DRI レポート
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      電子政府はいかに定着するのか
風間  仁  (海外調査コンサルタント、技術士、DRI顧問)

2003年7月1日号

中途半端な電子政府の現状

 昨年の国会で廃案となった個人情報保護法が復活し、5月23日に成立した。まだ問題が多く議論の残る修正法案だが、結果的に今通常国会で衆議院・参議院とも通過した。8月25日の「住基カード」(注1)の発行を控えて、地方自治体は急ピッチでその準備を進めている。住基カードは「住基ネット」(注2)を核とする「e - Japan」の電子政府構想に欠かせぬ要素である。だが、国民背番号化への反対やセキュリティの懸念の完全解決は当面期待できない。一般市民には住基カードを取得することの具体的メリットが見えない。各種アンケートの結果を調べても、住基ネットによる行政サービスの利便性向上に対する一般市民の支持や期待は写っていない。

 さて、Accenture(注3)が本年4月に発表した調査報告によれば、いま電子政府の成熟度が世界で最も進んでいる国はカナダであり、シンガポール、米国がこれに続き、日本は前年より2位上がったが15位であるという。同社による成熟度の評価基準の詳細は不明だが、カナダの電子政府は「補助的な行政ツールの段階が過ぎて、行政の構造改革に動く段階にまで達している」また「政府の目標設定や運営に対する国民の信頼度、国民による政府サイトの利用度の高さ、などのスコアが世界で最良である」ということのようだ。日本については、インフラ構築の数値目標への達成意欲やユニークな構想(携帯電話利用のヴィジョンなど)は評価できるが、電子政府サービスの現状は行政情報の提供止まりであり、利用を促すインセンティブを欠き不十分、と見られている。
 カナダでは社会保険番号(SIN)が国民背番号 ---国際用語ではPID(個人識別番号)あるいはNID(国民識別番号)--- として使用され、国民は"Picture Card"と通称する顔写真入りIDカードを所持している。だが、SINをラベルとする個人情報処理にはこれまで問題が無かったわけではなく、その用途を課税・年金・社会保障給付の三分野に限る方向に変更した経緯がある。また個人情報保護には同国なりの立法措置があり、政府が全ての個人情報を一元管理できる制度にはなっていない。
 シンガポールも米国も社会保障番号をPIDとして利用している。最近、シンガポールではこの番号を改編して全ての電子政府サービスへの共通パスワードとした。事実上の国民総背番号制度を採用して統一身分証カードも併用する国の数は少なくない。PIDの採用は社会保障先進国(北欧諸国)や国家統制色の強い国(韓国、チリなど)に多い。Accentureが評価する電子政府の上位成熟国も事実上のPIDを使う国が多数派である。
だが、どの国でも、政府の諸機関が扱う個人情報のすべてを共有する行政共通データベース化は許されていない。「電子政府」とは、単なる政府業務の電子化・オンライン化ではなくて、国民から見た「行政サービスの向上」と「行政コストの効率化」を目標とすべきものであろう。だが、今では電子政府先進国といえどもPIDを使った行政共通データバンクや民間企業とのデータ共有化が制限されている。だから、コンピュータ処理の効率化や行政サービスの向上も技術的に可能な最適形態にまで達してはいない。現在の米国では、電子政府を好意的に評価しているインターネット加入者でさえも、その主用途はポータルサイト経由の公的情報入手であり、オンライン取引(手続処理)の利用は実質的に「免許証類の更新」や「住所変更の処理」程度に留まっている(注4)。

 テレコム環境の飛躍的進歩により技術的には十分に実用可能となった「電子政府」「仮想現実の社会的利用」「ネットワーク型電子貨幣」などの革新的な社会システムがなかなか市民生活の中に普及しそうには見えない。このような革新的システムの実現に立ちはばかる共通問題には、@その信頼性や安全性に対する利用者の不安を完全には払拭できない、A運用形態が多彩で、レッセフェール環境の下ではデファクト標準がなかなか決まらない(地域や利用層がさまざまな固有サービスを期待するが、利用者数の少ない小規模事業ではインフラ投資の採算がとれない)、B高年齢者など、新しい制度や操作に適応できない人々が発生する、C生活慣習や生活環境が変わることへの心理的抵抗がある、などが挙げられよう。
 「理想的な電子政府の構築を阻む社会的制約が多過ぎる」と慨嘆する関係者にとって、電子政府は砂漠の中の逃げ水のように思えるだろう。本稿では夢の実現に立ちはばかる問題の帰趨を考えてみたい。 

賛否両論が譲らぬ国民総背番号制度

 各国の政府が国民総背番号の必要性を訴える最大の理由は税務処理の効率化と課税の公平化で、国民総背番号を使わない国でも納税者背番号を採用している国は多い。
 ここで、わが国を例にとって現状を眺めてみよう。名寄せのできる納税者番号のような全国民対象のPIDの制度は無いが、PID代わりに使えなくもない基礎年金番号がある。殆どの成人は、さまざまなID番号(ユーザ名)・パスワード(暗証番号)・IDカード(本人確認カード)の使い分けを強いられている。銀行・郵便局・などのキャッシュカード、各種のクレジットカード、運転免許証、健康保険証、身分証カード…などがそうだ。この他にも交通機関・有料道路・公衆電話・スーパーマーケット・商店のポイントカードのような民間カードがり、公的カードとしては印鑑登録証カード・施設利用カード・福祉カードなどがある(住基カードがこれに追加される)。日常生活では各種の公的・私的カードの使い分けが必要となっているのが実情である。
 一つの財布にこれらの独立カードの全ては収まらない。ID番号やパスワードを記憶して使い分けることは煩わしく、覚え忘れも間違いも起きる。パスワードの固定化や簡略化も事故や犯罪を誘発する。したがって、誰もが「これらを出来るだけ共通化して、コンピュータ網で一元的に処理する安全で便利な社会システムが構築できないものか」と素直に発想する。ID番号とIDカードの共通化など技術的には可能である。複数の用途目的に使える共通カード(多機能カード)や役所のワンストップサービスを望む声も少なくない。現に、わが国でも公共サービスと民間サービスを相乗りさせた地方自治体の多機能カードの運用実験が各地で行われている。

 だが、共通ID番号や多機能カードにも欠点があり根強い反対がある。その論拠の大要は以下である。
(1) 課税公平化・多機能化などの目的で、複数の省庁や民間企業の業務処理に対して共通PIDの告知やカードの提示が義務づけられれば、これら相互間でのデータ交換が可能となってしまう。
(2) 共通PIDが本来の目的以外に拡大利用される。また、自由参入のサイバースペースの中で、データの改竄・偽造などのクラッキング被害を受けるリスクが大きくなる。
(3) これらにより個人のプライバシーやセキュリティが保てなくなる。

 反対論には、「プライバシーの侵害にはどんな理由であろうと反対だ」と叫ぶ抵抗派から「プライバシー保護のインフラが完備するなら容認できる」という条件派まであって、トーンの幅は広い。
 反対論の解消には個人情報保護の法制度の整備(国民が納得できるまで禁止規定や罰則規定を完備)が必要とされている。だが、いかに厳正な法を定めても、政府や関係法人とその担当者の順法意識や倫理意識に対する完全な信頼感がなければ、反対論は最終的に払拭されない。これまででも、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、ハンガリーなどでは激論の末に国民背番号の提案が否決されている。イギリスでは治安目的で個人のDNAデータベースの整備が進んでいるが、政府はさらにテロ対策のために個人の生体情報(虹彩)を内蔵するID カードを併用するPIDの導入を計画中である。これには、今、イギリス国内でも賛否が割れている。
 ところが社会の現実はどうだろう。民間企業は顧客情報のデータベース化に努めており(一部は商業的にも流通している)、個人をピンポイントしたダイレクトメールや電子メールが飛び交っている。インターネットの利用者には、マーケティング情報としてクッキーを作動した(本人の意識のない)個人情報の蓄積が行われている。良好な治安維持のため、警察では所轄の住民や団体に係わる必要な情報が常に把握できていると期待したい。 
 「効率的な行政、公平な課税、安全な環境」などと「個人のプライバシー」とは、所詮、トレードオフの関係にある。どちらも完全には(一方的には)実現できず、政府も個人も現実的妥協点を探り合うしか道はない。

現状と将来の可能性

 本格的な電子政府の導入と運営には巨額の費用が必要で、当然ながらその費用効果が問われる。納税者にとっても、導入される以上は利用価値がなければ損である。だが、オンライン行政サービスはまだどの国でも十分に利用されてはいない。各国の政府・自治体はこのインフラの利用率増加への工夫や努力を迫られている。
 電子政府の利用促進やコスト節減を意図した国内外での事例(実施中および計画中)は、おおむね次のように分類できる。
_ インセンティブの供与
 個人の任意とされるオンライン行政サービス(PIDないしサービス別ID番号やパスワードを使う)利用のインセンティブとしては、@申請・登録・更新の手続きの即時処理、A24時間 and/or無休日のサービス、B税金・手数料・公共料金の納入へのクレジットカード受付、C税金還付や補助金給付の業務での優先処理、などが多い。中には税務申告での奨励金、家庭用パソコンの非課税化、手数料の割引や免除、などもある。
_ ワンストップサービス化
 多くの政府・自治体が、縦割りの窓口を探し歩く市民の労が省けるようにと、縦割り組織とは独立に、行政案内や手続の共通窓口として使えるポータルサイト作りに努力している。コンピュータを使わない人のために、インターネットに接続するキオスク端末を設置した事例もある。これらにより、ワンストップ行政サービス環境にできるだけ近づけている。わが国ではコンビニでの行政手続サービス(休日・夜間)を求める人も多い。
_ IDカードの多目的化
 多目的ICカードの実用化が各国の民間サービスで進みだした。多種の行政サービスに共用する共通カード化は、香港の「多機能身分証」などの例があるが、制約が多いためか海外でもまだ事例は少ない。現在の多目的の公的IDカードの殆どは、公共交通機関での共通利用、軍隊生活での多目的共通利用、あるいは「自動車登録と運転免許」「社会保障と健康保険」のような、限定範囲内の部分共通化に止まっている。
 日本では総務省が各自治体に地域独自の条件で住基カード利用への相乗りを勧めている。また、幾つかの自治体が数年前から複数の公共・民間サービスに共用する多機能カード(域内限定で有効な民間サービスを追加)の実証実験を進めている。したがって、公的IDカードの多機能化では日本が先端国となる可能性もある。
_ 民間企業の能力の利用
 コンピュータシステム構築のアウトソーシングは当然だが、とくに「電子政府システム」では業務改革案も含めたトータルソリューションに民間の創意を期待するケースもある。電子政府運営でのASP(注5)の利用は常識的で、公的業務の委託さえも出ている。米国ではドットコムビジネスを撤退した企業の多くが電子政府のASPを目指している。当然だが、電子政府と民間サービスの複合サービス形態は民間の協力無しでは実現しない。

 電子政府を巡る現状はおおむね以上の通りで、近い将来の状況も常識的には上記の延長線上に止まろう。筆者は、多少の勇み足が出ることも覚悟して、さらにその先に続く次のような変貌まで予想したい。
(1)オンライン行政手続
ICカードを使った暗号鍵の保管、電子署名などの情報保護手段が提案されている。だが、紛失・盗難のリスクや、「クラッキング」や「成りすまし」による被害リスクは根絶できない。米国における利用状況を見ても、オンライン処理は警戒して回避する市民は多い(注4)。電子申請や電子取引が一般市民に普及する時期は、少なくとも、本人確認や署名には安心感で勝る生体認証が常用されてからになろう。
(2)多目的カード化
多機能ICカードの用途は多彩で実用化も民間が先行している。だが、個人が全てのカードを持ち歩くことはない。アクティブカードは利便性に富む数枚の有力な多機能カードだけに淘汰される。これらの有力カードと「民間サービスにも使える行政カード」の共存も社会的重複投資を伴うので、いずれ淘汰圧が働こう。多目的化には投資効率の面から、@民間ICカードが行政カード機能を部分機能として受託、A行政カードに特定の民間カード機能まで受託させることの法制化、などが現実的な選択肢となるだろう。
(3)個人情報保護
多目的IDカードを普及させるにしても、プライバシーやセキュリティの維持とカードの利便性とのバランスの度合いを各個人に自由選択させる運用(例えば、住民証・運転免許証・健康保険証の機能は有効とし、医療用カルテ・クレジットカード・プリペイドカードの機能は無効とする)が求められよう。
(4)携帯電話の利用
一人一台に近づいた携帯電話を利用する電子政府サービスの利便性は高い。単なる提示用カードは必要時に携帯電話やPDAの端末画面に呼び出せばよい。無接触型カードの技術と関連インフラの進み方次第では、携帯端末の画面を決済用カードや行政手続用カードとして使う社会システムの実現も期待できる。

 利便性も経済効果も国民が真に納得できる電子政府を構築するのであれば、@“縦割り行政”や“公と民の役割分担”の見直しが必至であり、A電子政府は総合サービス化(有機的な広域・複合サービス)に向かい、Bそのための事業範囲と規模は拡大し、C政府・自治体と民間が共用する一国の基幹インフラとして成長する、のではあるまいか。
 そうであれば、能力が限定的である政府・自治体の役割は行政サービス業務の企画立案とその実行予算の確保に収斂し、民間の役割はアウトソーシング先やASPの立場に止まらなくなる。電子政府は、行政の現業組織を分離独立化して、インフラの所有も実務の運営も含めて民間に委託するPIF(注6)にまで発展する可能性が高い。電子政府にはそのような進化を期待したい。テレコム業界も深く関わる社会インフラとなるに違いない。

  (注1) 住基カード:住基ネットの個人情報を読み込んだ「住民票カード(住民基本台帳カード)」の別名。ICカードの利用が予定され、役所窓口やオンライン行政サービス端末で本人確認に使われる。
  (注2) )住基ネット:「住民基本台帳ネットワーク」の略語。住民基本台帳(本人確認情報としての氏名、性別、生年月日、住所、住民票コード、付随情報を記録)を基礎とした全国的なコンピュータネットワークである。その通信インフラとしては、オープンネットワーク(公衆インターネット)とクローズドネットワーク(行政用IP-VAN)の併用を予定している。
  (注3) Accenture:e-government (電子政府・電子自治体)分野では世界的に著名な米国の大手経営コンサルタント会 社で、最近では世界各国の電子政府の状況調査レポートを毎年公表している。
  (注4) "The New E-Government Equation" Hart Teener/Council for Excellence in Government. Apr. 2003
  (注5) ASP:Application Service Providerの略:アプリケーション・ソフトウェアを売り切りではなく、レンタル提供する事業者をいう。ソフトウェアの開発、メンテナンス、アップグレードもASP事業者が行なう。
  (注6) PFI:Private Finance Initiativeの略:民間の資金とノウハウを導入して効率的に公共サービスを実現する手法の総称で、施設の建設・所有・維持管理・運営を長期間にわたり民間に委ねる。一定期間後に国や自治体に事業を譲渡するBOT方式、譲渡のないBOO方式などがある。

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