DRI テレコムウォッチャー


市場と規制に関する対極的な2冊の書物

2005年8月1日号

 暑い季節に入りました。ロンドンで連続テロが起きるとか、わが国で郵政法案の審議が白熱化しているとか、内外で大事件が起こり、ますます今年の夏は暑く感じます。こういった時期に、多少とも世界経済、社会の将来展望についての座標軸を確立したいと考え、かねがね読んでみたいと思っていた2冊の書物を精読しました。良書を読むと人に勧めたくなるのは私の癖です。今回は、通例のテレコムニュースの解説に代え、これら書物の独断的書評を致します。
 紙面の関係等もあり、両書と電気通信政策の関連については、今回は触れません。気楽に、目を通してください。

ミルトン・フリードマン:選択の自由(Free to choose)

 1980年に出版されたこの書物は、依然として版を重ねているし、現在もその価値を失っていない。筆者は、フリードマン氏の自由市場に対する強い信念と巧みな語り口に魅惑された。氏は、1967年にノーベル賞を受賞している米国の代表的経済学者であるが、ジャーナリスティックな才能も抜群である(日本経済新聞社から、西山千明氏による本書の翻訳、「選択の自由」が発刊されている)。氏は、1912年7月31日の生まれであるから、93歳の誕生日を迎えたところ。インターネットで見ると、まだまだ旺盛な評論活動は衰えていない。この書で、電気通信について一言も触れていないのは残念であるが、今、米国で話題になっているテレビ分野へのVerizon、SBC Communications両社の参入問題については、選択の自由を高めるとの年来の同氏の主張から、ケーブルテレビ側の防御策を批判している(注1)。
 この書物の主張は、アダム・スミスの国富論の引用が冒頭に置かれていることからも明らかな通り明快である。できるだけ、国富論の主張通り、小さな政府を実現しようとすることに他ならない。
 氏は、現在の米国社会の非能率、生産性向上の低下等の弊害は、すべて、1930年代から40年代に掛けての民主党による誤ったニュー・ディール政策に由来するものであって、大幅に規制機関、公務員を減らし、「小さい政府」を実現すべきだと説く。
 また、フリードマン氏は、多くの公務員を使う割には非効率な年金、医療保険を攻撃する。年金は、民間保険の場合に比し、受給関係が明瞭にされておらず、きわめて不完全な社会保障制度であるから、大改革が必要だと主張する。氏の主張によると米国でも、年金は所得の低い層に不利に運用されており、中産階級に有利になっている点も公正を欠くという。フリードマン氏は、現行の米国医療制度(周知のように、先進国諸国のうち、もっとも遅れていると評されているものであるが)は、むやみに医者の治療行為を制約する結果となっており、非効率すぎるから廃止すべきであり、貧困のため医療が受けられない者だけを救済すればよいと主張する。
 フリードマン氏は、消費者保護行政についても、広範な批判を展開する。基本的に、氏は、市場の競争を通じて消費者の安全が保障され、また、劣悪な環境汚染は企業家が行うはずがないとの「企業家善人論」に立つ。さらに、医薬行政を痛烈に批判し、新薬商品化の許可を遅らせることによる人命損失をもたらしたと非難する。
 フリードマン氏は、労働組合の機能についても、それはおおむね特権的な労働者の権益を維持するものだとの特異な議論を展開する。米国の労働行政においても、最低賃金制度は労働者保護の大きな柱なのであるが、氏によれば、最低賃金を上げれば経営者側は雇用労働者数を減らすから、逆効果であると主張する。後述するとおり、この論はブッシュ大統領の持論ともなっている。

カール・ポランニー:大転換(The Great Transformation)

 カール・ポランニー(1864−1964)は、ウイーン生まれのハンガリー系社会科学者である。若いころは、ハンガリーでの政治活動、第一次大戦にオーストリア・ハンガリア軍の大尉として参戦、ウイーン、ロンドンでのジャーナリストとして健筆を振るい、米国(コロンビア大学)、カナダで学究生活を送るなど多彩な生涯を送った。
 The Great Transformationは、1944年に初版が出た、ポランニー氏が30年の研究成果を注ぎ込んだという大作である。わが国では、吉沢英成氏他、3名の学者による丹念な訳書(カール・ポランニー「大転換」東洋経済社、1975年)が発刊されている。この訳書の最新版は2004年6月の26刷であり、地味な本で論じられることが少ないが、着実に読者を獲得していることが伺える。
 この書は、現代社会における「自律的市場」(原語はself-regulating market であり、他からの規制を要せずそれ自体で自立能力を持っている市場という意味であるが、どういう訳語を当てるかは難しい。邦訳書では「自律調整的市場」という訳語が使われている。筆者は、一応「自律的市場」と訳しておく)は、あたかも自然に発生したシステムであったかのごとく、また、未来永劫続くものであるかのように受け取られているが、実は、歴史的な産物に過ぎない。現在(1944年当時)すでに破綻しており、将来、他のシステムが置き換わるだろうと断ずる。最適配分を見事に成し遂げる市場の力を賛美するフリードマン氏の所説と、全く対極に立つ主張である。
 ポランニー氏は、人間はそもそも、経済的利益を目的として経済合理性にもとづいて行動するエコノミック・アニマルではない。物の交換も長年にわたり、共同体単位での互恵(贈与とそれに対するお返し)とか再配分(弱者に対する支援、いわば社会保障)から始まったのであって、利益目的による物の生産、販売(つまり、全面的な市場の成立)が行われるようになった(あるいはせざると得なくなった)のは、19世紀中葉であるという。
 自律的市場が成立するためには、「労働力」と「土地」が、商品に組み込まれ、売買の対象となり、さらに、貨幣を世界中に流通だせるための為替の仕組が確立しなければならなかった。
 ところが、次表に示すとおり、「労働力」、「土地」には、本来的に売買に親しまない属性があり、売買対象になって以降、自己防衛のため、反逆を起こしてきた。つまり、「自律的市場」は、そもそも、その成り立ちからして無理があったのであり、たえず、強力な反対とそれに対応する政府の介入を伴ってきた。さらに、貨幣(為替)においては、自律性の欠如は当初から明らかである。為替レートの変動は、即、関連する国家の経済成長に大きな影響を与えるという不安定要因を内在させているという。

表 自律的市場を構成する3要素と各要素が持つ自衛行動の傾向(注2)
自律的市場の構成要素
各構成要件が持つ自衛行動
労働力
労働力の行使は、被雇用者の「生活」そのものである。したがって、自分の生活を快適にする目的は、自律市場(=雇主)の要請と反する。
土地
土地は、「自然」そのものである。したがって、「土地商品化」は、環境保全、公害防止の観点から、自律市場の要請と反する。
労働力
国単位の自律市場相互の為替調整の問題が、グローバルな自律市場の安定性を損なう。

両書の批判

選択の自由:企業家に勇気を与えるが、所得格差を増大させる

 フリードマン氏が、20数年前に物したこの啓蒙書が、いまもなお読み続けられ、彼の提示している政策が、実際に、米国の政界、経済界で影響力を持ち続けている。(注3)。
 筆者もこの書の切れ味の鋭さに、感銘を受けたものであるが、再読するに及び、結局、この書は企業経営者にとっては、有益な処方箋を幾つも提示しているものの、米国の一般国民を幸せにするものではないとの結論に達した。氏の経済政策の最大の問題点は、自由市場に信頼を置いて、不要な政府規制を撤廃すれば生産性が向上し、経済は成長するという超楽観論(ポランニー氏によればユートピア)にあるのであって、国民個々人の福祉(所得の上昇)が保証されていない点にある。これは、フリードマン氏の「平等」の定義と関連する。
 フリードマン氏は、「結果の平等」は、民主党が目標とするところであるが、実現不可能であるし、個人を堕落させるもとになると批判する。氏が代わりに主張するのは、「機会の平等」である。
 しかし、「結果の平等」を顧慮することなく経済運営が行われてきた米国で、所得配分の格差が拡大してきたことは、多くの統計資料が示すとおりである。1997年のある統計によると、米国の最上位1%の所得者(いわゆる大金持ち)が占める金融所得の比率は49%であって、全金融所得の約半数を占める。最上位10%、下位80%で占める金融所得の比率は、それぞれ83%、8%である。言い換えると、上位10%の富裕層は、下位80%の庶民層に比し、一人当たり約80倍もの金融資産を有していることになる。しかもこの不平等化の傾向はさらに増大している(たとえば1983年には、1%の富裕層が占める金融資産の比率は43%に留まっていた)(注4)。
 このような米国における所得格差の不平等は、少なくとも、「公正」とはいえないだろう。通常の国民は、政府に対し、「自由」、「機会の平等」と並んで、「公正」を要求するものではないだろうか。

大転換:一見奇矯なように見えるが、価値を失わない「自律的市場」の根源的批判

 ポランニーの「大転換」は、第二次世界大戦末期の1944年に書き上げられた書物である。彼が、“自律市場は消滅した”と断定したのは、この異常な時期における高揚と将来に掛ける新たな社会への期待を込めてのことであったに違いない。
 ポランニーの書物を、そもそも、「自律市場崩壊を断言すること自体が間違っていたではないか」とか、論証に使った資料が不確かだ」とか、「自律市場に変わるものとしどのような社会を構想していたのか」とか、批判することは容易である。事実、大方の自由主義経済派の経済学者たちは、批判どころか、この著書について触れようともしない。
 しかし、やや特異な文体(ドイツ語を母国語にする著者によることが明瞭である)で書かれたかなり難解なこの書物は、一度、著者の論理の流れを理解するとたまらなく奥深い内容を持つ書物である。著者が本書に投入した広範な学際的知識の重みと情熱のボルテージの高さがひしひしと伝わってくる。「市場社会」を歴史的に考察し、市場社会以前の社会と対比して相対化してしまった方法論も斬新である。
 ポランニーのこの処女作が、他の幾冊もの彼の著書と並んで、刊行60数年後の今もなお読み続けられ、欧米一部の学会で、彼の思想を受け継ぎ、討論する動きが見られているのも、むべなるかなと考える。今や、20世紀における社会科学書のクラッシック(古典)としての地位を得たというべきだろう。
 カナダのConcordia大学(モントリエル市に所在)には、1987年に創設された「カール・ポランニ協会」(Karl Polanyi Institute)がある。設立趣意書には、氏の遺志を継承し、氏の思想の普及及び発展を目標にすると謳っている。定期的に研究会を開催している模様であり、2005年10月には、トルコで13回目の会合を開催するという。
 1980年代は、市場のグローバル化が飛躍的に進んだ10年間であり、この世紀の始めに、片や、市場の力のオールマイティーを主唱するフリードマンの「選択の自由」が出版されたこと、また、後半に至り、グローバル市場の存在の正統性自体を否認するポランニー氏の著述への関心が高まるという現象が見られていることは、興味深い。

 最後に、フリードマン、ポランニー両氏の出自と学説についての関連について、感想を述べておく。
 フリードマン氏の父親は旧ハンガリー領のある町から、米国ニュージャージー州に移り、夫婦で乾物屋をして4人の子供を育てた。フリードマンは、奨学金とアルバイトで学費をまかない、地元のRutgars Universityを卒業、さらにシカゴ大学大学院で修士を取り、学究の道を歩き、米国最大の経済学者となり、今日に至っている。典型的な苦学力行の人である。
 これに対し、ポランニー氏のほうは、ハンガリーの知識階級の出身であり、ブタペスト、ウイーン大学で哲学、法律の学位を取っている。少なくとも、少年青年期には、かなり裕福に育ったようである。
 貧苦を味わったフリードマン氏の方が、市場原理主義の教祖となり、富裕な生活を送ったポランニー氏が、市場社会拒否の学説を唱えることになったのは、興味深い。
 共通点といえば、フリードマン、ポランニー両氏ともユダヤ系である点である。また、「選択の自由」、「大転換」ともに、自信満々、他説を寄せ付けないオーラを放出している書物である点も共通している。これも、ユダヤ系学者が書く書の特色なのかもしれない。


(注1)2005年6月17日付けChicago Sun-Times, "Don't let cable companies block competition on TV choices"
(注2)ポランニー氏は、自律市場が内臓する矛盾、問題点について、相当多くの紙面を費やしている。この表には、著者の表現のほか、理解しえた範囲での筆者の文章が混在していることをお断りしておく。
(注3)筆者は、フリードマン氏が提言する政策が、ブッシュ大統領に影響を及ぼしている事実を2004年11月米国大統領選挙の少し前に行われたブッシュ、ケリー両候補のディベートを見聞することで、実感した。NHKで放映されたこのディベートにおいて、民主党のケリー候補は、「最低賃金率を引き上げるべきである」と迫ったのに対し、共和党ブッシュ候補は、即座に、「最低賃金率の引き上げは、失業率を高めることになる」と反論したのである。
(注4)The New Press, "The Ultimate Field Guide to the US Economy"に引用された資料による。

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