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最大規模の民事訴訟を引き起こした米国政府の電気通信プライバシー侵害疑惑

2006年7月1日号

 米国では現在、NSA(国家安全保安局、国防総省の内局)が主要電気通信キャリア(嫌疑が最も高いのはAT&TとVerizon)からの緊密な協力を得て、法律に基づかない通信の傍受を大掛かりに行い、また膨大な通信記録を入手し、これに基づいた調査を行っているのではないかとの疑惑が大きく浮上している。この疑惑は、2005年12月以来、一部新聞紙上で報道され、これがきっかけとなり、疑惑を掛けられているNSA、電気通信キャリアに対する訴訟が数多く提起されている。今回は、昨年12月以来のこの案件の進展概要を紹介する。
 上記訴訟のうち主たるものは、2006年1月にEFF(Electric Frontier Foundation) が提起したAT&Tを相手取った訴訟と、2006年5月にACLU(American Civil Liberty Union)が提起したAT&T、Verizon、BellSouth)を相手取っての訴訟である。訴訟事由は、両訴訟とも、米国国民の自由権(わが国の用語を使えば通信の秘密)を侵害していると主張している点は共通であるが、EFFは、"不法で大掛かりな傍受"を違法であるとしており、また、ACLUは"NSAによる電気通信事業者の幾百万にもおよぶ加入者の通信記録の入手"を主な訴因に挙げている。
 ところで、この訴訟の特異性は、米国政府(具体的には司法省)が、国家機密特権(National Secrets Privilege)を行使して、裁判を担当する裁判官に訴訟を棄却するよう圧力を加えている点にある。
 National Secrets Privilegeとは、1958年以来、慣行によって生じた外交政策、軍事機密、国家保安上の目的のため、米国行政府が行使する特権であって、これにより訴訟上の資料の提出拒否、訴訟の棄却等を命じることができるというものである(Wikipediaの解説による)。米国では、2001.9.11(米国本土テロ)が、ブッシュ政権にこの特権行使の絶好の理由を与えており、近年、この特権行使の回数は増えている。しかし、今回、司法省は、最初から国家機密上、今回の案件のすべて(たとえばNSAと電気通信キャリアの接触の事実すらも)を認めず、訴訟全体を棄却すべきだと主張しており、その姿勢は極めて高圧的である。
 米国ジャーナリズムの一部は、国家機密保護の事由により、数多くの裁判が棄却されたら、米国市民の通信の秘密保持の権利は著しく侵害されるばかりでなく、ただでさえ批判が多い行政権優位の傾向がますます高まるとの危惧を声高に叫んでいる。
 そもそも、本文で触れる通り、上記訴訟の主体はニューヨークタイムズ、USATodayの問題提起を受けて、市民権擁護団体のEFF、ACLUが原告となったものである。民事訴訟であるだけに、電気通信キャリアを相手取った訴訟となっているが、キャリアは国策に従っているまでのことであるとは、AT&Tが強く主張しているところである。訴訟の本質は、一部ジャーナリズム・市民団体によるブッシュ政権のNational Secrets Privilegeに対する挑戦だと見るべきであろう。
 本論では、ニューヨークタイムズが2005年12月に問題提起をして以来の、この案件の経緯を説明する。

政府プライバシー侵害の疑惑を報じたニューヨークタイムズ、USAToday

 米国政府による電気通信分野でのプライバシー侵害は、ここ数年、散発的に報じられたことはあったが、現に進行中である訴訟を誘発した報道は、次表に示す2件である(注1)。

表 米国政府のプライバシー侵害を報じたニューヨークタイムズ、USATodayの記事
掲載紙
概要
ニューヨーク
・タイムズ
(2005.12.25)
米国政府の保安機関(the security agency)は、幾社かの電気通信キャリアの協力を得て、これらキャリアの交換機にアクセスし、米国に発着する国際通話、インターネット・トラフィックの監視を行っている。
ブッシュ大統領は、電話、eメールの発信者、着信者のいずれかが外国にいる場合、捜査令状なしに傍受することを認めている。
市民グループは、政府のこのような大掛かりな通話監視、分析体制が、米国市民のプライバシー侵害になるのではないかとの懸念を強めている。
上院の司法委員会は、大統領が上記の通話傍受の権限があるか否かについて、公聴会を開催する意図を有している。

またこの記事は、米国議会のある職員の言として、保安機関がブッシュ政権の認めている範囲を大きく超えた規模で、トラヒックの分析を行っている事実をほのめかしている。
USA Today
(2006.5.17)
NSAは、AT&T、Verizon、BellSouthから提供されたデータを基にして、幾千万人もの米国市民の通話記録を収集している。
このプロジェクトは、2001.9.11以降に、早々に行われたものであって、その範囲は米国全土の米国市民、企業に及ぶ。
3社からの通話データは、電話番号(電話番号に発着した電話番号を含む)、通話時刻、通話時分であって、個人名は含まれていない。
ブッシュ大統領は、昨2005年、テロリストと関係があるとの疑惑を受けている人々の国内に発着する国際通話、Eメールについて、捜査令状なしにこれを傍受する権限をNSAに与えた。しかし、今回明らかになったNASAによる通信データの構築は、大統領付与権限の範囲をはるかに超えている。
NSAは、この情報を他のデータベースと付き合わせることによって、広範囲なプライバシー情報を入手できる。

 ニューヨークタイムズの報道は、600字程度の簡潔なものであり、見出し、内容ともに控えめなものであった。これに比し、USATodayの報道は、ダウンロードで6ページに及び、新聞記事としては大部のものである。証拠の出所もおおむね明示されており、まさにスクープに値する。この記事の後半は、AT&T、Verizon、BellSouth、Qwest4社から得たNSAとの協力の有無、その度合いに対する照会についての回答に宛てられているが、これら4社の公式回答は次項で紹介し、重複することとなるので、表の記述からは省いた。

ブッシュ大統領の順法発言、RHC4社のNSA協力についての回答

 USA Todayの記事に対する反響は大きかった。特に、他の新聞、市民団体から、政府と電話会社の共同により、米国市民に対するプライバシー侵害が行われていないのかどうか、事実を究明せよとの苦情、要望が相次いだ。他方、議会筋、規制機関からの反応は、いささか積極性を欠いている点が目立った。議会では、上院の司法委員会が、この件について、プライバシー侵犯を名指しされているキャリアのトップを公聴会に呼び出す意図を明らかにした(その後、2006年6月22日に実現した)が、一般議員の積極的な発言は見られていない。通常、電気通信が関係する案件については、積極的な関与を表明するFCCのMartin委員長も、この案件に関与するつもりはないと発言した。
 ブッシュ大統領およびNSAと協力して、米国市民のプライバシーを大きく侵犯していると名指しされたRHC各社の発言は次の通り。

ブッシュ大統領の順法宣言
 ブッシュ大統領は、2006年5月12日、他の案件も含めた声明のなかで、ブッシュ政権のテロ対策とプライバシー保護政策との関係について、次のような声明を行った。前日に発表されたUSA Todayのインパクトを考慮したものであることは明らかである。

私は発信者、着信者のいずれかが国内にいる国際通話について、捜査令状なしで傍受する権限をNSAに与えた。これは、国際テロを防止するために肝要な措置である。
わが国民のプライバシーの保護は、きわめて重要である。わが政府のすべての活動において、捜査令状なしに、国内通話を傍受することは認められない。

 上記第一項は、この内容が法律によらず大統領命令により定められるべきであるか否か、疑問の残るところである(上院法務委員会の委員長は、別途この大統領命令の内容を法案化したいとの意図を示している)。第2項は、司法省を通じ、National Secrets Privilegeをしばしば発動している責任者の発言であるだけに、いかにも白々しい。

RHC4社の発言(注2)
ATT:NSAとの接触はあるが、公益を守る責務を有する政府機関にする義務があるので、その範囲内で必要最小限の適法な協力を行っている。
Verizon:NSAの通話監視プログラムについて、それが存在するともしないともいうことはできない。しかし、メディアの報道は間違っている。
BellSouth:NSAに対し、大量のデータを提供したことはない。
Qwest:2002年にNSAから通話資料を提供する要請があったが、法的に疑義があるので提供を拒否した。

 上記の発言からすると、Qwestを除く3社は、慎重に言葉を選びながらも、結局、 NSAへの関与を認めたといってよい。ただ、関与度合いの濃さは、AT&T、Verizon、BellSouthの順であるように思われる。次項で述べるとおり、AT&Tについては強力な内部告者の証言があり、AT&TがNSAへとの密接な協力関係を否定することがきわめて難しくなっている。

訴訟となった電気通信プライバシー侵害問題(1)−EFF、AT&Tを訴える

 EFF(Electronic Frontier Foundation)は、2006年1月末、違法にNSAへの通信情報を提供したとして、カリフォルニア連邦地裁に対し、AT&Tを相手取り訴訟を提起した(注3、注4)。すでに述べたように、ニューヨークタイムズが政府の情報収集活動について警鐘を鳴らす報道を行ったのは、2005年12月のことなので、この訴訟提起はその記事に触発されたかのように見えるが、EFFは多分、それ以前からかなりの調査を行っていたものと思われる。
 EFTはさらに、2006年4月初旬、AT&TがNSAの監視活動に参画している証拠として、Mark Klein氏(サンフランシスコ交換局に勤めていた元AT&T従業員)の証言、および資料を提出した。
 Klein氏は、(1)AT&Tは、2003年ごろからNSAの情報収集に協力している。(2)この目的のために、サンフランシスコ、シアトル、サンノゼ、ロサンゼルス、サンディエゴを含む各都市に、特別の部屋が設置され、この部屋で機密裡に通話監視が行われている。(3)この部屋には、Narus社(商用目的のトラフィック監視装置専用メーカー)の通話監視装置Narus6400が設置されている等の証言をしている(注5)。

訴訟となったプライバシー侵害問題(2)−ACLUをはじめとする個人、団体が数多くの訴訟を提起

 2006年5月11日付けのUSATodayは、数多くの訴訟を引き起こすきっかけとなった。テロと直接関係のない通信データがNSAに引き渡されていること自体が、米国民のプライバシー侵害になると判断する人が多かったからと考えられる。
 先鞭を付けたのは、ACLU(American Civil Liberty Union)であった。ACLUは2006年5月12日、Verizonを相手取って訴訟を提起した。また、数日後、訴訟相手に、AT&T、BellSouthも加えた。損害賠償請求額は2000億ドルの巨額な金額である(注6)。
 このほか、訴訟案件が幾件あるか定かでないが、Verizonは同社に対するものだけで、20社を超えることを認めている。
 なお、このプライバシー訴訟問題に全力投球しているACLUは、2006年5月25日、"Don't spy on me"(私へのスパイ行動はご免蒙る)のキャンペーンを開始し、その一貫として、全国20の州公益事業会に対し、Verizon、AT&T両社が不当に顧客の通話記録を引き渡している事実がないかを調査するよう求めた。現在、少数ではあるが、一部公益事業委員会で、このような調査に着手している模様である(注7)。

公聴会で明らかになったEFF訴訟当事者の主張(注8)

 2006年6月26日、EFFが提起したAT&Tに対する裁判の第2回の公聴会が開催され、EFF、AT&T、司法省がそれぞれ意見を陳述し、裁判当事者のスタンスがきわめて明確となった。
 EFF側の弁護士Fram氏と内部告発者として証言台に立ったKlein氏は、提起した訴訟が証拠に基づいてなされ、この証拠だけで立件可能なものであり、司法省の介入があっても、裁判が継続できることを強調した。FCCの元技術顧問、Marcus氏も、EFF側に立って証言し、Klein氏の提出した資料についての分析結果を披露した。同氏によれば、AT&Tが設置しているNSA用通話監視装置は、国内インターネットのトラフィック、さらには、一部AT&T以外の加入者のトラフィックをも監視できるものだという。
 被告のAT&Tを代表する弁護士のBerenson氏は、AT&Tは、たとえNSAと協力していたとしても、免責を受ける。AT&Tは、政府の受身の道具としての役割を果たしているにすぎないと自己弁護し、EFFは訴訟の相手方を間違えていると論じた(筆者意見:しかしこの弁護は、いかにもAT&Tが原告の追及する行為の遂行を自白したように受け取れる)。
 これに対し、司法省次官補Keisler氏の意見は、強引きわまりないものであった。氏は、"政府が情報収集の目的のためにAT&Tの協力を受けていることを認めること自体が、テロリストたちを利することになる"と論じ、裁判の棄却を求めた。
 Walker裁判官は、各証人の発言の後に、言葉少なくコメントを挟む程度の発言をおこなったが、その口調からすると、少なくとも裁判の全面的な棄却に賛同することはあるまいとの印象を傍聴人に与えた模様である。例えば、同裁判官は、国家機密特権は無制限のものではない」との見解を述べている。
 それにしても、司法省のKleinsは弁護士から司法省に転じ、民事訴訟、電気通信法制の分野では米国指折りの専門家であるらしい。こういう知見を備えた同氏が、多分、心ならずも、米国通信分野における司法の権限を無視すべきだであるとの言い張らなければならないところにState Secrets Privilegeがもたらしている米国の司法制度の歪みを感じざるを得ない。

(注1)2005.12.25付けNew York Times, "Officals Want to Expand Review of Domestic Spying"および2006.5.11付けUSA Today, "NSA has massive Database of Americans'phone calls"
(注2)2006.5.17付けForbs, "AT&T Slapped In NSA"および、2006.5.12付けVerizon のニュースレリースによる。
(注3)EFFは、1990年に設立されたネット関連の人権保護を目的とする非営利団体である。個人からの寄付を主たる財源とし、諸種の人権関連の活動(訴訟提起も辞さない)を行っている。
(注4)2006.5.17付けWired News, "EFF's Class Action Lawsuit Against AT&T for Collaboration with illegal Domestic Spying Program"
(注5)Mark Klein氏の証言内容については、2006.5.17付けのWired News, "AT&T Whistle Blower's Evidence" によった。なお、カリフォルニア連邦地裁の命令により、Klein氏の証言、資料(現物の圧縮版)は、公表されている。
(注6)ACLU(American Civil Liberty Union)は、米国憲法の修正条項(国民の権利章典)の遵守を目的とした人権保護団体である。また、損害賠償額2000億ドルの根拠は、想定被害者数1億人に1000ドル(1996年通信法で定められた損害要求額の上限)を乗じて得られたものである。
(注7)TMC.net, "ACLU calls on states to cover phone spying"
(注8)この公聴会については、多くの報道が為されているが、主として、2006.6.24付けNew York Times, 2U.S pushes for Dismissal of Lawsuit Against AT&T"と2006.6.23付けWireless News, "Watergate Echoes in NSA Courtroom"を参照した。

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