FCC委員のKelvin Martin氏は、2005年3月16日、前任者Michael Powell氏の後任として、FCC委員長に就任した。
Martin氏は、2001年1月以来FCC委員(共和党)の職にあり、FCCの通信政策の決定に参画してきたベテラン委員である。氏はおおむねPowell委員長の政策を補佐してきたのであるが、同委員長が在任期間中に最大の課題として取り組んだ市内アクセス規制に関する規則制定案件の処理については委員長と激しく対立した。このため、民主党委員2名と共にパウエル委員長に造反して多数派を形成し、2003年2月には事実上、住宅用加入者に対するRHC回線のアクセス規制を継続する裁定を下すというハプニング劇の主役となった。
ところが2004年5月に、地方裁判所の判決により、このアクセス規則がほぼ全面的に否定されたのを契機に、RHCの住宅用加入者向け市内アクセスを大幅に自由化する方向での規則改正の裁定(2004年12月)に際してはPowell委員長を支持し、賛成票を投じた。
FCCにおいて、まれに見る造反劇の主役を演じたのにもかかわらず、これが同氏のキャリアの汚点とならず、当然のごとくFCC委員長の座をしとめたのは、38才という若さにもかかわらず、同氏の抜群の能力(とりわけ調整能力)が高く評価されてきたためであろう。
またMartin氏は、FCC委員就任前にはブッシュ大統領(当時、テキサス州知事)の特別補佐官(経済政策担当)であり、またブッシュ氏の初回大統領キャンペーンにおける顧問弁護士であった。また、Martin氏の妻、Catherine Martin氏は、現在、大統領特別補佐官(経済政策担当)の要職にある。このように、夫妻ともにブッシュ大統領と特別に親しい関係にあることからしても、今回のMartin氏のFCC委員長就任はブッシュ大統領にとり、きわめて自然な選択だったと見られる(注1)。
ところでMartin氏は、電気通信業界の各方面できわめて評判がよい。かって、Martin氏から煮え湯を飲まされた経験を舐めさせられたはずのPowell前FCC委員長は、「Martin氏の電気通信政策に関する広い知識と急速な電気通信技術の変化についての洞察は、FCCに貢献するところが大きいだろう」と述べ、氏の能力をきわめて高く評価している。また、Martin氏とは基本的に政策を異にするはずの民主党FCC委員Adelstein氏も「Martin氏はコンセンサスを築く術に長けており、業務に精通している」と賛辞を惜しまない。ここで一つ一つ紹介するのは省くが、RHC、CLEC、電気通信業界、メディア業界の各層から、新委員長への賛辞が寄せられ、批判的な意見がほとんど見られない。写真で見ると、一見ハリーポッター君が成人になったような感じを与える童顔の人だが、Martin氏はその業務経験、能力はもちろんのこと、よほど他人を引き付けるカリスマも備えているらしい。
本論では、前FCC委員長のPowell氏の功罪および、Martin新FCC委員長が当面している課題について解説する。
意外に強いPowell元FCC委員長に対する批判
Powell前FCC委員長は、経済学者フリードマン氏の信奉者だと自認している(注2)。フリードマン氏の理論に忠実であって、市場競争の役割の重要性を絶えず訴え、在任中、通信市場での競争の促進、規制撤廃の政策を推進した。また同氏は、デジタル、ブロードバンドの新技術により駆動される新サービスの発展の擁護者であって、これらサービスの促進を進めた。まさしく市場原理主義者だといってよい。
Powell氏が推進した通信政策の主なものには、以下のものが挙げられる。
(1)長距離通信事業者とRHC通信事業者の競争促進(在任前半期)
Powell前委員長は、特に2003年において、1996年電気通信法に基づく厳しい条件(24か条の条件)の下でのRHCの長距離通信市場への参入申請を急ピッチで認める政策(認可理由を認めた文書は、前委員長Kennard当時より簡潔となり、審査が緩和されたのではないかとの印象を与える)を推進した。この結果、RHC4社は、2003年末までに、すべての営業区域において、長距離通話市場への参入を認められることとなった。
(2)自前設備所有者相互競争の推進―インターモーダル競争の認識に基づく(在任後半期)
Powell氏は、2003年から2004年に掛けて、2004年5月にワシントン地裁が下した判決(2003年2月における裁定を基にして定められたFCC規則の主要部分を否定する趣旨のもの)の流れに掉さして、RHCがCLEC、長距離通信事業者に提供するRHCローカルループへのアクセス、ブロードバンドへのアクセスを大幅に自由化する規則制定に向かっての作業を推進し、2004年12月中旬、この裁定を下した。
(3)デジタル化、ブロードバンド化の推進
Powell氏は、デジタル化、ブロードバンド化の推進により、多様な新サービスを推進するという信念を有しており、この方向に向けての施策の推敲に努めた。上記の市内アクセス自由化の推進は、強力な自前のインフラを有する事業者相互の競争(具体的にはRHC4社と大手ケーブルテレビ業者の大規模な競争を想定している)により、ブロードバンド化を強力に推し進めようとの目的を志向したものであった(注3)。
この他、Powell氏は、デジタル化、ブロードバンド化(固定、携帯の双方を含む)、新サービスを推進する方向の政策を幾つも実施に移し、また、規制の快晴、緩和化を計るため、幾つかの調査(インターネット、VOIP等)を開始した。
|
Powell氏に対する批判
上記のように、Powell前委員長は、市場原理主義とその適用が電気通信・ITの一層の発展、ひいては米国経済、社会の繁栄に資するとの強い信念の下にエネルギッシュな活動を行い、多分本人が望んでいた成果を収めた。ただ、Powell氏の非妥協的な行動とその結果、もたらされた結果はドラスティックなものであるだけに、利害関係者からは毀誉褒貶こもごもの批判を受けることとなった。
周知のごとく、2004年末から2005年初めに掛けて、米国電気通信業界ではRHC4社、長距離電話会社3社のすべてを巻き込んだ大型合併の波が押し寄せているのであるが、これら合併はいずれも、Powell氏の主導によって成し遂げられた市内アクセスの枠組み改正―安価なリースにより競争業者にハンディを与える枠組みから、アクセス回線を所有するキャリアに有利な枠組みへの転換―によって促進されたものである(注4)。これだけのインパクトを及ぼしているのであるから、同氏の政策が必然的に多くの敵、味方を生み出したことは当然といえよう。
Powell氏がFCC委員長を辞任する旨の声明を発表したとき、ブッシュ政権のスポークマンErin Healy氏は、「Powell委員長はブッシュ政権の価値高いメンバーであった。彼は、新技術、新サービスの波及を広げる仕事に専念し、すべての米国人が2007年までに安い値段でブロードバンドにアクセスできるとの目標実現の達成に貢献した」と賛辞を述べた(注5)。また、同僚のFCC委員4名は、共にPowell氏の仕事への献身、明確なビジョンの設定等について、敬意溢れるはなむけの言葉を呈している。
ところが、規制業界以外の関係者からの反響となると意外に厳しいものがあるのに驚かされる。
いつも消費者の立場からFCCの政策に強い批判を浴びせているConsumer UnionのKimmelman理事長は、「Powell氏の政策は、長距離通信事業者と市内通信事業者との競争を破壊し、市内通信料金を引き上げる結果を招いた」と全面否定である(注7)。また2003年、Powell氏は大手マスメディア会社による地方放送局の取得の要件を緩和し、取得を容易にしようとする規則制定(その後、機会決議、裁判所判決により無効)を計画したこともあり、放送業界からも大きな批判を受けている。
さらに、FCCが競争重視を標榜しながら、気がついてみたら州公益事業委員会を袖にして、その規制権限をFCCに集中しているではないか。議会はFCCをコントロールしていないではないかとの批判も見られる(注7)。
諸々の利害の調整に秀でているとの高い評価を得ている新FCC委員長のMartin氏は、やや強引にFCC独自の規制を推進したPowell氏の後任者として最適の委員長であるのかもしれない。
Martin委員長の抱える課題
図 歴代(4代)FCC委員長の果たした役割(1996年電気通信法との関連で)
上図は、1996年電気通信法制定に関与し、制定以降も数ヶ月間、FCC委員長の職にあったRead Hundt氏(民主)以来、William E Kennard氏(民主)、Michael K Powell氏 (共和)を経て、今回、委員長に就任したKelvin Martin氏(共和)に至るまでの4代にわたり果たされてきたFCC委員長の役割(Martin新FCC委員長の場合は予定)を1996年電気通信法との関連で示したものである。
当初、2代の民主党委員長の下でのFCCは、1996年電気通信法の制定とその新法の下での規則作り及びその施行が主な職務であった。3代目の共和党Powell委員長は、前任者2人が8年間にわたり制定してきた規則が、新しい規制環境の下で実状に合わなくなってきた事態を直視し、しかも氏の身上とする市場原理主義の立場から、大胆に規則の改正、新規則の制定の課題に取り組んだ。その代表的なものは、アクセス規則の全面的な改正である。住宅用、ビジネス用の市内アクセス、あるいはブロードバンドの分野についても、大幅に規制が緩和され、現在、深刻なインパクトが惹き起こされている。Powell氏がvisionary(明確なビジョンを提示できる人)と評されるゆえんである。
Martin氏は、Powell氏が着手し、まだ裁定を下さないで引き継いで行った多くの調査案件(インターネット、VOIP、アクセス料金、ユニバーサル・サービス等)を解決するという大きく、困難な課題を背負っている。
ここで強調したいのは、Martin氏はPowell氏と異なり、市場原理主義者の人ではなく、実務家肌の人であることである。これまで自ら論文を書き、セミナー、会合の席で具体的な意見も述べている。確かに、ビジョンを提示し猪武者のように突進したPowell氏には、議論が地についていないのではないかとの危惧が付きまとっていた(visionaryは、最近はほめ言葉に使われているが、もともとは「夢想家」という、どちらかといえば冷やかし的なニューアンスも込められていた)。
最後に指摘しておきたいのは、現在FCCが実施している規則改正は、すでにその多くが1996年電気通信法の枠組みを乗り越えている内容になっていることである。すでに一部の議員連からその必要性が議論されているのであるが、まもなく本格的に米国の上下両院で1996年電気通信法の改正が俎上に上ることとなる。Martin委員長は、任期の後半期に、必ずやこの法律改定作業とかかわりを持つことになろう(法律の改定がMartin議員の任期中に終了するか否かは疑わしい)。
FCCが具体的にどのような方針で今後の規制を行っていくかについては、Martin氏が、その抱負を発表した時点で改めて紹介したい。
(注1) | 2003年に演じられたMartin氏主導の造反劇は、本文で触れた同氏とブッシュ大統領との緊密な関係がらして、当時からFCC内部の単なる政策対立ではなく、Martin氏はホワイトハウスの暗黙の了承の下に、FCC委員長の政策の是正を求めたのだの観測はあった。筆者は、今回のMartin氏のFCC委員長就任により、この観測は裏付けられたものと考えている。 |
(注2) | フリードマン氏の市場原理主義を説いた啓蒙書は「選択の自由」(Free to choose)である。ノーベル賞受賞のシカゴ学派経済学の重鎮、フリードマン氏のこの著書は、氏がジャーナリストとしてもいかに優れた才能を持っているかを示すものであり、多くのフリードマン信徒を輩出する原因となった。ただ、見解を異にする筆者からすれば、産業革命から現在に至るまでの先進国における社会、経済の歩みを無視したかのように見えるこの書は、すぐれたデマゴーグによる著述としか思えない。「選択の自由」(西山千秋訳、日本経済新聞社、昭和56年)参照。 |
(注3) | Powell氏の在任中、Copps、Adelsmanの両民主党FCC委員は、強硬にPowell氏の市内アクセス政策を批判した。しかし、両氏もブロードバンドを推進すべきであるとの政策目的自体は、Powell氏を含む共和党委員3名と共有していた。両委員の反対は、市内アクセスを自由化すれば、CLEC、長距離事業者が淘汰されて競争が寡占化し、利用者の選択の減少、一般通信料金の値上げが生じることを懸念することに基づくものであった。 |
(注4) | 2005年3月1日号テレコムウォッチャー、「VerizonもMCI取得で合意−消滅に向かう米国の長距離通信事業者」。 |
(注5) | 2005.1.23付けCBS NEWS.com, "FCC Chairs Michael Powell To Quit" |
(注6) | 2005.2.25付けYahoo!News, "Visionary for digital shift or ambitious deregulator" |
(注7) | 代表的なものとして、2004.11.29付けeWeek, "FCC wield Too Much Power" |