筆者は、2006年7月1日号の本ニューズレターで、米国政府が大々的な電気通信プライバシー問題を引き起こしているというトピックスを紹介した(注1)。
この問題を提起したのは、2005年12月25日付けのニューヨークタイムス紙のスクープ記事であった。以来、2年間にわたり、米国の多くの法廷で、通信の秘密侵害に対する民事訴訟が提起されている。この訴訟に関連して元AT&T従業員Mark Klein氏は、秘密室がサンフランシスコのAT&T局所内に設けられており、NSA(国家安全保安局、米国国防総省の内局)による通信情報(音声のみならず、eメールも)入手の便宜を提供していると内部告発した(注2)。
他方、ブッシュ大統領も2006年6月、秘密の大統領命令により2001.9.11以降、令状の発布を伴わないワイアタッピングを指示した事実を認めた。
大統領は、2007年夏以来、この案件について市民団体、ジャーナリズムからのますます高まる批判に対応するため、議会に対し大統領命令(NSA Surveillance Program)の内容を具体化する法律を制定させる努力を続けた。その成果は、2007年夏のProtect America Act of 2007になって結実した。本文で、紹介するとおり、この法律は6ヶ月の時限立法ではあるものの、米国のインテリジェンス機関(NASA、CIA等)の要請に応じ、すべての電話会社、IT企業等に、テロ対策の目的のため、すべての通信情報(音声電話のみならず、eメールをも含む)の提供を義務付けるという内容をも含んでいる。軍事上、保安上の目的を驚くほどまでに重視した内容である。
従って、市民団体、一部のジャーナリズムからの批判も強い。
2007年秋、米国議会は、Protect America Act of 2007の改正に着手し、10月から11月に掛けての審議により、ようやく、下院は、Restore Act of 2007を可決した。この法案は、民主党議員が多数を占める状況を反映して、相当程度、Protect Act of 2007を人権尊重の方向に改定した内容となっている。民主党、共和党の議員数(民主51人、共和49人)が接近しており、しかも、特に、政府に協力している電話事業者等への過去に遡っての民事上の訴訟に対する免責を認めるかどうかをめぐっては、党派によらず独自の見解を主張する議員が幾人かいるため、上院における法案の制定は難航している。
上院の両小委員会(Intelligence CommitteeとJudiciary Committee)が草案を決定するところまで審議は進んだ。しかし、その内容がそれぞれ対立する(もっとも大きいのは、電話会社免責の問題であって、Intelligence Committeeは免責に賛成、Judiciary Committeeは免責に反対)草案となった。上院全体の法案作成に向けての調整は、現在、進行中である。
この案件は、まだ、一般的にジャーナリズムが大きく取り上げるものとなってはいないが、利害関係者が積極的に発言をしており、徐々に世論を2分する問題になり始めている。米国憲法修正第4条(捜査令状なしでは、逮捕、捜索、押収をされることがない旨を定めた人権擁護条項)よりも、テロとの対策に重点を置くべきであるとのブッシュ大統領、司法長官(連邦)、大方の共和党委員、NSA、FOX、Time等のジャーナリズム対大方の民主党委員、一部州の司法長官(注3)、ニュ―ヨークタイムスを初めとする一部ジャーナリズムの意見の両極化が進んでいる。
敢えて、この案件の将来を予測すれば、議会でのこの案件についての決着はつかないであろう。電話会社を過去に遡って免責する法案が両院合意の元で提出される可能性はまずないと考えられる。また、電話会社を免責しない(条文を設けない場合も含め)旨の法案が万一可決されたとしても、ブッシュ大統領は再三再四、そのような法律には署名しないとの声明を出しているから、結局、この種の法律発効の可能性はない。
従って、法廷を場としての長期の争い(その最終決着は、最高裁判所の判決)が続くこととなろう。また、裁判の進行に応じ、ブッシュ大統領の人気はますます低落して行く。また、すでに巨額の賠償金をともなう訴訟に巻き込まれている電話会社(とりわけ、AT&T、Verizon)は、今後もこの案件による火の粉を払うために、多大の労力を費やさざるを得なくなるだろう。2009年初頭に退陣するブッシュ大統領であるが、米国電気通信業界に大きな負の遺産を残したものではある。
本文では、議会におけるこの案件についての立法活動、裁判所の動向及び、将来の他の裁判所の判決を示唆するある控訴裁判所(カリフォルニア州)の判決について解説する。
ブッシュ政権による捜査令状なしのワイアタッピング体制の確立(2001年11月から2007年8月)
NSA Surveillance Programによる捜査令状なしのワイアタッピングの実施
ブッシュ大統領は、ニューヨークタイムスのスクープを契機とした民主党議員連、市民団体等の追及を受けた結果、2006年5月に至り遂に、海外のテロ容疑者逮捕の目的のため捜査令状なしでワイアタッピングを行ってもよいとする趣旨の大統領命令(NSA Surveillance Program)を発出したことを認めた(注4)。大統領は、命令の発布は、2001年9月11日後のことだとしているが、Qwestの元会長のNacchio氏は、すでに2000年に、NSAからインテリジェンス情報提供の要請を受けたと証言している。その他の状況からしても、この大統領令の発布が、2001.9.11テロの以前に行われた疑いは大きい。
ブッシュ政権がその内容を機密にしているので明らかでないが、諸種の資料、関係者の発言等を参考にすると、国内の米国人に対しても、捜査令状なしのワイアタッピングが広範囲に実施された(もしかして、実施されている)可能性がある。
外国人に対する捜査目的のための捜査令状発布の条件については、1972年にFISA(Foreign Intelligence Surveillance Act)が制定されている。この法律では、インテリジェンス情報収集目的の性格からして、一般の裁判所と別個に特別裁判所(FISC,Foreign Intelligence Surveillance Court)が設けられている。しかし、捜査令状の発布は、外国人に対するものに限り、しかも、良識的な手順を定めている。ブッシュ政権は、このやりかたでは、2001.9.11テロ対策の重要な要請に応じられないというので、いわば、FISCをスキップして、NSA等インテリジェンス機関の捜査を容易かつ効率的にするため特別命令を発出した面もある。
なお、ブッシュ政権は、この命令の根拠として、2001年11月18日に議会が共同決議したAuthorization For Use of Military Force(AUMF)を挙げている。しかし、抽象的な文言で、緊急テロに対する武力行使の必要性を認めただけと考えられるこの共同声明により、憲法修正第4条で保証された捜査令状なしの捜査禁止を侵犯してもよいという法解釈に多くの法律家は、疑問を呈している。
大統領命令を追認し法律にした色彩が強いProtect America Act of 2007(2007年8月)
ブッシュ大統領は、批判の強い大統領命令を議会の賛同を得た法律の形にする必要性を感じたためもあろう。2007 年夏の議会休会前に、政府が起案した法案Protect America Act of 2007を上院、下院の議員連を説得して可決させた。その後、この法案は、大統領の署名を得て法律となった。
この法律は、6ヶ月間の時限立法である。ブッシュ大統領は、恒久法の制定を望んだのであるが、民主党議員連の強い反対があって時限法となった。
この法律には、次のような内容が織り込まれている(注5)。
- インテリジェンス収集の対象は、これまで外国人、または、外国人と接触がある外国にいる米国人に限られていたが、この法律では、「合理的に判断して米国外に在住すると信じるに足る米国人」にも拡大された。
- 米国のすべての通信会社(AT&T、Verizon等の伝統的な電話会社はもとより、携帯電話会社も、Comcast等のケーブル会社も、Google、Yahoo!等のISPも)は、インテリジェンス機関からの要請があれば、保有するすべての情報(通話のみならず、eメールその他の一切の電子情報も)を提供する義務を負う。
- 上記企業は、行った情報提供の行為に対し訴訟からの免責を受ける。また、上記調査に要した費用は、政府から補償される。
議会におけるFISA、PAAの見直しに向けての努力(2007年10月以降)
米国議会は、ブッシュ大統領からの強い要請を受けて2007年8月に、PAA法案を可決したものの、特に、民主党員連には、その内容があまりにもインテリジェンス機関の便益を図りすぎたのとの反省が強く、見直しの機運が高まった(注6)。
他方、ブッシュ政権の側からすれば、PAA法では、政府に対し情報提供で協力する電話会社、IT会社に対する民事訴訟に対する免責が規定されはしたものの、この免責は将来に向けたものであった。現に、この案件についての数多くの民事訴訟が提起されている。電話会社側(特に、AT&T、Verizon)がいつ敗訴の確定判決を受けるか、予断を許さない事態になっている以上、時期を遡らせての電話会社の免責を法律に織り込むことが必要であった。
この法律作成の作業は、2007年秋に開始され、現在まだ進行中である。
両議会における法案策定の進捗状況は、次の通り。
下院
下院は、2007年11月15日、RESTORE Act of 2007草案を227票対187票で可決した。この草案の名称は、米国民の人権を尊重しているFISAの精神、内容を再興(レストア)しようとの意をこめたものであって、次の2点で大きく、PAA法と異なっている。
- 国外にいる外国人に対する場合にのみ、裁判所発行の捜査令状を伴わないワイアタッピングを認める。
- 政府からの要請に基づきワイアタッピングに協力した企業(電話会社、IT会社等)に対する民事上の免責については規定を設けない(つまりこの案件は、裁判所の判断にゆだねるとの趣旨)。
上記法案の可決は、民主党が主導権を占め議長(ペローシ氏)も民主党である下院においては、当然の帰結であった。しかし、上記第2項の免責問題については、免責を認めるべきではないとする議員と認めるべきではないとする議員との意見が対立し、その妥協策として、規定を設けないとした結論が出された経緯がある。
上院
上院では、2つの小委員会で対照的な内容の草案が可決され、現在、本会議に提出する法案の内容について、協議が行われている段階である。両草案のポイントは次表のとおり。
表 上院の2小委員会がとりまとめたワイアタッピング規制に関する法律草案の概要
項目 | Intelligence Committee | Judiciary Committee |
捜査令状を要しないワイアタッピングの範囲 | 国外にいる外人はもとより、合理的に判断して外国にいると信じるに足りる米国人 | 国外にいる外国人に限る |
インテリジェンス機関に協力する企業への免責 | 免責する。法律施行前の企業の行為についても同様。 | 規定を設けず。 |
取りまとめの月日 | 2007年10月18日 | 2007年11月15日 |
Intelligence Committeeの草案取りまとめに当ったのは、民主党の委員長、Jay Rockfeller氏である。ついでながら、これまで、どちらかといえばリベラル派であると思われていた同氏が、今回、ブッシュ政権のワイアタッピングの方針に積極的に加担する行動を取ったのは、意外であった。同氏は、AT&T、Verizon両社から、ここ数ヶ月のあいだに多額の政治献金(両社幹部の個人献金という形で)を受けていることが明らかになっている(注7)。
Judiciary Committeeを主導したのは、民主党委員長のPatrick Leahy氏である。同氏は、政府からの強い圧力にもめげず、反対派を説得しまた妥協も行い、10対9の票決により草案を取りまとめた。
この案件について多くの訴訟を提起された裁判所、有力な判決
他方、裁判所に対しては、現在、電話会社による不法なワイアタッピングを不当とする40件以上もの訴訟が提起されている(注8)。
最近、カリフォルニア州の第9巡回控訴裁判所は、捜査令状なしにワイアタッピングされたとして、あるアラブ系の政治団体(Al-Haramain Islamic Foundation)が政府を訴えた訴訟を原審に差し戻した。最大の係争点は、被告側がたまたま入手した米国財務省のワイアタッピングを示した通話記録を証拠として採用して欲しいとの主張が認められるかいなかであった(注9)。
この件について、巡回控訴裁判所は、(1)通話記録は、軍事上のインテリジェンス活動についての資料を含み、コモンロー上の国家機密と判断されるから、証拠として採用できない。(2)しかし、政府が捜査令状なしでワイアタッピングをしているという訴訟の論点自体は、裁判で争うことができる(Gary M.King裁判長は、この事実は、ブッシュ大統領外政府の幾人もの高官が認めていることを判示の根拠とした)。
この判決は、(1)については、ブッシュ政権のかねてからの主張が認められたものであって、同政権にとっても大きな勝利を意味する。しかし、被告の弁護士側は、(2)により、少なくもワイアタッピングの違法性を今後も裁判で主張して点については、今後、訴訟を継続できると主張しており、被告側にとっても勝利であると宣言している。
この裁判は、多くのワイアタッピング訴訟の結論の一つの類型を示しているものと考えられる。これまで行われてきた、また現に行われているであろう米国市民に対するワイアタッピングが、米国憲法上合法的かいなか(これは、とりもなおさず、ワイアタッピングを容認した米国大統領の特別命令が、憲法違反であるか否か問題を含む)についての判断を中心として、幾つもの連邦段階での判決が出され、さらに、このうちの幾つかが最高裁判所に上告され、最終的には、この案件は、最高裁判所の判決により、決着が付けられる可能性は十分、考えられる。
(注1) | 2006年7月1日号、DRIテレコムウォッチャー、「最大規模の民事訴訟を引き起こした米国政府の電気通信プライバシー侵害疑惑」」。 |
(注2) | AT&Tがサンフランシスコ市のFolsom Streetに有する641Aの秘密室に、インテリジェンス提供用の施設があるという。あるネット記事によれば、簡単な回線図まで添えられている。この図によれば、AT&Tの加入者は、この秘密室から、機密のネットワークを通じて、外部に直接接続されるようになっている。 2007.11.9付けhttp://sfist/com、”Mr.Klein Goes to Washington.” |
(注3) | 最近、司法長官に就任したばかりのMichael Mukasey氏は、ブッシュ大統領の意を受けて、上院に対し、電話会社への免責条項挿入法案の制定を強く、要請している。これに対し、一部の州(コネティカット州、バーモント州、ネイン州、ニュージャジー州)の司法長官は、電話会社免責に強く反対している。 2007.11.5付けhttp://www.legalnewsline,com、”ADs submit testimony in 9/11 wiretapping issue.” |
(注4) | この正体不明の大統領命令については、様々の論評、推測があるが、筆者は、Wikipedia の”NSA warrantless surveillance controversy”を主として参考にした。 |
(注5) | この項の記述は、次の2件の資料によった。 (1)2007.8.6付けhttp://blog.wired.com、"Law Gives Government Six months to Turn internet and Phone Systems into Permanent Spying Architecture.” (2)2007.8.6付けhttp://www.news.com、”FAQ:How far dose the new wiretap law go?.” |
(注6) | この項執筆については、幾つものネット情報を参照したが、特に次の3つの資料が有益であった。 (1)2007.10.19付けhttp://blog.wired.com、”Senate Bill Gets Telcos Legal Immunity and Lets NSA Wiretap In U.S Without Court Approval.” (2)2007.11.18付けhttp://www/nopr.org、”Senate Panel to Vote on Immunity for Phone Firms.” (3)2007.11.15付けhttp://edition.com、”Committee passes surveillance laws update in face of veto threat.” |
(注7) | 2007.10.28付けhttp://big.wired.com、”Democratic Lawmaker Pushing Immunity Is Newly Flush With Telco Cash.” |
(注8) | このうち、最大のものは、(1)EFF(人権擁護を目的とした非営利団体)がカリフォルニア連邦地裁に提起したAT&Tに対するNSAの要請に協力し、大々的な監視活動に参画することによって、米国市民のプライバシーを侵害しているとの訴訟提起(2)ACLU(米国憲法修正条項遵守を目的とした団体)がVerizon、AT&Tを相手取って提起した訴訟提起である。この両訴訟の提起時点の状況については、(注1)に紹介したDRIテレコムウオッチャーに記述済みである。その後、この両訴訟案件の進展はフォローしていないが、司法省からの露骨な訴訟棄却をする旨の働きかけのもかかわらず、継続中である。 |
(注9) | ネットにおいてこの判決について、幾つもの論評を見ることができるが、筆者は次の2件を参照した。 2007.11.19付けhttp://www,netnews.com、”Court:Wiretapping Suit Can Proceed,but Key Evidence Privileged.” 2007.11.16付けhttp://abcnews.go.com、”Court Cuts Into Wiretapping Case.”
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