよ"と呼掛けているのである。


(注1)「The Black Swan-The Impact of the Highly Probable」。Penguin文庫のEconomicシリーズのうちの1冊。
(注2)Black Swanは、オーストラリアの西オーストラリア州に生息しており、同州の貴重な観光資源となっている。実は、白鳥とは別種の鳥であり、わが国では、黒鳥として通っている。一見 “黒い白鳥”と見るTaleb氏の理解は誤りのように思えるが、"黒い白鳥"事件が、18世紀当時、あったことは事実である。この事実を根拠にしたTaleb氏の解説は間違いではない。
(注3)非正規分布、不確実性を解明する最近の経済学の動向については、2008年9月6日号の週刊東洋経済の特集「不確実性の経済学入門」が詳しい。
(注4)http://en.wikipedia.org/wiki/Nassim_Taleb


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