アクセス網の変容を巡って 風間 仁 (海外調査コンサルタント、技術士、DRI顧問)
2003年9月1日号
環境変化に対応できない競争ルール
昨年末に発刊された『通信崩壊』(藤井耕一郎著、草思社)がテレコム業界に関心を持つ人々の間で話題となった。また、書評で毀誉褒貶がこれほど割れる書物も珍しい。通信自由化への政策手段や競争ルールの是非に関する著者の意見には、読者の立場によって賛否が分かれるだろう。だが、著者が指摘する「新旧業者への非対称規制とUNE方式を採用して性急に進めてきた競争市場化が、新たな問題を生み出している」という指摘事実は誰もが認めざるを得まい。
通信の自由化政策は高度サービスの早期普及や通信料金の低廉化を目的とした崇高な理念に基づいている。しかし、現在の自由競争の実態は、既存事業者が所有する銅線のアクセス網(ローカル・ループ)を新規参入する競争的事業者のアクセス網として共用させる事を前提とし、さらにドミナントな既存業者の事業内容にさまざまな制限を課してスタートさせた競争---いわば、無理を承知で急造した過渡的競争環境---である。だから、種々の矛盾が吹き出るのは当然かもしれない。
現実問題の例として、自社設備をライバル事業者に「長期増分コスト」(注1)で貸与することを義務付けた政策が、結果的に「過去の設備投資の回収不能」「新規設備投資への意欲減退」など、意図せざる副作用を生み出している。
矛盾点や新たな問題の調整を計る法制度見直しの動きを巡って、論争や政治介入が最近激しくなってきたように思われる。例えば、「UNE-P規則」の部分改定と同規則の漸次廃止を予定したかに見えた市内競争規則改定のFCC採決(2月20日)は、過去二回の規則改定が裁判所から無効判定を受けた後の最終見直し措置であった(注7)。だが、今回の規則改定も5名のFCC委員の意見がそれぞれ異なりまとまらなかったため、前代未聞の「委員長の反対票」を押し切り僅差で可決した苦渋の採決となっている。そのためか、米国内では新旧の通信事業者・ベンダー業界・議会・証券業界など関係各者がこの改定内容にそれぞれ不満をもっており、「この新採決が直ちに新規投資を増減させるほどの影響力は無いだろう」とした論評もある。
わが国でも、総務省が認可した「明年4月からの接続料改定」に対し、7月17日に新電電5社が異例の「行政訴訟」を起こした。また、今期通常国会で成立した「電気通信事業法およびNTT法の一部改正法案」でも、改正案を審議した参議院の総務委員会では付帯決議(注2)により基本政策の一部見直しを求めたが、衆議院総務委員会は付帯決議の採択を見送った。付帯決議には両院の方針が対立して、当分の間、わが国では光ファイバーの開放義務の撤廃が見送られることとなった。
既存事業と新規事業(ないしは伝統的サービスと新規サービス)の利害対立が絡まる競争ルールの設定や変更では、日・米いずれの場合も政治や行政を巻き込む論争が始まり、着地点を定める作業が難航している。電気通信の技術的選択肢が固定電話から移動電話へ、アナログ通信からパケット通信へ、音声帯域からブロードバンドへと拡がり、さらに通信と放送の事業差も不明瞭となりかけた時代に入って、市場環境も市場構造も変化が進む。技術革新の進展に伴って競争ルールの見直し問題は、これからさらに複雑化したり、深刻化したりするのであろうか。
本来の自由競争は固有コンピタンスの競い合い
現在の通信政策が大きな政治問題となる主因は、一部事業者の私有施設をあたかも公有インフラのように他事業者の使用にも開放することを義務づけた、変則的な競争環境であることに帰着する。本来なら、市場で競争する各事業者がすべて自前の設備でサービスを提供できる体制に揃うことが望ましい。それがなかなか進まないのは、主として、自前のアクセス網の建設が、事業者にとって非常に負担になることだ。
通信事業の経営状態に目を転じれば、移動電話やIP電話などからトラフィックの侵食を受け続ける固定電話サービスは、事業の先細りが明らかとなり経営革新を迫られている。有力な長期対策の一つとしてFTTHによる高度統合サービスへの展開が考えられているが、非対称規制政策は継続し、一部の固定通信事業者には何らかの形での制限が当分は続く様相である。
しかし、通信サービス自由化の最終目標が、事業内容を電話、インターネット、ケーブル、放送、衛星などと明確に区別し難いような、高度サービスの普及と低料金化の促進であるならば、特定事業者への強制を必要としない競争環境が整わなければ不自然である。
ガリバー型寡占の阻止を目的とするなら、アクセス網を道路・空港・港湾のように独立した共有インフラにでも変えない限り不合理な現象の根絶は不可能かもしれない。因みに、各国の運輸交通業界(陸運・海運・航空)は、自社のコア・コンピタンスを武器として横断的な提携や競争を行っている。
自由競争をアクセス網私有の条件で定着させるには、アクセス網構築への選択肢の広がりが必要である。さもなければ、通信サービス事業もブロードバンドの常時接続が当り前となって、収入の大半がMOUよりは提供するコンテンツや付加情報価値あるいは情報加工処理サービスなどの利用料となる時代を待つことになるのかもしれない。その場合は、有線・無線の諸アクセス網も電力自由化時代の送配電網と同じ立場となり、寡占の弊害は軽減する。
さて、新規参入事業者にはもとより、既存事業者の立場でも、銅線によるアクセス網の新規投資は無意味となってきた。次世代の固定通信サービスが採用するアクセス系インフラの筆頭候補にはFTTHが挙げられて、その低コスト化と新規投資の促進が期待されている。
このテーマに関する最近の大きな話題として、2月のFCC採決により米国ではともかくも光ファイバー開放義務の撤廃が決定した。さらに、5月末には、統一規格を定めて低価格のFTTHを求めるベル系電話会社3社(Verizon, BellSouth, SBC)の大規模な共同RFPの発表があった。この調達計画が実現すれば「現在のFTTHの1加入当たり2,000ドルのコストは、加入密度の低い地域に銅線を敷設するコストとほぼ同レベルだが、規模の効果により高密度地域では1,200ドルに下がるだろう」と言われている。また、「1加入あたりの銅線プラスDSLの設備費は約700ドルだが、FTTHの700ドルもいずれ可能となる」と見るアナリストも多いらしい。だが、他方で、ベル系3社がこの大型のFTTH投資を本当に実施するか否かを訝り「政治的誘導を意図した動きだろう」とか「事業計画に大きな誤算があるのでないか」と憶測する業界内観測者も少なくない。
一般的には「米国でも固定通信のアクセス網がFTTHで揃う時期は "few more decades" 先」と見られている。だが、統一規格による大型RFPが投じる波紋の影響は大きい。3社の意図が先の憶測のいずれであったとしても、これを契機にFTTHの低コスト化と設備投資の実施は一段と促進するだろう。地域電話事業者のFTTH建設に関する詳細な現状分析と近未来の投資予測を具体的に行っている投資顧問会社さえも現れたほどである(注3)。
新アクセス網への挑戦
固定通信にはケーブルモデムや移動通信との競争があり、投資の回収源となる固定通信サービス収入のパイには限界がある。さらに、獲得できる顧客加入者数も業者間競争で分割される。将来FTTHのコストが激減したとしても、すべての固定通信事業者が自前のFTTH網を敷設するというシナリオはどうも現実的ではない。当面の現実的シナリオは、通信サービス市場で固定・移動・ケーブル・衛星などの方式の別なく事業者の横断的な合従連衡が進んで、各通信サービス業者がそれぞれ所有(ないしは使用)するアクセス網(有線・無線)の特長を活かした「個性的なサービス・メニューとその価格体系」の競い合いに落ち着くのではなかろうか。
固定電話主体のサービスに絞ってみても、ラストマイルに銅線以外を使う異種のアクセス網が出現しつつある。最近の報道の中からいくつか話題を拾ってみよう。
(1)Limited mobility wireless services(注4)
固定電話事業者が、PHSやCDMAベースのFWA(無線ローカルループ)技術を応用し、地区内移動を自由に行わせるある種の広域コードレス電話サービスで、代表的なベンダーにUTStarcom(米)が挙げられる。中国(China Telecom, China Netcom) インドネシア(Telkom)などで実施されたこのサービスが好評で加入者数が急増しており、移動電話事業者が警戒している。
固定・移動の境界不透明な盲点をつくこの低価格のハイブリッド・サービスに対して「競争条件が不公平だ」と移動電話側からの問題提起があるが、規制方針は不明確で政府の考え方はなかなか決まらない。UTStarcomは3Com の一部門を買収したが、これは「対象市場を途上国に限定しない欧米市場向けの販売チャネル補強が目的では」と見られている。
(2)IPベースFWA (注5)
3G以上の移動通信サービスが本格普及する前に、これを統合通信向けのFWAに応用する技術方式である。従来のFWAやDSLでは得られない、伝播条件(見通し内)や天候条件への制約無し、据付調整技術者不要、移設容易、ブロードバンド(12Mbps以上)可能、など多くの特長があると強調されている。
Cisco が支援するFlarion Technologies, NTTが実験に採用したSoma Networks, その他数社のベンダーが3G技術を応用した製品を発表しており、すでに米国・韓国・ニュージーランド・日本などへの実験用・商用の納入実績も報告されている。これらベンダーの殆どがメトロポリタン向けFWAの標準規格(IEEE 802.16)に必ずしも準拠しない独自の仕様で製品化している。音声品質や移動性・拡張性などの配慮はベンダーによりさまざまで、互換性はない。
(3)PLC方式
6月27日の日本経済新聞の記事「電力線通信に現実味:慶大など、混信解消に新技術」は、欧州に関連製品を輸出する東洋通信機の株価をストップ高としたほどで、大きな注目を浴びた。PLCには漏洩電磁波のもたらす既存無線通信への混信妨害問題があって、現在、実証実験には厳しい制約がある。だが、新技術の開発により妨害問題は回避できて、200Mbpsもの伝送も可能になるという。
スペインやフランスには大規模なパイロットプロジェクト計画がある(注6)。米国では業界からの請願もあってFCCは4月にPLC規制緩和への調査に動き出した。わが国の総務省も実験の規制緩和に向けて動き出す気配だと伝えられている。アクセス網向けPLCの商用実験が成功すれば、そのインパクトは非常に大きい。
通信サービスの自由競争が無理なく自然なかたちで営まれるためには、アクセス網に複数の競合的選択肢が存在しなければならない。わが国でも光ファイバーと無線系の諸技術を融合した新アクセス網の事業計画は多い。また、各国のケーブルモデムや移動通信でも高度通信サービスへの模索が続いている。先の(1)〜(3)方式を含むこれら挑戦的なアクセス網や新サービスが、事業として定着し、飛翔していくことを願いたいものである。
| (注1) | 長期増分費用:、現時点における最新の技術と資材を使ってアクセス網を構築することを想定した架空の設備コストで、設備の貸与料金や接続料の算定の基準として使われる。現実には「既存設備の実績コスト以下に設定されてしまう」「その設備の実際の商業寿命は今後の技術革新などで定まり不透明である」などの事情から新たな問題を派生する。 |
| (注2) | 参院委員会の付帯決議:光ファイバーのアンバンドリング規制、ブロードバンド・インターネットなどの新サービスの規制、長期増分費用方式など、通信政策の根幹にかかわる課題で最近の市場構造および競争状況の変化に適切に対応できていないとされる8項目についての見直し再検討を求めたもの。既存事業者寄り決議だと批判的に報道したマスコミが多い。 |
| (注3) | 具体例としてLegg Mason Wood Walker, Inc があり、内容は"How Fast will carriers build out fiber" America's Network, July 1, 2003 その他で紹介されている。 |
| (注4) | 例えば、"Asia's Wireless Wars" TelecomAsia, Apr. 2003 |
| (注5) | 一般的資料には"Unwiring the Last Mile -- New wireless local loop technology may bring broadband data to the office・・・・" Network Magazine Jan, 2003 など |
| (注6) | 例えば、http://www.cesi.it/Documenti/cigre/Capetta-CESI.pdf |
| (注7) | この辺の最新事情については、テレコムウォッチャー「FCC市内アクセスの枠組み改正についての規則を発出」(2003年9月1日付)を参照。 |
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