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  フリー百科事典、ウィキペディアは知識の“社会還元”  (IT アナリスト 新井 研氏)
2006年6月1日号

 前回でグーグルアースについて触れ、その中でWeb2.0の文脈でグーグルアースを位置づけたが、そうなるとウィキペディアについても触れなければならないと思うようになり、今回はWeb上のフリー百科事典ウィキペディアのメカニズムについて考えてみたいと思う。

■オープンコンテンツ
 最近、ネット検索すると「フリー百科事典:Wikipedia」といった項目が目立ち「Wikipediaによると」といった表記もよく見かける。これは誰もが自由に利用できて、誰もが自由に著者にもなることができるボランティアによるオープンな世界最大規模の多言語百科事典である。
 ウィキペディアは、現管理母体・ウィキペディア財団の理事長ジミー・ウェールズ(1966年生のウエールズ系米国人)が2001年1月に、「世界最大のフリーな百科事典をつくろう」という理想の元に起こした。現時点で300万件以上の記事が収められている。言語別で記事の多い順に、英語130万件、ドイツ語40万件、フランス語29万件、ポーランド語、23万件。日本語は21万件で5番目の多さである。韓国が主導する朝鮮語版はハングルインターフェイスの開発に手間取ったこともありまだ2万件程度である。
 インターネットの視聴率調査会社ネットレイティングスによると、今年2月の日本語版ウィキペディアへの訪問件数は700万件にのぼり、前年比3倍ペースで増加しているという。とにもかくにもウィキペディアの最大の特徴は、中立性、客観性、誹謗中傷を避ける、といったガイドラインを守りさえすれば誰でも寄稿、編集、改定などに参加できるという“オープンコンテンツ”というわけだ。細部の解釈や政治的なトピックについては議論が行われ、そのつど改定されるため“生きた百科事典”“永遠(に書き換えが続く)の百科事典”とも言われる。このあたりがソフトウエア開発のオープンソースの手法と似ているが、オープンソースの代表格Linuxの場合はLinus Tovalsといった絶対的管理者がいるが、ウィキペディアは長期的に信頼を築いた管理者が参加者の合議で選ばれ、トピックを管理する。

■どんな人が書いているのか
 従来の百科事典はブリタニカや学研などのような営利企業の出版社の責任で各分野の専門家が実名で書くことから、権威と信頼が置かれるが、ウィキペディアはまったくのボランティアで非営利事業だ。最近では膨れ上がる情報量にコストがかさみ、国連の援助を仰いだりしている。もちろん書き手も無給である。しかし、それなりに記事の品質も高いと評価されている。ではいったいどんな人が書いているのだろうか。米国Hotwiredに貢献度の高い寄稿者「ウィキペディアン」のインタビュー記事があったが、ほとんどが素人ではなく、ソフトウエア技術者、地質学者、人類学者、天文学者などそれなりの権威を持っている人々がリーダー的存在として活躍している。ある専門分野の権威のウィキペディアンは管理者にならなくとも他の人が書いた記事をチェックして間違いを正してあげたり、「荒らし」といわれる記事を悪意的に書き換えたりする輩から守ったり前向きな活動をしている。こういった非常に高度な知識を持ったウィキペディアンが多数、責任感と誇りを持ってボランティア活動を支えている。発足以来累計3万人以上の人が書き込みや編集に参加しており、3万人すべてが好意的でウィキペディアンであることに誇りを持って活動しているわけではないが、少なくとも常時活動しているアクティブな数千人はやりがいや責任感を感じて関わっているようだ。このあたりはどうもキリスト教の文化を底流に感じる。自由競争で膨大な富を得た成功者は税金ではなく教会への自由意志による寄付で社会還元する。つまり、それなりの地位を得た知識人はウィキペディアを通じて知識を社会還元する。ウィキペディアはその受け皿ではないだろうか。

■同じ書き手?
 このことが既存のメディアに劣らない信頼性を勝ち得たことであり、日本でも月間700万人もの人が訪れる定番サイトになったゆえんであろう。かつて言われたことだが、インターネットは情報の送り手(放送会社、新聞社や出版社など)の構図から、誰でも情報発信者になれるといわれたが、無数にあるブログと違って世界にひとつしかないだけにウィキペディアはわかりやすい例であろう。
 さらに、今年3月米国科学誌の権威・ネイチャーが、ブリタニカ社の百科事典とウィキペディアの記事を比較分析、科学分野の記事42項目を分析したところ、両者ともに重大な誤りが4箇所、正確性に欠ける表現は、ブリタニカが123件、ウィキペディアが162件で「大差はない」という見解を発表した。これにはブリタニカ側が方法論をめぐり不平をこぼしたが、ウィキペディアのプロジェクトがうまく行っていることを知らしめた事件であった。
 実はこのことは前段の「どんな人が書いているか」を理解すれば不思議でもなんでもない。要するに本来百科事典の編集に名前を並べそうな面々がウィキペディアの記事を書いたり、編集、修正に寄与していたためだ。もちろんウィキペディアに書きたいがために一生懸命勉強してその分野に没頭しようとする素人も少なくない。すべての記事においてこういったメカニズムが働いているとは言うつもりはなく、まだ素人っぽい記事が散見されるのも事実だが、集合知などといった言葉で説明するまでもなく、オープンで誰もが参加できるプロジェクトの裏側は案外シンプルであったりする。だが少なくとも、ウィキペディアのプロジェクトが、まだ一部とはいえ、こういった各界の権威のような人も徐々に心を動かされて、知識の社会還元のメカニズムを成立させていることは確かであり、これもインターネットの新しい側面のひとつといえよう。



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