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FCC委員長Martin氏はどこまで主要課題を達成したか

2008年1月15日号

 時が経つのは、早いものである。Martin氏がFCC委員長に就任(2005年3月)してから、3年近くの年月が経過した。4年の任期を勤め上げるとすると、来年(2009年)の初頭には退任の運びとなる。
 まず、表1をごらん頂きたい。

表1 1996年電気通信法制定以降のFCCの歴代委員長とその主な業績
FCC委員長主な課題任期
Read Hunt(民)
1996年電気通信法制定に参画
通信法関連のFCC諸規則制定
1993年1月―1997年3月
William K Kenard(民)
電気通信法に基づく規制を厳格に適用
議会民主党と連携して、学校、図書館にブロードバンド設置大々的に行うための補助金付与制度(E-Rate)を導入
1997年3月―2001年1月
Michael K Powell(共)
固定通信、ブロードバンド分野への競争導入の規則制定
申請に応じ7RHCのM&Aを大幅に承認
2001年1月―2005年3月
Martin(共)
Powell氏の後を受けて、規制緩和を軸とした通信政策を遂行中(詳細は本文で説明)
2005年3月―

 上表から明らかな通り、Martin氏は、1996年電気通信法制定以来、4代目のFCC委員長である。前委員長Powell氏の時からその意向は明らかとなっていたが、同氏は、電気通信法制定10年以上を過ぎた今日、また、米国議会の共和、民主両党の議員の勢力が伯仲の状況にあって、目覚しい通信・IT業界の変化、技術革新の進展に対応する新たな規制の枠組みを構築する大きな課題を背負って、今日に至った。
 本文では、Martin委員長が、4年の任期のうちの3年目にあたる2007年に、どこまで氏の主要課題を達成したかを紹介する。


2007年にFCCが達成した主な規制課題の達成状況

表2 FCCが取り組んだ主要規制項目の達成状況
主要規制項目達成状況達成率
Net Neutrality2006年、米国議会の上院、下院でNet Neutralityは、もっともホットな立法案件であったが、法律の制定を見ることなく終わってしまった。
これに対し、2007年FCCは、(1)年初頭にAT&TによるBellSouth収得にともなう2層料金を今後3年間は実施しないとの確約取り付け(注1)(2)2007年10月における700MHzワイアレス・ブロードバンド網の回線開放の裁定(注2)により、Net Neutralityは、その基本部分が遵守される方向を打ち出した。いずれも、FCCが深くコミットした案件である。以降、これまで声高に騒がれていたGoogle、Yahoo!等、IT企業の側から旧ベル系電話会社(AT&T、Verizon)に対するNet Neutralityに対する主張はほぼ聞かれなくなった。
要は、Net Neutrality案件は、議会による法制化では解決されず、FCCによる個別決定で、主張者の要望が満たされたのである。
もっとも、Martin委員長自身は、2007年に行った上記(1)には個人的に反対であった。(2)も資料で裏付けられてはいないが、しぶしぶ賛成であったのかもしれない。そもそもNet Neutrarityの原則設定には、反対であったのである。
100%
ブロードバンド・サービスブッシュ大統領は、2004年次の年頭教書で、すべての米国人が2007年末までに、高速インターネットにアクセスできるようにすると宣言した。
以来、議会、FCCはこの目標を達成するため、努力を続けた。
2006年次において、議会においてこの案件をも含めての1996年電気通信法改革に向けての立法努力がなされたが、民主党委員の側は、同時にNet Neutralityの原則を法律条文に織り込むべきであるとの要求を出して譲らず、これが隘路になって、結局、法律は廃案となった。
こうして、高速インタネットをユニバーサル・サービスの対象として制度化する責務は、2007年以降、FCCの大きな課題となった。
他方、ブロードバンドのインフラが、都市、ルーラルエリアで不均衡であって、両地域間の経済、市民生活面の格差を拡大しているとの訴えが、ルーラルエリアの行政関係者、ビジネス、市民から、強く提出されている。
このような状況の下で、FCC、とりわけ、この問題を専門的に追及してきた「ユニバーサル・サービスに関する連邦・州委員会」(Federal-State Joint Board on Universal Service)は、2007年11月、USF(ユニバーサル・サービス・ファンド)による資金徴収、配付の枠組みの変更と共に、ブロードバンド・ユニバーサル・サービスを制度化すべき旨の詳細な勧告を行った(注3)。
FCCのMartin委員長を初め、Mac Dowell委員を除く他の委員もこれに賛成している。
50%
ユニバーサル・サービスFCCは、2007年11月、ルーラル地域の医療向上プロジェクト(Rural Health Care Project)をさらに推進するため、資金4,17億ドルを増額した。この資金は遠隔医療ネットワークの拡大に当てられる。
ユニバーサル・サービスの規則改定の動きについては、すでに前項、ブロードバンドの項目で説明した(注4)。
50%
新聞・放送事業相互の資本持合いの規制緩和FCCは、2007年末の裁定により、このプロジェクトを終結させた。
Martin委員長が多大の労苦を払い、しかも妥協に妥協を重ねた結論となったために、今後予想される控訴裁判所の判決により、効力確定の期待がもたれている(注5)。
100%

 上表で、Net Neutralityを進捗率100%としたのは、表中で説明したとおり、2006年の議会における最大の討議項目であったこの案件が、FCCの要請によるAT&Tの譲歩(3年間、2層料金を実施しない)によって、昨2007年には、推進論者から要求されなくなったことによる。もちろん、今後、AT&T、Verizon等は再び2層料金実施を主張することも有り得るが、事実上、巻き返しは難しいだろう。
 新聞・放送事業相互の資本持合の規制緩和の進捗率を100%としたのは、これも表中に記したごとく、今後、控訴裁判所への提訴があっても、このFCC裁定が却下されないだろうとの推測に基づく(もちろん、この推測が外れることもありうる)。
 ブロードバンド、ユニバーサルサービスの進捗率を双方ともに50%としたのは、双方の進捗率が100%になるのは、ブッシュ大統領が確約したユニバーサル・ブロードバンドサービスの実施開始宣言を目標値においたことによる。つまり、いまや、FCCにおいては、ブロードバンド、ユニバーサル・サービスの目標は、共通のもの(ユニバーサル・ブロードバンドサービスの確立)となったのである。  この件については、次項でさらに説明を加える。

任期後半、民主党FCC委員2名の意見に大きく左右されたMartin委員長の規制政策
       ―民主党主導の電気通信関係小委員会の圧力による「ねじれ現象」によるー


 下記の図をご覧頂きたい。
 FCCのMartin委員長は、この図にあるように、組織内では多数派である。従って、意のままの意思決定ができていたはずであるのに、実のところ、2007年次から、上院、下院の両院において、電気通信関係のそれぞれの小委員会の委員長を民主党が占めたことによって、委員長としての意思を押し通すことができず、この結果、FCC裁定は多くの場合、民主党委員との妥協の産物に終わってしまった。上院、下院の2つの小委員会は、Martin氏に対し、民主党委員の意見を聞かないと議会の委員会に幾度でも同氏を呼び出して、FCC政策を追求するぞと脅しを掛けているからである。FCC内部での共和党の優位は、議会民主党優位にけん制されて、わが国の国会の場合と似た「ねじれ現象」が生じているといえよう。
 当初、無条件で認めようとしていたAT&TによるBellSouth統合の案件が意外に紛糾して、2006年を越し、2007年早々、AT&Tから数々の条件(2層料金を3年間実施しないとの約束を含む)を約束させて、ようやく、承認されたのが、Martin委員長の初志貫徹ができなかったのが、議会民主党の圧力行使の最初の事例であった。2006年12月のことである。
 表面にこそ出てはいないが、700MHz帯についての裁定に関し、周波数取得事業体に対し、他社端末、ソフトとの互換性を要求するーオープン・ネットワークーの実施の条件を付したのについても、多分に民主党委員の意見を入れた点があるのではなかったかとも受け取れる。
 「ねじれ現象」のインパクトは、年末の裁定にも大きく影響した。新聞・放送両事業間のM&Aに関する件についても、Martin委員長は、民主党委員側の要求に妥協に妥協を重ね、M&Aの範囲を20都市地域に縮小するのみか、他の地域におけるM&A承認についても、特認(Waver)の厳しい条件を設けた上で、裁定を行わざるを得なかった(しかも、それでもなおFCC両委員は反対票を投じたのであるが)。



 ところで、Martin委員長は、新年早々、CEA(Consumer Electronics Association)のShapiro会長との会合のなかで、「FCCは、2008年高速インターネットのアクセスの普及度合いをいっそう確実に把握するために、速度別、地域別の高速ブロードバンド利用状況のデータの把握を行う」と述べている。この発言は、同氏が2007年12月13日、上院商務・科学・運輸省委員会向けに執筆した声明書の記述を裏付けたものである(注6)。
 そもそも、ユニバーサル・サービスの拡大にもっとも熱心であるのは、FCC民主党委員である。1990年代の末に当時のFCC委員長Kennard氏が創始し今日、USF(Universal service Fund)の大きな部分を占めているE-Rate(学校、図書館への高速ブロードバンド設置のための補助金配付政策)は、高速ブロードバンドのユニバーサルサービス化の端緒とも言うべきものであった。
 このような経緯からして、Martin委員長は、(1)ブロードバンドサービスのユニバーサル・サービス化は大事業であり、到底、同委員長の残りの任期中に完了するものではないこと、また、(2)そもそもは、ブロードバンドのユニバーサル化には反対であるがゆえに、ユニバーサル・サービスの変革をUSFの枠組み改定に絞って、検討を進めてきたのであって、このプロジェクトをやるのには乗り気がしないことの理由からして、上記のような結論に達したものと思われる。


 ついでながら、2008年の総選挙では、今のところ、民主党勝利の予測も根強い。そうなれば、ユニバーサル・ブロードバンド・サービスは、新FCC委員長(民)の下で規則制定が進められることである。それにしても、ブッシュ大統領の2004年年次教書がきっかけとなっているのは、皮肉なことである。

(注1)2007年1月15日号、DRIテレコムウォッチャー、「FCC、2006年末にAT&TとBellSouthの合併を承認 - 大幅な譲歩を余儀なくされたAT&T」
(注2)2007年12月15日号、DRIテレコムウォッチャー、「携帯電話ネットワーク開放へと180度方針転換したVerizon Wireless」
(注3)2007年11月29日付けFCCプレスレリース、「Recommended Decision」。
なお、連邦・州合同委員会の勧告では、”universality availability”の語が使用されている点に、注目すべきである。従来、ユニバーサル・サービスといえば、電話のない家庭をなくすことを意味した。事実、その目的のため、FCCはかっては、詳細な統計を取って、この実現のため努力したし、現在も、低所得者に対する電話架設料を軽減する等の便宜を図っている。
universality availabilityは、高速インターネットを申し込めば誰でも利用できるようにするようインフラ整備を行うことを意味するのであって、現実に各家庭にインタネットの加入を保証することではない。
(注4)これまで、テレコム・ウオッチャーでは、ユニバーサル・サービスについて、次の解説を掲載してきたので、参考にされたい。
2006年2月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「Martin委員長の最大課題は、ユニバーサル・サービス基金徴収方法の決定」
2007年10月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「議論のみ多いが遅々として進まない米国のUSF改革」
(注5)2008年1月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「FCC、電気通信法で定められた新聞・放送事業兼営禁止を緩和する裁定を下す」
(注6)2008年1月8日付けNew York Times,”FCC listend on Open Access, Chairman Says”及び、2007年12月13日付けのFCCプレスレリース、“Written Statement of Kelvin J Martin,Chairman Federal Communications Commission.”

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