DRIテレコムウォッチャーは、ブッシュ政権下で行われている違法なワイアタッピングが、米国の司法、行政、立法の各分野でどのような問題を引き起こしているかについて、2006年7月から2008年2月に掛けて3回にわたり、その時々の最新の情報を提供してきた(注1)。
筆者が、この案件にこれだけ力を入れたのは、憲法の下において、現段階ではわが国で遵守されている「通信の秘密」が、民主主義の総本山とみなされている米国で、テロリストの脅威から米国民を守るという大義名分を隠れ蓑にしていとも安易に侵害されている。わが国にとって他山の石になると考えられるこの事態を是非、インターネットの利用者に一人でも多く認識していただきたいという念願によるものであった(注2)。本文で述べるとおり、この米国におけるワイアタッピングの問題は長期化することが確実であり、さらに大きな展開があるとすれば、それは、2009年、米国で新政権が誕生して後のことになると予想される。従って、期せずして4回シリーズになったこの案件は、今回でひとまず終了することとする。
これまで、筆者が紹介したこの問題の発端、その後の展開を復習すると次の通りとなる。
ワイアタッピング問題の追及は、2005年12月、ニューヨークタイムス紙のスクープがきっかけである。同紙は、ブッシュ大統領の特別命令による令状無しのワイアタッピングが広範囲に行われているとのセンセーショナルな記事を掲載した。以来、市民団体等からのブッシュ政権の命を受けて令状無しのワイアタッピングに協力したAT&T、Verizon等電気通信会社を訴える動きが盛んに起り、40を超える民事訴訟が提起され、現在、米国の幾つかの裁判所(集中審議が行われているため、訴訟案件に比し、関係する裁判所数は少ない)で係争中である。ブッシュ政権は、この動きに対処するため、上院、下院をいわば脅し付けて2007年8月、Protect America Act of 2007( 以下、PAA法と略称)を制定させた。この法律は、ブッシュ大統領による特別命令の内容を法定化しようとする試みであり、この試みは九分どおり達成された。
ブッシュ大統領は、2008年12月1日を期限とする時限立法、PAA法に一点だけ不満があった。この法律では、ブッシュ政権のワイアタッピングに協力する電話会社に対する民事訴訟上の免責が規定されているものの、この免責は、法制定後の行為のみに適用されるものであって、法施行以前の行為に遡って適用されるものではなかったからである。ブッシュ大統領は、政権に協力した電話会社の負担をなくし、今後も安んじてワイアタッピング協力してもらえるよう、遡久効の規定を追加する必要があった。さらに、法廷の場で政府が行ったワイアタッピングの実態が、米国民に明らかにされることをブッシュ大統領は何よりも恐れた。
他方、議会の側は、(1)、ブッシュ大統領の要望を受け入れ、電話会社の免責を規定する点を中心として、PAA法を修正しようとする共和党員を中心とする議員連(2)PAA法の可決はブッシュ政権の方針に妥協しすぎた点を反省し、PAA法施行以前のワイアタッピング規制の法律、FISA法(1978年制定)に近いところまで、人権擁護の方向に法改正を行おうとする民主党の議員連に両極化した。これら、議員たちは、それぞれ、上院、下院で2007年10月ごろから、PAA法の改正に乗り出し、それぞれ両極化した法案を可決した。現時点で、上院、下院の話し合いの努力は続いているようであるが、両党のコンセンサスが得られる可能性は、皆無である。
本論では、2008年2月から、現在までの時点における上下両院の立法活動を紹介する。さらに、大統領、下院、上院、マスコミ、市民団体等を巻き込み大論戦が展開されているこのワイアタッピング法制化の動きが今後、どのように展開するかについての筆者の予測を示す。
対照が際立つ上下両院のワイアタッピング規制への取り組み
上院、2008年2月中旬にブッシュ大統領好みのワイアタッピング規制法案を可決
上院は、一部議員の強い反対を押し切って2008年2月12日、ついに新たなワイアタッピング規制法案(FISA Amendment Act)を可決した。賛成69票反対29票。この票は、マジョリティーを有する(1名の差)上院のなかで、多くの民主党員(19名)がブッシュ大統領のワイアタッピング規制に賛同したことを物語る。ことほどさように米国の上院というところは、そもそも保守的なのであろう。
上院でのこの法案の成立に、ほとんど単独で反対、行動し続けたのは、コネティカット州出身の民主党Dodd委員であった。同委員は、自ら20時間を越える反対演説を行い、フィルバスタリングによる法案阻止を実行したが、力が及ばなかった。
また、法案に対する投票に対し、3人の大統領候補が、それぞれ異なった行動を取ったことは興味深い。
McCain氏賛成、Obama氏反対、Clinton氏欠席。仮に近い将来の大統領選において、この案件が取り上げられれば、この論戦で、これら大統領候補がどのような立場を取るかが推定できるというものである。
FISA Amendment Actの特色は、次の3点である(注3)。
- ワイアタッピングで政府に協力した電話会社を民事上、免責(過去に遡ったものも含め)とする。
- 政府が、国の内外において電話設備、インターネット設備のなかに、永久のワイアタッピングのための拠点を設けることを認めるとともに、令状なしに、外人に対し、ワイアタッピングを行うことを認める。捜査対象が外人であって、米国人と通信する場合も、令状を必要としない。通信の両発着当事者がいずれも米国人である場合には、令状を必要とする。
- この法律は、6ヵ年の時限立法とする。
上記3条件は、ブッシュ政権の要望をほぼ完全に満たしたものであって、ブッシュ大統領は、これに満足の意を表するとともに、下院に対し、この法律を認めるよう、強く迫った。
電話会社への免責問題についてブッシュ政権の脅し、圧力に屈しなかった下院
下院は、すでに2007年11月15日、上院より一足先に、電話会社に対する免責規定が折り込まれていないワイアタッピング法案(Restore Act of 2007)を可決済みであった。しかし、2月12日に上院法案が制定されるや、ブッシュ大統領から下院に対し、(1)上院の法案を下院で承認すること(2)2月16日に、現行のPAAは期限切れになるが、ホワイトハウスは、再度、期限延長を認めるつもりはない旨の通告があった。この通告を受けて、下院は再度、ワイアタッピング法制化についての態度を決定せざるを得なくなった。
しかし、民主党員が多数を占め、しかも、他の案件でもブッシュ政権の施策に批判的な下院において、ブッシュ大統領の高圧的な要請をにわかに受け入れることは、自殺行為につながることであった。基本的人権の大きな部分を占めるワイアタッピング規制の分野で、予備選挙の段階で大統領の軍門に屈したのでは、選挙戦が戦えるはずがないという意見が大勢を制した模様である。また、民主党は、2007年8月、PAAが制定された当時と異なり、世論が情報機関活動強化の方向から、人権擁護の方向に大きく転じつつあり、民主党の政策に対して追い風に向かっていると判断した。
結局、下院民主党は、PAAの期限切れを考慮せず、期間を掛けて、再度、民主党独自の法案を制定する決意を固めた。
この結果、下院法案は、3月11日、賛成213、反対197の投票で可決された。
この法案のポイントは、次の3点である(注4)。
- 情報機関がワイアタッピングを行う場合は、通常、特別裁判所から令状を取得することを要する。ただし、緊急の場合は、特別裁判所から、事後承認を受けることでよい。
- 電話会社には、過去に遡っての(遡久効を有する)ワイアタッピングを事由とする民事上の免責を認めない。訴えを受けた電話会社が民事責任を有するかいなかは、裁判所が決定する。
- ワイアタッピング監視プロジェクト(ブッシュ大統領が承認した令状を要しない米国人対象のワイアタッピングのプロジェクトを含む)についての報告書を作成する目的で、議会に証人喚問の権限を有する超党派委員会を設立する
上記の1では、上院が可決したFISA Amendment法案に比し、はるかに厳しい要件を課しされた。また、2、3点はともに、まさしく、ブッシュ大統領がもっとも嫌がる内容を織り込んだものである。特に、第3点は、ブッシュ大統領に、“貴方が、特別大統領命令の下で、どれだけのワイアタッピングを指示したか、追及するぞ”との意思表示をしたものである。いわば、法案の形を借りて、下院は、ブッシュ大統領に宣戦布告状を突きつけたといってよい。
米国共和党政権の強いワイアタッピング志向、解決は政権交代後に
今回の上院、下院におけるワイアタッピング法案審議と関連して、米国情報機関の幹部、司法長官は、機会を求めて、迅速にテロ組織から海外情報を入手できるための法的手続きの整備の必要性を力説し、議会筋、世論の協力、支持を求めた。
たとえば、米国情報機関の総元締めの地位にある国家情報局長官、Mike McConnell氏は、2008年2月5日、上院情報委員会の席上で、次のように証言した。
「アルカイダのBin LadenとZawahili両名は、現在、一群のテロリストを養成しており、米国攻撃能力を高めている。この目的のため、米国市民を含む西欧人の訓練も行っている。ただ、今のところ、これらテロリストたちが、米国に入ったという情報はない」(注5)。米国情報機関の大幹部の言であるだけに、信用すべきなのだろうが、ワイアタッピング法案審議の時期にあまりにもうってつけの発言ではある。少し眉唾と思えないこともない。
ブッシュ大統領も、再三にわたり、電話会社免責のための法律制定の必要性を説いている。PAAが期限切れとなる当日2008年2月16日の午後、ラジオ放送を通じて米国民に対し、電話会社免責の必要性を訴えた。ブッシュ氏は、この免責を定めないと、今後、電話会社が政府に協力しなくなり、テロ対策上、大きな支障がある点を強調し、“下院のリーダは、国防よりもポリティクスを選んだ。その結果、わが国は、重大な危険にさらされている”と結んだ(注6)。
ところで、ブッシュ政権べったりの一部新聞、雑誌はともかくとして、米国のジャーナリズムは、総じて、この案件については、ブッシュ大統領を痛烈に批判しているものが多い。
2005年12月のスクープにより、この案件論議のキッカケを作ったニューヨークタイムス紙の最近の社説は、最近、要領よく米国ワイアタッピング問題の経緯を述べた後、次のように、ブッシュ氏の行動に対する警告で、文を閉じた。
“ブッシュ大統領は、PAAが失効しこれに代わる法律が制定されないことにより、米国は重大な危険にさらされると今後も主張するであろう。しかし、これは事実に反する。ブッシュ大統領こそ、危険にさらされているのではないか。下院法案のような良い法律が通れば、米国民は、目を見張るような大規模な大統領の法律違反行為を目の当たりにすることとなろう。”(注7)。
筆者は、ワイアタッピング問題は、2008年の年内は今後、なんらの進展がなく推移するものと思われる。そもそも、1978年に制定されたFISA(Foreign Intelligence Surveillance Act)が、PAA失効の後、効力を有している。ブッシュ大統領の度重なる発言にもかかわらず、多くの識者は、この法律により、米国のテロ対策には、なんらの支障がないと評しているからである(注8)。
本年行われる選挙において、共和党McCain氏が大統領に当選し、上下両院のマジョリティーを共和党が制すれば、2009年において、共和党待望の行政府の恣意どおりのワイアタッピングが可能となり、政府に協力する電話会社・IT会社の免責を規定したワイアタッピング法が制定されるだろう。また、逆に、Clinton氏、Obama氏いずれにせよ、民主党が大統領の座を共和党から奪還し、議会の多数派も民主党が握るということになれば、市民の権利と情報機関の捜査権のバランスをよりよく取ったワイアタッピング法が制定され、電話会社の免責は認められないこととなろう。そればかりか、ニューヨークタイムスが予言したとおり、ブッシュ大統領のワイアタッピングに関する特別命令の実施状況が、詳細に調査され、その結果いかんによっては、元大統領の責任が、遡って追及される結果すら起こりかねないと思われる。
従って、ワイアタッピング案件を自党の信念に沿って解決する観点からも、共和、民主両党ともに2008年の大統領選挙戦は、全く、負けられない選挙なのである。未曾有の激しい選挙戦が予想される。
(注1) | 2006年7月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「最大規模の民事訴訟を引き起こした米国政府の電気通信プライバシー侵害疑惑」、 2007年12月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「自らが命じた違法なワイアタッピングの処理に困っているブッシュ大統領」、 2007年12月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「議会に対し電気通信会社のワイアタッピング免責を執拗に迫るブッシュ大統領」 |
(注2) | しかも、これだけ米国のジャーナリズムで議論されているトピックスが、わが国でほとんど紹介されていないことも、私の執筆意欲を誘った。筆者が見かけたこの件について触れた書物は、最近発売された堤 未果氏の「ルポ 貧国大国アメリカ」(岩波新書)のみである。 |
(注3) | 2008.2.12付け、The New York Times、"Senate Passes Bill to Expand U.S Spying Powers." |
(注4) | 2008.3.11付け、The New York Times、"House Steers Its Own Path on Wiret aps." |
(注5) | 2008.2.6付け、The New York Times、"Intelligence Chief Cites Quaida Threat to U.S." |
(注6) | 2006.2.16付け、http//www.whitehouse,gov、"President’Radio Address." |
(注7) | 2008.3.18付け、The New York TimesのEditorial、"The Intelligence Cover-Up." |
(注8) | 2008.3.16付け、Los Angeles Times、"Wiretapping’s true danger." |
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