今度こそペーパーレス?電子ブックのチャレンジ (ITアナリスト 志賀竜哉氏)
2003年5月25日号
概要
ITが普及しても紙の消費量はなかなか減らず、むしろ増える傾向にある。古紙回収や植林事業で紙の原料となる森林資源の保護も進んではいるが、紙の消費量の増加には追いついていない。地球温暖化にもつながる森林資源の減少を食い止めるには紙の消費量を減らすことが先決といわれている。電子ペーパーへのチャンレンジも進んでいるがまだ実用的なものは出てきていない。さすがに4000年の歴史をもつ紙はメディアとして最も偉大だということだが、そういった中で2003年4月に松下電器が発表した電子ブック「Σ(シグマ)ブック」は、久々に「これで紙の消費量は減るかもしれない」と思わせるものであった。そのポイントは余計な機能を削ぎ落として限りなく本物の本に近づけようとしたところで、できるだけ本を読むスタイルを変えないように努力した点だ。
■紙の消費量は増えつづけている
パソコンやワープロが使われ始めた1980年代初め頃、電子データで情報をやり取りすると紙は必要なくなり、「オフィスはペーパーレス化する」と言われたものだが、いざ普及すると逆に紙の使用量は増え、ペーパーレス化とは全くの誤りであることが分かった。苦し紛れに、「ペーパーレス(紙が不要になる)」ではなく「レスペーパー(使用量を減らす)」と言う人もいたが、これだけITが社会に浸透しても紙の消費量は年率2〜3%の割合で増えている。
IT化で増える理由は、パソコンで作った文書でレイアウトが違ったりすると何度も印刷しては修正を繰り返したり、申請書類などの控えや重要なメールなどを紙で残すなどの習慣が根強いためだ。またコミックや書籍などはここ数年若者の本離れで本の消費量は幾分下降気味ではあるが、1990年代中ごろまで急増しつづけた。いずれにしてもIT化はより多くの情報が流通するため紙の消費量も引きずられて上がることになる。となると膨大な人口を抱える中国やインドでこれからITが普及すると紙の消費はどうなるのか。地球の森林資源はどうなってしまうのだろう?
世界の紙の消費量は年間2.4億トン、日本は年間3030万トン(世界第3位、1位米国9465万トン、2位中国3586万トン、2001年日本製紙連合会データより)で、一人当たり239キロ、電話帳にすると125冊、積み上げると5.6メートル、平均的な4人家族1世帯だと、約1トン、電話帳で20メートルにものぼる。古紙のリサイクル、非木材原料の開発や製紙産業による植林事業なども進んではいるが、木材原料消費の増加に歯止めはかかっていない。
■電子ブックへのチャンレンジ
これまでパソコンやPDA上で本を読むという提案は幾度となく行われてきた。電子ブックの歴史を紐解くと、ソニーが1990年にCD-ROMでデータディスクマンとして電子辞書などを発売したが、検索機能が人気を呼び今日の電子辞書の普及につながっている。ただしこれは“読む”と言うよりは“引く”という検索機能がその本質であった。1991年にはアップルの子会社ボイジャー社がエクスパンドブックというフロッピーディスクで小説を読むスタイルを提案した。日本でもNECが1993年からデジタルブックと称して、フロッピーを手のひらサイズの専用機に差し込んで小説を読ませるスタイルを提供してきた。しかしパソコンなどのIT機器で読ませることで本物の紙にない付加価値をついつけたがり、マルチメディア機能、すなわち音声や動画による解説などを、良かれと思って付け加えてきたためか、結果的に“本を読む”というよりはやはり“パソコンをみる”という行為になってしまい、紙を超えることは出来なかった。
また電子ブックのコンテンツはコピーされやすいことを懸念して、著作権保護の観点から、新刊は電子ブックにはなりにくく、電子的に流通しているコンテンツは古いコンテンツが多く、そのあたりが電子ブックの盛り上がりに欠ける点でもあった。
■唯一駆逐された百科事典
ただし、マイクロソフトなどが「エンカルタ」で行っている百科事典をCD-ROMやインターネットで提供する、“読む”ではなく“引く”機能はデジタルデータの良さが理解されている。数年前から世界の百科事典の老舗ブリタニカ社も紙の出版をやめ、電子データで提供するになっており、唯一百科事典の分野でITは紙を超えたといえる。
しかし、百科事典以外の出版分野でITはなかなか紙を超えられないのが実情だ。百科事典で紙が駆逐された最大の理由は、百科事典は読むものではなく引くものである点とモバイル環境ではまず使わないという点だ。となると、次に駆逐されそうなのは小型の辞書辞典類かもしれない。事実いくつかの高校ではポケットサイズの電子英和辞典を学校が補助を出して生徒に普及させている。
■反応速度が超のろまな液晶
いずれにしても紙は、消費電力ゼロ、いつでもどこでも持ち運びができ、パソコンのように起動時間も必要ない“読む”ものとしては最高のモバイルメディアである。
これまでのパソコンやPDAでは読むといったスタイルがなかなか根付かなかったのは、基本的に本を読む欲求は家の中でも外出先でもどこでも起きるわけで、そのためモバイルに対応しなければならず、しかも読むという行為は時に長時間に及び、そのためだけに高価な情報機器のバッテリを消費するのは我慢ならない、といった心理が働くためだ。
さて四月に松下電器から発表された新しい情報機器、Σブックをみてみよう。この製品は極端に応答速度の遅い液晶「コレステリック液晶」を使っている点だ。ところで「液晶」とは、1888年オーストラリアの植物学者ライニツアーによって発見された固体と液体の中間的な物質で、石鹸水やイカの墨などがこの仲間とされる。1963年に米RCA社の技術者ウイリアムズらが、電気的刺激を与えると光の通し方が変わることを発見し、今日の液晶ディスプレイにつながっている。
液晶は通常電圧を加えた部分の分子配列方向が変わり、加えない部分との光の透過差で文字や画像を表示する。電圧を下げた瞬間に配列が元に戻らなければ動きの速い動画などの表示はできない。これまで液晶メーカーはテレビやパソコンに使えるように応答速度の速い液晶の開発にしのぎを削ってきたが、逆に応答速度が遅いなりに用途があることも分かってきた。つまり一度電圧を加えて液晶の配列を変えてやると、電源を切ってもなかなか元に戻らなければその間は文字や画像を表示し続けることになる。それを応用したのがΣブックで、電圧を新たに加えなければ3ヶ月間は元に戻らない超のろまな液晶だ。ページをめくるときのように表示を替える時だけ電力が消費され、めくり終わったら消費電力はゼロとなる。まさに“紙”の存在となる。
■本を読む機能以外は何もつけない
さて、Σブックの開発者がこだわった点は、徹底して紙の本に近づけようとした点だ。パソコンやPDAの液晶は鮮やかに見えるようバックライトで液晶の背後から照らしている。このため暗いところでもみられるのだが、実はこれがバッテリを大量に消費する主犯だ。Σブックは、本もはバックライトはついていないから、つける必要なはいといった考えだ。暗くなったら明かりをつけるか、なかったら読まなければ良いと割り切った。このため、単3乾電池2本で1万ページ分(本好きな人で約3ヶ月分)本をめくるように表示を替えられる。解像度は1024x768と高解像度のパソコン並だ。音声機能、情報検索機能などは一切つけなかった。開発者曰く「紙の本に音声機能や検索機能がありますか?」というわけだ。というわけで電源スイッチもない。電力を消費するのはページをめくる瞬間だけだからだ。
B5サイズ見開き型の本体にはボタンが5つあるだけ。両端の二つは、左右ページめくり、残りの3つは栞(しおり)だ。というのは開発時に協力した推理小説家によれば、最も多くの栞を使うのは海外の推理小説で、それでも3つあれば十分ということらしい。1つは登場人物の紹介のページ。確かに海外の推理小説は登場人物が多く、名前もジョンやジョージとか似たような名前が多く、慣れるまで何度も戻って確かめた経験は多い。2つ目は、事件が起きた場所の地図とか部屋の見取り図など推理のカギを握るページ。これも読み進んでいくうちに何度も戻っては見ることになる。そして3つ目が現在のページ用というわけだ。
コンテンツは著作権保護機能のついた切手大のSD(Secure Digital)メモリカードにパソコン経由でダウンロードすればよいが、将来的には書店やコンビニエンスストアなどにキオスク端末を設置し、そこから流通する計画がある。ちなみにメモリの消費量だが、コミック1冊分だと20メガバイト使うので、64メガバイトSDカード搭載であれば3冊保存できるし、メモリを差し替えて何冊も持ち歩くこともできる。価格は当初3万円くらいで、決して安くはないがヒットすれば下がるだろう。発売は2003年秋の予定。
■今度こそペーパーレスへ
電子情報機器がなかなか本の分野に入れなかったのは、1つには読むという行為が、電子情報機器には単純すぎて適していなかったこと、特に高性能なパソコンやPDAはもてあましていたのかもしれない。今回のΣブックは応答速度の遅い液晶を使うことで消費電力を極端に下げることが出来たことと、あくまでもリアルの本をメタファとし、余計な機能をを一切載せなかったことで“読む”行為に徹した点がポイントだ。この点がこれまでの電子ブックになかった点で、それだけに今度こそ電子ブックのマーケットが広がるかもしれないといった期待を抱かせる。と同時に少しでもこういった製品が出ることで紙の消費量増加を食い止めたいところだ。わが国の出版市場は年間2兆3000億円、昨年の電子書籍市場は約10億円と言われまだまだ先は長い。
しかし今出版業界は大きな岐路に差し掛かっている。ベストセラーと言われるような100万部突破などのビッグヒットの減少もさることながら、1タイトルあたりの印刷部数が減少しており、平均的な書籍の返品率も5割にのぼるという。つまりせっかく印刷された新しい本の半分が廃棄(古書として再資源)されている。実にもったいない話だ。新刊のいくらかでも電子媒体に移行すれば、紙の消費は減る。こういった点からも電子ブックの普及が待たれる。また本以外への応用も考えられている。たとえばホテルの各部屋に置いてある観光ガイド、あるいはレストランのメニューなど日替わりで変更を要するものでもメモリカードさえ差し替えればいくらでも対応できる。時刻表、道案内、店頭POP、看板、パンフレット、回覧版、新聞などにも応用は可能だ。紙以上の利便性は提供しないしそれ以下でもない点は、たしかに情報機器らしからぬ情報機器だ。これで今度こそ紙の消費量が減ることを期待したい。
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