2003年の日本を読む-不良債権処理に立ちはだかる『悪人探し』と財務省の復権 石澤 靖治 (学習院女子大教授)
2003年1月6日号
展開されるイメージ戦略
現在の日本経済はもはや余力がなくなり、打てる手は限られている。問題の解決も複雑で困難を極める。そうした状況で現在やらなければならないのは、受けたダメージをどれぐらい少なくして、マイナスの状況をどれくらい減らすかという「ダメージコントロール」である。これは何をやっても必ずどこかにしわ寄せが来るし、何かをやろうとしている人はなんらかの非難を浴びることになるという、やっかいな状況だ。
こうした中で、ある人が相手に「悪人」のレッテルを貼ることで自らの考えを正当化するということが見られたのが2002年である。銀行の不良債権処理をめぐる問題などはその最たるものであろう。一般に不良債権の積極処理派と言われる人として竹中金融財政相と木村剛氏があげられている。彼らは銀行の資産査定を厳格にすることを掲げつつ、銀行に敵対的な姿勢をとっている。その彼らが行っているが「銀行の悪人化」戦略である。彼らはテレビ、新聞、雑誌に頻繁に登場するが、その際自分たちが実行しようとしている政策を述べると同時に、銀行の罪を訴える大々的なイメージ合戦を行っている。
一方、彼らを登場させるマスメディアも、そのイメージ戦略のプレーヤーの一人になっている。大衆の感情に訴え、何が良くて何が悪いかというように物事を単純化するマスメディアにとって、現在のような複雑な状況は最も苦手とするところである。彼らの報道のパターンというのはそうした中で、銀行がいまだに高給与をとって時代錯誤のビジネスを行っているという立場でとらえることで、大衆からの受けを狙っている。同時にマスメディアは複雑な問題をクリアに説明してくれる人物を求める。その点で弁舌に長けた竹中・木村ペアは、マスメディアにとって好都合の人材ということになる。このような図式の中で一時悪役になった竹中大臣は持ちこたえ、銀行は悪役であるということが固定化されている。
世の中がある程度順調だったときや、経済のダメージが大きくなかった際には、「善玉・悪玉」論議があっても大した問題ではない。だが状況がかなり深刻になった中で、こうした構図が出来上がっていることが事態を見えにくくして、真の解決策への道をふさいでいる。
銀行の悪役説は正しいのか。
銀行の不良債権処理を加速させることの対策として、政府は金融機関の資産の査定を厳格にさせる考えを示している。そうすれば銀行は不良債権処理のためにさらに貸倒引当金を積み増しする必要が出てくる。そうなるとそれに耐えられない銀行は自己資本比率が低下する。そこで銀行は貸し出しを圧縮することで総資産を小さくすることで対応せざるを得なくなるから、銀行の貸し出し機能をはさらに低下することになる。
もちろんそれは国内経済にとってマイナスであることはいうまでもないが、それを見越したようにさらなるイメージ戦というか情報戦も展開されているようだ。12月下旬には、みずほ銀行が半年間で中小企業向け貸し出しを5兆円圧縮していたという報道があったのがそれだ。これにより「最後まで悪あがきをする銀行」の悪役としてのイメージは、より強いものになった。となると、そんな銀行に公的資金を投入して救済すべきではないというのが、国民的感情ということになる。
だがこの「銀行=悪人」化のサイクルは、事態を悪化させることはあっても好転させることはない。銀行の行為に非難される点や反省すべき点は多々ある。それでも私は、問題がこれだけ深刻化した現在、公的資金を投入して銀行を救済すべきだと考える。日本の金融が崩壊した際の国内的なパニックや世界的な影響を考慮すれば当然のことだ。数年前に都銀最下位行の北海道拓殖銀行が破綻したときの社会の動揺を忘れたのだろうか。もし現在の4大銀行のどこかが破綻に追い込まれようなら、混乱はその比ではない。
ここで大事なのは、公的資金で銀行の株式を引き受けるという形での公的資金注入ではないということである。そうすることは銀行の国有化であり、経営陣に政府が人を派遣するというのであれば、金融機関が国営化されることを意味する。だが世界的に市場経済が定着する中で巨大国営銀行が生まれるというのは、世の中に逆行している。私企業の自由な活動に極めて重要な資金繰りを国家の銀行がコントロールするというのは、どう考えても異常である。
公的資金の注入は、銀行の不良債権を時価ではなく、できるだけ銀行に損失が出ない形で簿価に近い金額で買い取るべく、国家の資金を拠出する形であるべきだ。銀行を不良債権の呪縛から解放させて、従来の金融仲介機能を回復させるのである。その場合、銀行経営者の経営責任はどうなるのかという指摘はあるだろう。もちろん何らかの形でのペナルティーは必要だが、私はバブルの絶頂期に経営者だったわけではない現在の経営陣に、それほど大きな過失があるとは思えない。確かにこの数年間で新たな不良債権が発生しているわけだが、それを全て彼らだけの責任にするのは適切ではない。もちろん大胆な経営の転換が行えなかったという点での問題はある。しかし現在の不良債権問題を不況といっしょにして、その責任を彼らだけに負わせるのは誤りである。複雑なことが絡み合ってわからなくなっているから、銀行を悪人に仕立てることで思考を停止しているとするならば、それはフェアではない。
権力拡大した財務省の立場
一方、公的資金の投入に際して極めて大きな鍵を握るのは財務省の存在である。財務省は大蔵省改革の中で、大蔵省が財務省と金融庁に分割されたことは周知のとおりだが、再び以前の大蔵省の権力を取り戻している。
国家財政をつかさどって日本の政治経済をリードし、官邸の秘書官として首相の情報を全て握るなど、この官庁はこれまでも権力の中枢に座り続けた。それが大蔵省解体で一時期はその権力が崩壊するのではないかと思われたが、小泉政権になって状況が大きく変わった。手足をもたない小泉首相がもっぱら財務官僚のリードにしたがって政策遂行を行っているからだ。スタッフと権限が増えて巨大になった内閣府にも要所要所に財務官僚がはりついている。また「改革」を唱える小泉首相だが、本来は大蔵族議員で財政再建派である。そのためからか、「聖域なき構造改革」を掲げる小泉首相が、日本の経済構造の中枢である財務省主導にメスを入れようとする素振りはほとんどみられない。
財務省の行動原理は、日本の財政の規律を守ることである。この原則に反対する人は誰もいないだろう。国と地方の負債が日本の国内総生産(GDP)を上回る規模になっている現在、このモットーはなおさら説得力をもつ。だが、これまでも旧大蔵省が財政至上主義に固執して国家資金を出し惜しみしてきたことが、景気の回復と不良債権処理の抜本的な処理を遅らせてきたこともまた事実である。例えば橋本政権当時、景気はどうにか回復軌道に乗ったところで、橋本首相が大蔵省の財政再建路線に乗って消費税と社会保障費の引き上げを行ったために景気の本格回復の道は絶たれてしまった。また旧大蔵省の小出しの財政支出が景気の本格回復も不良債権処理も逆に遅らせてきたという指摘も少なくない。
1年後に同じ話ができるか
そこで今回である。財務省は財政の規律という考えにしたがって基本的に公的資金の注入には消極的な態度をとるだろう。確かに「財布の中にお金がなくなる」という状況は直接的で一般の国民にわかりやすいのだろうが、実際は銀行の不良債権処理に失敗して金融システムが崩壊した場合も、同様に国民が持っている通貨の価値は大きく減じたり、場合によっては使えなくなってしまう。だが金融破綻の懸念より財政破綻の懸念のほうがはるかに大きいようだ。世論調査の結果をみても、多くの国民は「銀行の不良債権処理への公的資金の投入よりは財政の規律」と考えている。この状況は財務省にとっては好都合である。したがって金融システムの崩壊について、よほど具体的なPRがなされないかぎり「大蔵省」の財政主導主義の中で、抜本的な不良債権処理策は講じられないのではないか。
しかし結局は公的資金の投入がやむなしと財務省が考えた場合には、これまでのパターンからして、資金の出し方をできるだけ少なくしようとするか、あるいは巨額の資金を拠出する場合には自らの影響力を拡大しようという形で実を取ろうという行動に出ることが考えられる。具体的にいうと不良債権を買い取るという形での公的資金の拠出の場合なら、拠出す金額を少なくするために簿価ではなく時価に近い形にする。あるいは銀行への直接出資をということになれば、銀行への人事の介入を直接あるいは間接的な形で行うというシナリオである。そうなった場合、いずれも悪しき妥協であることはいうまでもない。したがって2003年に監視していなければならないのは、そうした流れの中で小泉首相、竹中金融財政相らが、単に銀行を悪者にして済まそうとするのか、財務省とぶつかっても正面から不良債権問題に取り組もうとするのかという点であろう。
だが2002年の状況から考えて、あまり期待はできない。私は1年前に周囲に「小泉政権は根本的な改革はできない。したがって今後もだらだらとした状況が続くだろう」と言った覚えがある。残念ながらそれが当たってしまったわけだが、1年後の今ごろも表面的には動きがあっても根本的な部分にメスが入れられることなく、やはりだらだらと坂を下っていくのだと思う。いや、1年後に崩壊の危機にさらされずに、だらだらと下っていけるのなら、それは幸運かもしれない。それだけ状況は切迫している。
石澤 靖治(いしざわ やすはる) 学習院女子大教授
1957年生まれ。ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。「ワシントン・ポスト」極東総局記者、「ニューズウィーク日本版」副編集長を経て現職。専攻は現代政治経済分析・メディア関係論。著書に「総理大臣とメディア」「大統領とメディア」「日米関係とマスメディア」。TV朝日「ニュースステーション」、NHK「クローズアップ現代」などに出演。
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