IP電話サービスの成長は順風満帆か 風間 仁 (海外調査コンサルタント、技術士、DRI顧問)
2003年1月1日号
目覚しいIP電話の普及
ITUはIP Telephony(IP電話)をInternet Telephony(公衆インターネット網を中継網として利用するインターネット電話)と VoIP(IPプロトコルの通信回線に流れる音声トラフィック)のどちらも含む総称として定義している。そして、2000年3月にジュネーブで開催された世界電気通信フォーラムで「IP電話サービスの世界的普及を目指す」と宣言した。わが国では総務省が昨9月27日にIP電話専用番号(「050」で始まる11桁番号)の申請の受付けを始めた。IP電話への番号付与は一般電話(PSTNの固定電話)からIP電話への着信を可能にする行政上の処置であり、IP電話サービスが公衆電気通信サービスの一環として実質的に認知されて、新しい時代に移ったことを意味する。
「IP電話がいずれは既存の電話網に置き換わる」といわれているが、当面は通信品質(音声品質と信頼性)や公共性機能(緊急通報、発信者表示、輻輳時の発信規制、公共目的のモニター、着信課金、転送など)に難点がある。そして、これらを解決する技術方式とそのデジュール国際標準が統一されて、電話・データを統合した公衆通信サービス向けIP統合網にまで踏み切れる時期は不透明のままである。そこで、一般的には「IP電話はさしあたり特定の個人用途や企業内通信などで部分的に使われる技術」と見られ、回線交換ベースの公衆通信網が全面IP化される時期は10年後とも20年後ともいわれている。IP-PBX やIPのVPN(仮想企業専用網)についても、使用者の中に「顧客やVIPとの通話には使えない」とか「その企業の全てのLAN 環境が一定の水準に揃っていなければ本来の経済性や利便性は実現しない」という批判もある。しかし、「許容条件内の用途であれば回線の使用効率が高く、設備コストが非常に安くなる」という現実的な魅力から、ISPや一般企業に限らずPSTN事業者までも含めて、IP電話技術の採用と関連設備投資が急激に増えてきたのが実態だ。
「IP電話の通信品質はおおむね携帯電話並み、またはそれ以上」と評価する一般利用者も増えてきて、商業IP電話のサービスが普及し始めた。現在わが国で商業サービス中の事業例としては、フュージョン(PSTNをアクセス回線としたインターネット長距離電話)、ヤフーBBフォン(ADSLアクセス回線と独自の全国IPデータ網によるインターネット長距離電話)、NTTコミュニケーションズOCNボイスモード(パソコンを使うマルチメディア機能の一部としてPC→PSTNの電話発信も可能)などがある。昨11月には、国内ISP業者が会員獲得への武器として無料のIP電話サービスを追加するだけでなく、さらにその利便性を向上するためにグループ内での無料の相互接続を行う二つのISPグループを形成する、という発表があった。世界の各種報道でも、PSTN事業者による基幹ルートのVoIP化(注1)、ISPとPSTN事業者によるIP電話サービスやIP-VPNサービス提供、各企業のIP-PBX導入、などが増えつつあることを示している。
調査会社、通信事業者、IP電話のベンダーなどがそれぞれこの市場規模と成長性を予測して、大きな期待値を公表している。調査会社のマクロ的な予測の例を挙げれば、Frost & Sullivanは「IP-PBXの普及やVPNのIP化などで、2007年には世界の企業電話トラフィックの75%がVoIP化する」といい、Probe Researchは「5年後には国際電話の過半と国内長距離電話の28%のトラフィックがVoIP化して、既存の回線交換技術ではなくソフトスイッチ(注2)で処理されるだろう」としている。In-Stat/MDRは、これをソフトスイッチの世界市場規模で表現して「2001年の市場規模125M$が2002年では160M$となるが、音声とデータの統合による新サービスの創出で投資効果の見込める製品やサービス向けにさらに投資が進むと予想されることから、2006年にはこれが1.32B$に成長する」と見ている。
(注1)VoIP=VoP?;VoP(音声パケット化技術)にはVoIPの他にもVoFR、VoATMなどがあるが、これらの技術的な違いを区別せずに、まとめて"VoIP"とした報道が多い。厳密にいえば、ここは"VoP"と考えるべきかもしれない。
(注2)ソフトスイッチ :標準的な定義は定着していない。通常はPSTNとVoIP網の橋渡しやVoIP網内のLocal SwitchやToll Switchに相当する"Switch"を意味して使われる用語だが、狭義のソフトウェアの範囲に限定する人もいる。
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既存の通信業者に加わるIP圧力
ITUの作業部会の報告などを見ても、IP電話技術の出現は外圧・内圧の両面から既存の通信業者の経営(投資政策)に大きな影響を及ぼしている。「外圧」とはVoIPを使って低料金で攻勢をかけてくる新興通信業者によるシェアの侵食で、国際電話トラフィックはその典型だ。IP電話を使った国際通信の卸売業者であるiBasis やITXCなどは目覚しい成長振りを見せている。伝統的な国際通信業者は、新興業者の攻勢に対して当面は通信品質などの差別化で対抗しても、本質的な対策は料金格差の縮小であり最終的には通話料金の値下げを強要されてくるのが実情である。そして、コストダウンを迫られる既存の国際通信業者には自社の回線網にも投資効率改善目的でIP化の圧力が加わるが、これが「内圧」である。このような外圧・内圧メカニズムは国内の長距離電話事業者についても同様に当てはまる。
IP電話はさらに市内固定電話業者にも大きな外圧を加えている。企業顧客のトラフィック需要をIP網に奪われるが、個人顧客ベースでも「音声も、動画も、ブラウジングも可能」な高速インターネットによる統合マルチメディアサービス化が固定電話加入者の減少に拍車をかける。すなわち、固定電話業者にはトラフィックを奪われる減収だけでなく「新創出の電気通信サービストラフィック」という新たなパイの獲得競争に取り残される焦りが加わる。
このような圧力が既存の通信業者の経営政策にさまざまな形で変化を促している。例えば、C&Wは3年間でグローバル網をすべてIPに移行する計画だ。同社によれば、伝送コストは回線交換網の1/4ですむのだという(同等の通信品質での比較と理解したい)。昨年4月、NTTは2004年度までの3ヵ年経営計画で「固定電話網投資を原則停止し、IP網の充実に投資を集中すること。さらに、IP時代での競争力強化のためISPサービスへの音声通話機能の追加や法人向けIP-VPNの提供に積極的に取り組むこと」を宣言した。PSTNが投資効率改善の目的でその中継網部分をVoIP化する動きは北米・欧州はもとより、アジア大洋州、中東などを含めて世界各地の既存通信業者に広がっている。
StarVox Inc.(米国のベンチャー企業)などが「公衆インターネット網を利用したIP-Centrex / IP-VPNサービス提供用ソフト」をISP向けに開発して宣伝しているが、この種の新IPサービスの構想は既存の通信キャリアーにも見られる。わが国では、上述NTTのISPサービス他に、KDDIも同社のISPサービスであるDIONにIP電話サービスを追加して企業顧客を囲い込む計画中だと伝えられている。また、通信キャリアーの動きと独立した端末側の動きもあり、直近12月の国内ニュースに限っても「家庭用の固定・IP兼用電話機の発売」「IP電話も使えるPDA」などが目につく。
これらの事実がIP電話関連市場の成長予測の根拠となっている。だが、筆者には「既存PSTN網とVoIP網の運用条件は同等ではないので、経済性なども単純には優劣比較ができない。また、5年後のIP電話市場は現況の延長線上でとらえた予測と違ってくる可能性も高いのではないか」という思いがどうしても拭いきれない。現在のPSTNサービスとIPの電話サービスは共通ルール下で争うライバルの関係ではない。先述のITU作業部会の調査報告には「IP電話とPSTNとの料金格差が縮小した国では、(1)IP電話のサービス品質・機能の改善、(2)PSTNとIP電話サービス網間の相互接続性、(3)さらに、既存の回線交換網とIPサービス網との統合化、等々・・・が求められる」とある。IP電話が普及するにつれて利用者の要求条件や事業者間の競争環境が変わり、PSTNとの競争条件も変わるのが必然と思われる。その推移をどう考えるかで少なくともアクセス系事業に係わる市場の予測は大きく変わる。
利用者の適応と社会的影響で市場環境は変わる
各国の公衆電話網(とくに固定電話のPSTN)は、明示的あるいは慣習的に国民が当然視する水準のサービス品質(音声品質、接続品質、公共的機能)を保証している。また、政府も公共サービスであるPSTNの運営には法律で一定の義務や責任を課している。ここでその全てに触れるゆとりは無いが、ほとんどの国では法律で現在のIP電話サービスを「電話」とは異質の「データサービス」の範疇に位置づけているので、IP電話は電話サービスとしての政府規制を受けていない。技術には変遷があるので、公衆電話サービスのあり方についても利用者の要求への対応や主管庁の通信政策は偏向の無い技術中立の考えで徐々に調整されていく。PSTNとIP電話との競合が本格化すればこれらの品質や政策に影響があらわれるのは必至であろう。
具体例として、まず通信品質を取り上げてみよう。携帯電話はIP電話と同様に固定電話に比べて音声品質や接続品質に弱点があり、通話料金も高い。だが、わが国ではその契約者数がすでに固定電話の加入回線数を超えている。利用者は利便性が向上するなら他の条件劣化に妥協することの証左である。PSTNが経済性を最優先にして(best effort型の網性能でも良いとして) 網構築をIP技術で変換していけば、理論的にそのコストはIP電話に接近するのでIP電話の競争業者にも対抗し易くなるであろう。派生問題の少ない基幹回線はすでにこの方向に動いている。また仮に、利用者がPSTNに対して既存網相当の機能と品質を維持する"assured quality"サービスと "low-price" (on a best effort basis) サービスをcall by callで選択できるような運営を求めるならば、需要量が相対的に減少する前者を使って接続したときの利用料金は現在よりも高額になるであろう。逆に、利用者がIP電話を提供するISPのサービスにも既存PSTN電話並みの機能や品質を求めるならば、インターネットのコストはPSTNに接近するので、IP電話の利用料金は上がるであろう。
次に公共性の問題を考えてみよう。基本原則として、公共サービスでは事業者側にも利用者側にも無差別・平等原則が適用されなければならない。現在ではプロトコルの相違などの技術問題があって、IP電話サービスは他系統のIP電話網やPSTN(固定電話・携帯電話)との双方向の相互接続性を必ずしも保証していない。また、ISPはIP電話に限らずPSTN回線との接続で市内電話料以上のアクセスチャージ(接続料)の支払いを免れており、国際発信通話でもアクセスチャージに相当する国際精算料金の負担がない。社会インフラの利用と維持に関する公平性の面で、この現行制度はかなりの問題を含んでいるとも言えよう。
多数の電話利用者が商業IP電話サービスの利用に走れば上述のような諸問題の技術的あるいは政策的な調整が必要となって、IP電話と固定電話の事業コストの差が減少し、IP電話サービスの成長を抑制する方向にはたらくものと考えられる。
ここで通信政策の現状に目を転じれば、通信サービスと情報サービスの区分定義と規制のあり方について議論の絶えることが無い。米国では、96年通信法の部分修正を審議した下院法案 HR1291(2000年5月通過)ではインターネットのアクセスチャージ不要原則が再確認されたが、「IP電話サービスは例外とし、将来の検討課題とする」という留保条件が付いた。同じくブロードバンド普及を旗印として部分修正をはかる下院法案HR1542(2002年2月通過)にはIP電話サービスを基本的に「電話サービス」と考える思想が盛り込まれた。両法案とも上院の同意を得られる見込みは無い。しかし、上院と下院の対照的な態度は米国議会の議員の間でIP電話の別扱いの是非についても両論伯仲の状態にあることを示している。なお連邦制の米国では州内通信である地域通信が一義的には州議会の立法と州公益委員会の行政管轄下にあり、各州の判断も微妙に分かれることになる。2001年2月にコロラド州地裁がIP電話のアクセスチャージ不払いを違法と裁定して話題を呼んだが、昨年7月にはニューヨーク州公益委員会が「IP電話はPSTNである」と宣言して改めて問題を浮き彫りにしている。
現在では、世界の各国が「ディジタルデバイドを抑制し、新サービスの創生を阻害せずに育成していきたい」という意図から情報サービス優遇の政策を採っている。前述の接続料の問題を別としても、情報サービス扱いのIP電話はPSTN に課されているさまざまな規制や負担(例えば、ユニバーサル・サービス基金--全国民に公平で安定的なサービスとするための不採算部分への助成金--の拠出)から免除されている。また、固定電話が伝統的に努力を続けてきて、今では当然視されているその他の公共的配慮(前出の公共性通信機能、高度のアベイラビリティ、公衆電話機の設置提供、通信履歴の記録保持・・・など)への対応についてもIP電話はフリーハンドの立場である。したがって、IP電話サービスの普及が進むにつれて、固定電話側から競争条件公平化の主張が強まり優遇措置や規制事項を巡る論争が激しくなることが予想される。また、IP電話の利用者も徐々に固定電話並みの機能と品質を求めていくであろう。Siemensで規制問題を担当するBrandl氏は「EUでもIP電話が一般電話と同格と見なされて、IP電話サービスにも事業免許が必要となってくるのは時間の問題だろう」という。
IP電話サービスの成長は、品質水準、公共性、共通インフラの費用負担などに関わるPSTNとの役割分担についての社会的合意が定着しなければ、途中で足踏みが生じるのではなかろうか。言い換えれば、IP電話サービスの本格的成長を可能ならしめる条件は、利用者の評価や妥協を反映した一般電話との共存環境の安定化ではあるまいか。
データリソース社では、「IP電話」関連のレポートとして、
ビジネス市場におけるネットワークの発展:IP-PBX、ホスティング、IP電話市場調査 IP-PBX, Hosted Solutions and IP Telephone Sets: The Evolution of Enterprise Networks(米国 アライドビジネス社)
VoIPとパケット音声DSPチップ市場調査 VoIP & Packet Voice DSP Markets(米国 フォワードコンセプト社)
米国プローブリサーチ社の「パケット上の音声通信(Voice over Packet)市場 / Voice over Packet Market (VoPM)」サービスの各小レポート
インスタット/MDR社の「Multimedia Broadband Services & Infrastructure」サービスのレポートなどがあります。
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