電気通信市場の完全自由化は、わが国では2001年5月に「マイライン」により実施された。周知のごとく、マイラインによって通話の利用者は、自分が主として利用する事業者を選ぶことによって、独占的な地位にあったNTTは他の競争事業者と同等の次元に立っての事業運営を迫られたのである。市内、長距離、国際のいずれの種別の通話を問わず、市場参入を希望する事業者は、ユーザーが同じダイヤル桁数で通話を利用するという条件(いわゆるイコール・アクセス)で競争に参画できることとなり、それまでの通話ごとの参入(いわゆるコール・バイ・コール)による場合に比し、格段と競争条件が改善された。しかもわが国の場合、NTTの回線利用者は、事前に今後はどの事業者を選ぶかの照会を受け、その照会に基づいて事業者シェアの再配分が行われた。新聞、テレビ等も電気通信市場開放のこの新たな事件を大きく報道し、これにより公衆の電気通信市場に対する認識は大いに高まった。
ところで、欧州最大の国ドイツでは、さる7月9日、市内通信市場においてマイライン(ドイツでの用語を使えばプリセレクション)が実施され、これによりわが国より約2年遅れて電気通信市場の完全自由化の実施が終了した。
日本とドイツの自由化の実施を比較すると、次のようにかなり異なった点が見受けられる。
まずドイツでは、マイラインの実施が3段階に分け、順次進行した。市外通信、国際通信の分野でのマイライン実施は、わが国より早く、5年ほど前に行われた。これによりドイツテレコムは、大きく市外・国際通話のシェアを奪われている(正確な統計数値を知らないが30%程度だという)。
これに対し、市内通信市場への競争業者からの参入は、自前の通信設備を使用する業者によるものは別として大きく遅れた。これはDTが収支上、自社の市内回線開放に難色を示し欧州委員会からの再三再四の要請があるのにもかかわらず、時期を遅らせる戦略を取ったためと思われる。規制機関のRegTPも終始、DTと競争事業者の利害を調整する立場に立ち、時期の点についても、また競争業者市場参入の成否を定めるDT市内回線の業者に対するリース料についても、慎重な立場をとり続けた(注1)。
RegTPが2段階に分けてのドイツ市内通信市場完全自由化指令を発出したのは2003年2月21日のことであり、この指令に基づき、自由化は次の期日に予定通り実施された。
第1段階:コール・バイ・コール方式による市内市場への参入実施、実施期日は2003.4.25
第2段階:マイライン方式による市内市場への参入実施、実施期日は2003.7.9
本文では、2段階によるドイツの市内通信完全自由化がどのようにして実施されたか、また実施上にどのような問題点があったか、財務問題で困難に直面しているDTにこの案件がどのようなインパクトを及ぼしているかを論ずる。
2段階にわけて実施された競争業者の市内通信市場参入
コール・バイ・コールによる競争業者の市内電気通信市場参入
コール・バイ・コールによる競争業者の市内電気通信市場参入は、2003年4月25日に実施された。
参入業者は、定まった地域、全国の双方で参入することが可能である。参入できた業者名は不明であるが、長距離、国際通話の分野で、すでにDTの競争業者となっている3U、Arcor、Tele2の3社は市場参入したはずである(注1)。
DTに比し、プレフィクスを5桁ないし7桁余分に押すことを加入者に求めるこの方式が、それほど加入者の歓迎を受けるとは思えない。しかも、DTが競争業者に課する市内ループのリース料は、さほど競争業者に有利なものではないらしく、競争業者はDTに比し、格段に安い料金を設定することはできない模様である。
また有力事業者のArcorは、このサービスの開始前の4月15日、コール・バイ・コールとマイライン方式の同時実施を求めて、ケルンの行政裁判所に提訴した。確かに、競争業者の立場からしても、ユーザーの立場からしても、迷惑な段階的自由化実施であって、もっともな問題提起である(この提訴は退けられた模様)。
それでも次段階のマイライン方式が実施される前の2003年7月初旬、DTのT-Comの責任者、ブラウナー氏は、DTはコール・バイ・コールにより7%の加入者を失ったと述べている(注3)。
マイライン方式による競争業者の市場参入
マイライン方式による競争業者の市場参入は、予定通り2003年7月9日から実施された。
ドイツにおける電気通信分野での競争導入の終了であるから、大々的に報道されるものと考えていたが、ドイツのジャーナリズムはこの案件をほとんど報道しなかった模様である。ひとつには、(1)長距離・国際分野でのマイラインはすでに5年前に済んでいること(2)電話加入者のすべてが、わが国の場合のように今回のマイライン実施でその意見を聞かれることはなく、すべて競争業者、DTの加入者争奪戦の枠内で進行したことに事情があり、さほどのニュース価値がなかったことにもよる。
なお、実施に当っては、次の点について競争業者からの不満が強く出された。しかも、第2点の苦情については、目下進行中のはずであり、多分、競争業者、切り替えを望む加入者の切替え遅延の苦情は、さらに今後かなりの長期間続くこととなろう。
第1点は、2003.4.28の裁定でRegTPが定めたDTによる競争業者に対する月額リース料、従量制料金が、かならずしも競争業者に有利になっていないということである。RegTPは、確かに月額リース料を回線当り、12.48ユーロから11.80ユーロに引き下げた。しかしトラヒックに応じた回線使用料(分当り)を0.004ユーロ引上げることとなった。この引上げは、2003年11月30日までの期限付きのものであるが、2002年に改正された電気通信法に基づき、インフラへの投資のため、RegTPはコール・バイ・コール、マイラインの実施に伴うDTの赤字を補填する目的で定められた付加料金の規定に基づき求められたものである(注4)。
第2点は、Arcorの競争業者、また業界団体のVATM、消費者団体のVZBVなどから寄せられたDTの競争業者に同社の市内回線を利用できるようにさせる切り替え工事の遅れについての苦情である。DTは、工事の切り替えは1労働日当り1.5万程度だと言っているが、マイラインの利用者は450万程度(現に長距離・国際通話について競争業者のマイラインを利用しているユーザーの90%、この比率は昨年ドイツに先んじてマイラインを実施したオランダの実績)となる可能性があるから、ユーザーは主たる事業者切り替えに1年近く待たなければならないこととなる(注5)。
ただ、わが国のマイラインにしても、NTTから競争業者への切り替えが完了するまでには、相当多くの日数を要したのであって、DTのみに工事遅延の責任があるわけではないだろう。要は、マイラインの遂行にはいずれの国でも多大の労力、期間を要するのである。
財務負担に悩むDTに対する影響
ところで、DTのT-Com責任者のブラウアー氏は、マイラインが開始される数日前の2003年7月7日、2003年2月以来開始されたドイツ電気通信市場の完全開放により、確かにDTの収入が減少することは確かであるが、T-Comは合理化努力によって利益が減らないよう努力すると述べている。
同氏は、市内通信事業への競争業者参入によるT-Comの2003年における収入減を約0.5億ユーロと見込み、この額は2004年には2倍から4倍増加する可能性があることを認めている(注6)。
すでに述べた通り、長期にわたる長距離・国際通信へのマイライン実施の後に今回の市内マイラインが実施されたものであるだけに、T-Comが当面、ここ1、2年間のうちにどの程度の収入を蚕食されるかの見通しは立て易い。(1)現に、競争業者が有している長距離通信のユーザーが相当程度、競争業者に移る。(2)他のユーザーからの移行は、それほど多くはないと予想できるからである。
ただ、ブラウン氏の発言にもかかわらず、DT4部門のうち唯一黒字を出しており、他部門を支えているT-Comからすれば、一層の競争業者の市場参入による市場進出は大きな痛手になることは間違いない。そのことは、次の表だけを見ただけでも明らかであろう(注7)。
表 2002−2003年第1四半期におけるDT決算の主要項目(単位:億ユーロ)
項目 | 2003年第1四半期 | 2002年第1四半期 | 2003/2002(%) |
収 入 | 136 | 128 | +6.2 |
EBITDA | 49 | 38 | +28.9 |
純利益 | 8.5 | -18 | - |
投 資 | 9.09 | 43.09 | -79 |
負 債 | 563 | 611 | -7.9 |
本表で、DTは2003年第1四半期に4期振りに8.5 億ユーロの黒字を計上したのであるが、2002年第1四半期の数字と2003年第1四半期の数字を比較すると、一番大きな数字の差は投資金額が2003年第1四半期に大幅に縮小されているのであって、純利益の大幅赤字から小幅黒字への転換は、おおむねこの数字だけでも(そのほかに金額不明の多額の資産売却益があるのであるが)説明できる。
つまり、DTが大きく喧伝した2003年第1四半期の黒字達成は、投資縮減を軸とした経費の節減により達成されたものと見られる。
DTのRicke会長は2003年5月における株主総会の席上、「DTは2003年通期の黒字を達成する」と約束したのであるが、経済市況いかんではその目標達成は容易なことではあるまい。さらに、多分2003年にはT-Com加入者基本料の引き上げを打ち出すことは、大いに考えられることである。
(注1) | ドイツでは光ファイバーにより、大都市およびその周辺の主としてビジネス用ユーザーを対象としたシティー・キャリアの事業活動が目立つ。これまでドイツでは、競争業者による設備ベースでの市内加入者シェアの取得率は5%程度だといわれているが、そのほとんどあるいは全部はこれらキャリア(たとえばNanseNet、NetCologne)によるものである。 |
(注2) | コール・バイ・コールの方式は、2003.4.23付け http:www.verivoxの "Call-by-Call im Ortsnetz:Die wichitigsten Fragen und Antworten" が詳しい。 |
(注3) | 2003.7.7付けFinancial Times Deutchland, "Konkurrenten werfen Telekom Verzogerungstatistik im Ortnetz vor" |
(注4) | 2003.4.29付けのRegTPのプレスレリース、"Regulierungsbehorde legt weitere Bedingungen fur Ortsnetz-Wettbewerb fest" |
(注5) | 注3で紹介した資料の他、例えば2003.7.3付けhttp://de .internet.com "Verbraucherzentrale fordert schnelle Umschaltung auf Preselection im Ortsnet" |
(注6) | 2003.7.7付けFinancial Times Deutchland, "Telekom sieht Umsatzverlust im Ortsnetz" |
(注7) | 2003年第1四半期に発表されたDTの決算報告のプレスレリース、"Deutche Telekom in the black in the first quqter 2003"。なお、DTの2003年第1四半期の決算については、2003年6月1日付けDRIテレコムウォッチャー、「株主の信頼を勝ち得たRicke会長―それでもDTの前途は多事多難―」に詳細な分析があるので参照頂きたい。本稿は、いわばその続編である。 |
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